『グロービスMBA組織と人材マネジメント』の第6章から「運用の重要性」を紹介します。
さまざまな仕組みやルールは、その設計以上に運用が非常に重要な意味を持ちます。特に人事考課や報奨は人びとのモチベーションに極めて強く影響を与えるため、その運用には意を用いる必要があります。人間には自己高揚バイアスという、自分を過大評価するバイアスがありますから、どれだけ他者が正確に彼/彼女を評価したところで、本人は不満を持つものです。また、他者と比較して不公平感を感じるのもよくありがちなことです。それをいかにコミュニケーションの工夫や仕事の与え方等で緩和するかが、管理職の腕の見せ所とも言えます。制度は設計するだけで勝手に機能するものではありません。それに命を吹き込む運用の工夫、特に人々の情動を理解した柔軟な対応こそが、公平感や納得性を高め、組織を望ましい方向に導いていくのです。
(このシリーズは、グロービス経営大学院で教科書や副読本として使われている書籍から、ダイヤモンド社のご厚意により、厳選した項目を抜粋・転載するワンポイント学びコーナーです)
運用の重要性
現実に制度や施策が出来上がると、「運用」がしばしば取り上げられる。運用とは経済合理性以外の要因に着目し、人間にある目的を達成させるために望ましい行動をとらせる工夫であるともいえよう。
制度が機能するということは、その制度を支える1人ひとりの人間が、制度の目的に貢献するように行動することを意味する。運用とは、1人ひとりの人間に働きかけ、行動を促し、最終的に目的を達成することを加速する作業――すなわち、制度に魂を込めることと言い換えられる。
目に見えない不満を解消する
前述したようにたとえば業績評価システムを設計する際には、できるだけ客観性の高い評価基準を設ける。しかし、実際に評価を受ける側の人間は、仮に基準が客観的であったとしても、評価の結果について常に納得するわけではない。
「今期はこれだけ営業成績を伸ばしたのに上司の評価がBだったのはなぜか」と悩んでいる人間もいるだろう。その理由を、営業成績という客観的な数値の評価ではなく、上司との関係、たとえば相性が悪いといったことで判断されているのではないかと思い悩むこともあるかもしれない。
あるいは、配置についても、「なぜ自分がこの仕事を担当しなければならないのか」とか、「なぜ、本社から支店に異動しなければならないのか」という疑念を抱く社員は多いだろう。不承不承、命令だから従うという態度になることはけっして珍しくない。
ただし、こうした不満を持つ人間であっても、組織の経済合理性は尊重する。組織の論理に表立って反論するわけではない。
マネジメントの視点から気をつけなければならないのは、不満が不満として顕在化しないままくすぶり、それが仕事への取り組み姿勢に影響を与えることである。不満を抱いても、その状況を打破しようとさらなる努力を重ねる場合には問題はない。しかし逆にその不満感が徐々に鬱積して、仕事への情熱ややる気が失われてしまうと、組織に与えるマイナスの影響は非常に大きい。
こうした不満は、1人の問題にとどまらない危険性がある。協働している以上、不満を持つ人間が仕事に身を入れなければ、当然他の組織メンバーの仕事にも影響を与える。迷惑を被ったメンバーは、新たな不満を持つことになろう。
このような、組織への悪影響を排すべく、制度を適切に運用するためには、人間の行動の基本的なメカニズムを再確認しておく必要がある。すでに第1章で人のモチベーションについて説明したが、改めて、何が人を動かすのかを考察しよう。
人を行動に駆り立てるもの
人を突き動かすものは何だろうか。たしかに経済的な糧を得るために人は組織のなかで働く。もし、経済的な糧だけのために働くのであれば、それを得るためだけに行動すればよい。しかし、実際の人間の行動は違う。
GEの元CEOのジャック・ウェルチのエピソードがある。ミドル・マネジャーとなり、トップレベルの業績を上げていたウェルチを高く評価した上司は、1000ドルの昇給を約束した。ところが、ウェルチはこの評価を不十分であると考えた。その理由は、他の社員と同じレベルの昇給だったからである。ウェルチは意を決して会社を辞めることを上司に告げた。この反応に驚いた上司は特別に配慮し、ウェルチだけ倍の2000ドルの昇給を約束したという。
1000ドルは必ずしも大金ではない。では、1000ドルの差でウェルチに会社を辞めようと思わせたものは何だろうか。もし、ウェルチがこの時辞めていれば、本人の生涯収入は大きく変わっただろうし、ウェルチがいなければその後のGEの目覚ましい成長はなかっただろうから、GEにとっても大変な損失を被ることになっただろう。
ウェルチは、他のメンバーと同じように評価されたことに不満を持ったのだ。ウェルチは他者より自分は優れているという強い自尊心を持っていた。けっして、経済的な計算をした結果、会社を辞めるべきと判断したのではない。自尊心つまり情動による判断である。
第1章でも述べたように知的活動、たとえば経済計算よりも情動(知的活動に影響するような感情)での判断が優先されることは多い。脳科学や神経認知科学などの知見もこれを支持している。たとえば、落ち込んでいる時は知的活動が低下することが指摘されている。ある種の脳内物質の分泌量が減るために、ニューロンが不活発になるためであると考えられている。
神経認知科学者の山鳥重は、情動が知的活動を制約し、知的活動が意図や意志のあり方に影響を与えるというモデルを提唱している。
ウェルチの例に戻ると、自分が低く評価されたということが情動を著しく刺激し、攻撃的な行動をとったのだろう。さらに図表の山鳥のモデルによれば、情動の落ち込みは単に知的活動を不活発にするだけではない。より重要なことに、意図や意志を持つという態度にも影響を与えるという。つまり、何かをしようとする意欲自体が減退するおそれがあるのだ。
このように考えるといかに1人ひとりの情動を理解し、それに訴えることがマネジメントにとって重要であるかがわかる。心のひだを感じ取る、あるいは刺激することが大切なのだ。
(本項担当執筆者: グロービス経営大学院教授 佐藤剛)
次回は、『グロービスMBA組織と人材マネジメント』から「
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