問題です
以下のAさんの問題は何か。
Aさんは米国系の広告代理店に勤めるビジネスパーソン。グロービスの書籍ページに「一緒に、社会に一石を投じる書籍を作りませんか?」というパートナー募集の案内があるのを見、自分でも何か本を書けるのではないかと考えた。
Aさんは自分の半生を振り返ってこう考えた。
「自分はもともと理系の大学に行っていたが、最初の就職は新聞社だった。しかも経済部とかではなく、政治部に長くいた。また、もともと英語は苦手だったが、猛勉強して、半年でTOEICの点数を500点から900点に上げた。転職後は、米国系の広告代理店でコピーライティングの仕事をしている。自分で言うのもなんだが、けっこうユニークなキャリアを歩んでいる。この経験を活かして、キャリアデザインに関する書籍なんかが書けるんじゃないだろうか」
解答です
今回の落とし穴は、「自分は特別症候群」です。正式な用語はないようですので、ここではこう呼ぶことにします。これは、自分のことを、過度に特別な存在であるとみなす人間の性向です。
実際、誰一人として同じ人生を歩んではいませんから、その意味では誰しもが「他人とは違う」ということに間違いはありません。ただ、それが、多くの人が驚くほどびっくりするほど特別かと言えば、決してそんなことはありません。確かに人とは違うかもしれませんが、99.99%以上の人は、決してびっくりするほど特別ではなく、「まあ、そんな人もいるだろう」程度の範囲に収まるものです。
これが総理大臣経験者や、ビートたけしクラスの有名タレント、イチロー選手クラスのスポーツ選手であれば、それは確かに特別な人であり、全く他者とは異なるでしょう。しかし、Aさんくらいのキャリアチェンジやスキルアップをした人は、日本中探せばかなり多く存在するはずです。
Aさんは、おそらく周りを見て「自分に近いキャリアを歩んだ人間はいない」と思ったのかもしれませんが、それはやや視野が狭いと言えます。実は人間のスキルや性向、経験などは、マクロで見れば驚くほど似通っており、本当に特殊な人は決して多くはありません。
たとえばユニークなキャリアチェンジということであれば、Aさん以上にユニークなキャリアを歩んだ人は、おそらく数十万人単位で存在するでしょう。自分というものが唯一の存在であることはその通りですが、その特別さ度合いについてはしっかり認識しておかないと、中途半端なキャリアチェンジを図ったり、Aさんのような錯覚に陥ったりと、時として判断を誤ってしまいます。
ところで、人間には、今回のケースとは逆に、過度に「自分は平均的だ」と考える性向も併せ持っています。これが人間という動物の不思議なところでもあります。
「自分は平均的だ」と考え方が行きすぎると、「自分はこう考えるのだから、他の多くの人も同様に考えるはず」という錯覚に陥ります。たとえば、ある飲食店について自分が美味しいと感じたら、他のだれもが同様に美味しいと思うはずだと考えるという錯覚です。これはこれで、時として誤った意思決定につながってしまいます。
ほとんどの人間は、あり意味平凡で特徴の弱い存在ですが、また別の観点から見ると、やはり平均や大多数の人とは異なる存在です。過度に自分を特別視するのでも平均扱いするのでもないバランス感覚を持っておきたいものです。