本連載「ストーリーで学ぶ経営戦略シリーズ」では様々な立場の現場のマネジャーのストーリーを基点に、古今東西の優れた戦略論から彼・彼女らの仕事をより良くするヒントが得られるかを具体的に考えていきます。
ストーリー概要:
沢田は入社してから今までのことを振り返っていた。沢田は、高校卒業後に大手旅行会社であるワールドトラベリング社に入社して、早くも25年が経つ中堅社員だ。自分ではまだ認めたくはなかったが、もはやベテランの域に入ってしまったことを徐々に自覚しつつあった。
沢田が入社した当初は、業界全般も、ワールドトラベリングの業績も全て右肩上がりだった。沢田は法人営業からキャリアをスタートしたが、当時は社員旅行や修学旅行の需要などが大きく、何をやっても業績は伸びる一方だった。競合に勝つために、いかに足で稼ぐか。一日何件訪問できるか。沢田が若き頃は、そこを目標に掲げれば、売上は自然とついてきた。靴をすり減らしながらお客さんを訪問し、あの手この手を駆使しながらその懐に入っていく。
長年現場で培った営業スキルは今でも若手には負ける気がしない。しかし、業界の風向きは徐々に変わっていった。ドル箱であった修学旅行も少子化の影響で伸び悩み、社員旅行も減る一方。個人旅行の方を見渡してもネットの台頭が著しく、正規の代理店を通さないパターンが増えているようだった。
結果的に、ワールドトラベリングのここ数年の売上は停滞し、ネット業者との過当競争に陥り利益も徐々に減少する傾向にあった。社内にあったかつての勢いはどこに消えてしまったのか。「これがまさに成熟期ということか・・・」と沢田は深いため息をついた。
成熟期。それは、沢田が最近学んだ経営用語の一つであった。沢田は、最近の業界の低迷を憂い、自身の仕事で何か変化を起こせないかと考え、ビジネス書籍を手当たり次第読み始めていた。そこで目に留まったのが、「プロダクトライフサイクル(Product Life Cycleの頭文字を取りPLCとも呼ばれる)」という理論である。その理論によれば、新しい製品の売上は、時間の推移に伴ってS字型の曲線を描いていく、ということであり、導入期、成長期、成熟期、衰退期という4つのステージがある、とのことであった。
このうち成熟期とは、「製品やサービスの潜在需要がほとんど顕在化し、売上高の成長が鈍化する状態。利益は価格競争の激化などにより低下の傾向を見せ始める」とあり、実際、沢田のいるワールドトラベリングでも、売上成長のストップと利益の低下という症状がみられていた。「自分が入社した頃は、まさに成長期だったな。でも今は成熟期か。とすると、後は衰退するしかないのか・・・」。
昨今新聞などではエレクトロニクス業界の苦境が伝えられている。確かに量販店に行けば、多くのエレクトロニクス製品は激しい価格競争に陥っている様子であり、これではどの企業も儲からないだろうと思っていた。新興市場においても、ローコストプレイヤーには太刀打ちが出来ないという記事が多い。
「エレクトロニクスも成熟期か・・・」。沢田の高校時代の仲間は意気揚々とエレクトロニクス業界へ就職していった。彼らは今どうしているのだろう。沢田はそんなことを思い浮かべながら、自分たちの業界の先行きを見るようで、暗澹たる気持ちになった。
沢田は業界が衰退期に入る前に、自分のビジネスと共に、今後の自分の身の振り方を真剣に考えなくては、と漠然と考えていた。しかし、何をどうしたらいいのかとなると、思いあぐねるばかりであった。
理論の概説:プロダクトライフサイクル(PLC)
プロダクトライフサイクル(以下、PLC)は、アメリカの経済学者であったレイモンド・バーノンによって1960年代に提唱された理論です。当初、この理論は、「製品の一連のライフサイクルの流れ」と、「海外との輸出入の関係性、もしくは海外への生産立地移転といったグローバル化の課題」を総合的に考察したモデルでした(すなわち、製品のライフサイクルが進むにしたがって、製品の生産技術の模倣、生産コストの低下につながり、コスト優位性確保のために徐々に途上国に生産拠点が移管されていく、という一連の国際貿易の動態的な変化を説明するものです)。
しかし現在、我々の多くが目にするPLC理論は、この理論からグローバルの要素が取り除かれ、よりシンプルな理論として、マーケティングの大家であるフィリップ・コトラーなどの力によって広く普及してきました。
ここでその要点を簡単におさらいしてみましょう。前述のストーリーでも触れた通り、製品やサービスのライフサイクルは、「導入期」、「成長期」、「成熟期」、「衰退期」の4つに大別できるとされており、ステージごとに特徴的な傾向が定義されています(下の図を参照)。
プロダクトライフサイクル理論の概要
新製品やサービスが導入された直後の「導入期」においては、初期投資費用が必要である一方で、その投資に見合うだけのスケールメリットや経験曲線による効果(数多くの生産を経験することで、作業の効率化などを生じ、結果、コストが削減されること)が十分ではないため、価格は高く、利益もほとんど望めません。
しかし、やがて市場が拡大していくと、引き続きマーケティングコストなどはかかるものの、規模や経験曲線によってコストが削減され、利益も拡大していきます。ただ、この「成長期」というステージでは、多くのプレイヤーが類似商品やサービスをもって参入を始めるため、徐々に競争環境は厳しくなっていきます。
そして、製品やサービスが顧客全般に広まることにより市場の拡大が止まると、当然ながら売上も頭打ちになります。これを「成熟期」と言います。しかし、このステージに入ると、一般的には導入期等と比較して多額の投資を必要としないために、コストもそれほどかからず、結果的には利益額はこの時期に最大化し、そして最終的に減少の傾向を見せ始めます。また、この時期には過去の累積生産量によるコスト構造も決まってしまうため、概して大きなプレイヤーは相対的に低コスト構造となり、後発の中小企業がそのコスト構造を実現することは難しくなります。そのために、新規参入プレイヤーの数は成長期と比較して減少します。
そして、隣接分野で新たな市場が立ち上がること等により、市場規模が減少し始めます。いわゆる「衰退期」です。衰退期では、売上がマイナス成長となる一方で、コストは変わらないために、利益額は減り、競合も新たな魅力的な市場を目指して撤退をし始めます。
ステージごとに採るべき戦略は、当然のことながら異なります。
たとえば導入期においては、市場における認知度が低く、顧客が使用イメージを持ちにくいこと、もしくは将来の価格低下を期待した買い控えなどの起きることが、大きな障害となります。そのために、製品の本質的な機能を徹底的に分かりやすくし、伝えていく必要があります。説明重視のプッシュ型コミュニケーションをすることによって、消費者側のボトルネックを解消することが定石です。そのためにチャネルを限定したり、チャネルに高いインセンティブを加えたりすることによって、確実に消費者にメッセージを伝えることを狙うケースが多くなります。
成長期においては、製品の本質的な機能に加え、補助的機能を加えて全体的な魅力を向上させることが重要になります。価格は、規模や経験効果を踏まえ、低めに設定することで普及を狙い、チャネルは導入期と比較して大きく広げていきます。プロモーションにおいてもマスコミなどを利用したプル型を利用するケースが多くなります。
成熟期においては、上記のとおり、業界のポジションが定まってくるために、業界何位企業なのかによって採るべきアプローチが変わってきます。また、様々な施策が考えられますが、これは後述します。
最後に衰退期は、撤退、もしくは最後まで残ることによって残存者利益を狙う、というアプローチが定石となります。
ここまでは多くの人がどこかで聞いたことがあると思います。感覚的にも分かりやすいでしょう。しかし、この理論は実はそこまでの理解で止まっていては実務上、ほとんど役に立ちません。実務においては、たとえば「そもそも、我々のいるビジネスが成長期にあるのか、成熟期にあるのかよく分からない」という壁にぶつかるからです。
では、それを考えるために、もう少し具体的にこの理論を見ていきましょう。
自社の事業やサービスがPLCのどのステージにあるかを見極めるには?
まず、結論から言うと、自分たちのステージは「自動的に決められるものではなく、自分たちが意図を持って決めるもの」と理解しておくのが健全です。
どういうことでしょうか。
携帯電話を例に考えてみましょう。今現在、携帯電話のステージはPLC上のどこにあるのでしょうか?日本において1億台以上が普及している現状を踏まえると、おそらく多くの人は「成熟期」と答えるでしょう。しかし、もう少し細かく見てみると全く様相は変わります。
たとえばガラケーと言われるフィーチャーフォンはどうでしょうか。成熟期の後半、もしくは衰退期かもしれません。その逆にスマートフォンと言われる製品は、まだまだ成長期の段階でしょう。更に細かく見ると、スマートフォンといっても一概には語れません。ブランドごとに見てみると、飛ぶ鳥を落とす勢いのiPhoneは成長期の真ん中かもしれませんが、その他のブランドでもはや成熟期や衰退期に陥ってしまったものもあるでしょう。
別な視野からも考えてみましょう。たとえばフィーチャーフォンは成熟期~衰退期と申し上げましたが、これは日本という市場を前提に考えています。しかし中国内陸部やアフリカ諸国で見てみるとどうでしょう。これは今、爆発的に市場が伸びているところです。間違いなく成長期、いや、ひょっとしたら導入期のステージかもしれません。
つまり、PLCのステージは、どのセグメント、どのマーケットで見るかによって様相が全く変わってくるのです。
さらに、もう一つ大事な点は、「全ての製品やサービスは、必ずしも綺麗なS字カーブを描くわけではない」ということです。
コトラーの原典をあたると、そこには「反復型」、「波打ち型」、「ファド」などのいくつかのパターンが紹介されています。
「反復型」の典型例としては、機能追加によって市場が再成長を遂げていく白物家電などがあげられます。また、DRAMのように旧世代が落ち込みながら同時並行的に新世代が新たな需要を作っていくような製品は、「波打ち型」の傾向を見せます。他方、急激に成長し、成熟を経ずに衰退を迎える「ファド」については、「何がファドになりうるのかを予想することは難しく、それを予想しえたとしてもそのファドがどれくらい長続きするのかを見極めるのは難しい」とコトラーは述べています。
PLCの典型的なパターン
つまり、成熟期にあっても、これから第二の成長期を迎える可能性はあるし、成長期にあっても、調子に乗っていたらすぐに市場が消えてしまう可能性もある、ということです。
ということはどういうことでしょうか?
結局のところ、「~期だから・・・」という考えは、後付けでしかなく、その枠組みで思考停止していることはむしろ逆効果である、ということなのです。つまり、「自分たちの業界をどう定義し、自分たちのステージをどう位置付け、更なる成長に向けてどんな戦略を打つべきか」というマインドが何よりも大事なのです。これが、冒頭で「PLCのステージは、自動的に決められるものではなく、自分たちが意図を持って決めるもの」といったことの所以です。
では、そこまで理解した上で、たとえば一旦停滞の傾向を見せ始めた市場において、更なる成長の打ち手はどうやって考えればいいのでしょうか。
成熟市場で次の成長を作り出すためには?
ここで、ジェフリー・ムーアの書いた『ライフサイクル・イノベーション』という書籍を紐解いてみましょう。第6章「成熟市場におけるイノベーションの管理」に、ヒントが記載されています。
具体的には、成熟市場においては、顧客に対する提供価値を高めていく「顧客インティマシー(親密)」型の方向性と、価値提供プロセスを見直す「オペレーショナル・エクセレンス」型の方向性の2つの手法が有効である、と述べられおり、詳細には8つのアプローチが紹介されています(下の図を参照)。
顧客インティマシー
オペレーショナル・エクセレンス
ここでは紙面の関係で詳細の説明は割愛しますが、このアプローチで著者が強調していることのうち、とても重要な点の一つは、「イノベーションというのは新たな事業機会だけに求められることではない」ということであり、「成熟市場であれば成熟市場なりのイノベーションの機会がある」ということです。
著者の言葉を借りるならば、「イノベーションの形態は多様であり、入念な計画により、企業は永遠にイノベーションを続けることはできる」のです。
解説:沢田さんはどうすべきか?
さて、ここまでの理論を踏まえて、沢田さんがやるべきことを考えてみましょう。
まず、先に述べた通り、「市場」をどう定義するか、から考える必要があります。「旅行業は成熟期だから・・・」と考えている時点で、ある種の思考の枠にはまってしまっています。まずそこから自分を解き放ち、自社の事業を単に「旅行業」とくくる前に、もっと市場自体を考えた方がよいでしょう。
たとえば、現時点では、「日本人の国内旅行、もしくは海外旅行」という前提がありそうですが、「外国人が日本へ」というインバウンド型の市場定義もあるでしょうし、「外国人が日本以外の海外へ」という市場の見方もできるでしょう。市場をどう定義するかによって、PLC上のステージは全く変わってきます。まずはそこで知恵を絞るべきです。
さらに、上記で紹介したようなイノベーションのパターンを理解して、どのような方向性が考えられるかを具体的に考えてみるべきでしょう。
「何か新しい施策を提案しろ」と言われても、既存の枠組みに縛られてなかなか新たなアイディアは出ないものです。そこでブレイクスルーのヒントになるのは、新しい思考の枠組みです。本文では、一例として、ジェフリー・ムーアの「ライフサイクル・イノベーション」から8つのアプローチをご紹介しましたが、たとえばそのような枠組みの力を借りながら思考を広げてみることをお薦めします。
たとえば、旅行業ということでこの枠組みから見てみると、「顧客インティマシー」における「顧客エクスペリエンス・イノベーション」で考えれば、「その土地に即したイベントを自ら企画することによって、旅先での顧客経験をより魅力的にすることにより、新たな顧客を獲得する」といったようなアイディアが出てくるかもしれません。もしくは、「オペレーショナル・エクセレンス」では、ネットを活用したオペレーション改善は、まだまだいくらでも考える余地がある領域のように思います。
そして、当然ながらその際に意識しなくてはならないのは、KBF(顧客の購買要因)や業界のKSF(成功要因)の存在です。顧客インティマシーなどの枠組みで考えたとしても、その段階では所詮はアイディアを出しただけ。それだけでうまくいくはずはありません。
大切なのは、定義した市場において、顧客は何を重視しているのか(=KBF)、そしてそれを満たすために必要なものは何か、という大前提を外さない、ということです。
成熟期といえども、市場は確実に変化しています。それは携帯電話の例を再度あげずとも、お分かりいただけることでしょう。思考を柔らかくして打ち手の広がりを担保することも重要ですが、大前提として、その市場がどう変化しているのか、何を求めるのか、ということをマクロ、ミクロの視点で押さえておくことが必須になります(このあたりの話は、再び第4回で紹介した書籍『企業参謀』にも通じる話ですので、改めてそちらもご参照ください)
ミドルリーダーにとっての意味合い
以上、PLCと絡めながら、成熟期における頭の使い方を見てきました。最後に、ミドルリーダーにとっての示唆を考えてみましょう。
まずは、このコラムでも過去に何度かお伝えしてきたことですが、表面的な言葉で思考停止しない、ということです。
我々はこのPLCをベースに、自分たちのビジネスに「成長期」「成熟期」といったレッテルを貼りがちです。もちろんそれ自体は悪いことではありませんが、それはややもすると、自分たちの自由な思考を阻害する要因にもなります。本文でも述べた通り、市場の定義次第によってどうにでもなるのがPLCです。PLCにおいて自分たちの市場を整理すること自体は、ほとんど価値を持ちません。むしろ、一般的に「~期」だと言われている市場の前提を疑い、自分たちなりの見方を加えて考えることの方に意味があるのです。
さらに言えば、「自己成就的予言」の恐れもあります。これは、まだそういう状態になっていないにもかかわらず、ある予言を行ったことが原因となってその予言内容が現実化してしまうことです。
たとえば、リーダー企業が「この市場は成熟だ」とか「衰退する」という想定の下、投資を控える、もしくはリソースを縮小させるとしましょう。そうすると、それが市場全体へのシグナルになり、その結果、競合も同調し、顧客もその空気を敏感に読み取り、市場が本当に衰退してしまう、ということが実際に起こり得ます。
PLCは一見すると客観的な指標のように見える一方で、多分に主観的なものであることを理解しておくべきでしょう。
次に重要なのは、自分たちの「コア」が何かということを常に押さえておく、ということです。
現状打破の施策を考えていくと必ず壁にぶつかるのが、「目の前にある現実」です。市場の定義の仕方は自由、新たなイノベーションのアイディアも自由です。しかし、それを実現しようとする際に必ず出てくるのが「でも、今のうちのリソースでは出来ない」という現実論です。
おそらく沢田さんのケースでも、たとえば「ネットの活用」と軽々しく言ったところで、「うちが抱えている店舗のリソースはどうするのだ」という現場の声に早々にぶつかるでしょう。それもまた成熟期における現実です。というのは、成熟期というのは、導入期、成長期と経てきた歴史があるために、既存のやり方の慣性の法則が非常に強いのです。しかし、その理屈に従っていれば、衰退期という結論が待っていることも事実です。
そこで、もし成熟期において、再度成長を志すのであれば、ジェフリー・ムーアの言うとおり、まずは事業における「コア」が何か、ということを見極めておくべきでしょう。
ここでいう「コア」とは、事業の本質的な価値を生み出している資産のことです。しかし、我々の身の回りには、「コア」の上に何重層ものコア以外の業務(=コンテキスト)がまとわりついています。そうした現実を踏まえ、ムーアは、「我々の日々の業務からコアだけを見極め、それ以外のコンテキストから資源を抜き出し、再配分せよ」と提言しています。
現場にあるコンテキストにまみれた理屈から考え、思考の幅を狭めるのではなく、「コア」をベースにした「あるべき論」から考えて、いかに現場をけん引していくか、ということを考えなくてはならないのです。そこには、現場をよく知るミドルリーダーの眼力が問われます。目の前のコンテキスト(=コア以外の業務)に埋没することなく、「コア」が何かを読み解くことが出来たプレイヤーのみが、成熟から成長への道筋を描くことができるのです。
今回は、PLCという理論を紐解きつつ、特に成熟期というキーワードをテーマに深堀りしてみました。日本の人口動態を考えるまでもなく、日本企業の内需型産業の多くは早晩「成熟期」を向かえることになるでしょう。だからこそ、その状況をどう捉えるかの勝負になります。そこで思考停止していては先行きがありません。現場を熟知するミドルリーダーが、自ら積極的に市場を定義し、事業を再成長に持っていく事例を数多く期待したいものです。
■参考文献:
マーケティング原理 第9版―基礎理論から実践戦略まで
ライフサイクル イノベーション 成熟市場+コモディティ化に効く 14のイノベーション
■連載一覧はこちら
#ストーリーで学ぶ経営戦略シリーズ