"必要は発明の母――。技術進化の歴史は、切迫したニーズとの戦いの歴史とも言える。暗号の進化の歴史から、我々は何を学ぶことが出来るだろうか。
暗号というと何を想像するだろうか。人によっては、アラン・ポーの「黄金虫」やコナン・ドイルの「踊る人形」といった、暗号をテーマとしたミステリーのアンソロジーを思い浮かべるかもしれない。しかし、一般の方は、「暗号」という言葉を聞いてもピンと来ないのではないだろうか。"
暗号の進化の歴史の背景にある 人類の執念と知恵の深さを感じられる一冊
"多くの人間には一瞬縁遠い話のようにも思える暗号であるが、実は我々の生活はいまや暗号無しには成り立たない。例えば、インターネットバンキングやオンライン証券でのデイトレードにおいて、通信内容が漏れるようなことがあれば、その企業はほとんどの顧客を失ってしまう。こうした通信内容は、いったん暗号化されて送られ、もう1度解読されると言うプロセスを経る。情報のセキュリティは、暗号技術の上に成り立っていると言ってもよい。そして、金融業界のみならず、いまや通信のセキュリティは、ビジネスを行う上での当然の前提となっている。
現代の暗号技術の進化には目覚しいものがある。しかし、実はその進化の原動力となったのはビジネスニーズではない(もちろん、近年のECの進展がそれに拍車をかけたのは事実であるが)。通信のセキュリティが最も強く求められるのは、人の生死、さらには国家の興亡が関わる戦争という場面だ。
これまでの暗号の進化の歴史は、極論すれば、戦争の歴史そのものであった。戦争に勝つという究極のニーズこそが、暗号(そして同時に暗号破り)の技術を驚くまでに進化させてきた。ニーズが強ければ強いほど、そして相手が強力であれば強力であるほど、人間は知恵を終結してイノベーションを起こすのだということに改めて気付かされる。そして、人間の執念と知恵の持つ底知れぬ可能性は、ビジネスパーソンにも感銘を与えずにはいない。
本書には、上記のエッセンスが凝縮されており、どのパートをとっても非常に興味深いのだが、とりわけ私が惹きつけられたのは、戦時中にドイツ軍が用いた「エニグマ」と呼ばれる暗号機との誕生と、その暗号を破ろうとする連合国の知恵の絞りあいの様である。物事の進化の背後には、1人の天才の閃きと、数知れぬ人間の地道な作業があること、また、油断は大敵であり、常に自分たちを無力化、陳腐化する敵が思わぬ形で現れるということも再確認できる。エニグマという鉄壁の暗号を破った、それまでの暗号解読者とは違う人々とは誰だったのか――それは本書でご確認いただきたい。
私は仕事柄、悪い癖で、なにかしらビジネスの教訓を求めてしまうのだが、そうしたことを抜きにしてエンターテインメントとして読んでも、十分に楽しめる1冊である。例えば、ロゼッタストーンなど古代文字の解読の話が出てくるのも、 ロマンチックで本書に彩を添えている。硬軟あわせたバランスの良さも、本書を上質のエンターテインメントにしている。"