問題です
以下のAさんの問題は何か。
Aさんは2人の高校生の息子を持つサラリーマン。息子たちは学業も優秀で、素行もとりたてて問題はない。ただ、最近は思春期ゆえか、父親を避ける傾向にあり、Aさんとの会話はほとんどない状態である。
ある日Aさんがたまたまテレビでニュースを見ていたら、子どもが登校拒否になって大変な思いをしたという親のインタビューが何件か流れていた。
また別の日。社内で同僚と雑談している時、子育ての話題になった。その同僚はこう言った。「うちの中学生の息子が、どうも不良たちと付き合っているらしい。陰でタバコなんかも吸っているみたいで本当に頭が痛いよ」
Aさんは考えた。
「2人の息子の子育てにはかなり苦労した。B雄は小さい頃、何かの病気かと思うくらい言葉がうまく喋れなかったし、友達づきあいもできなかった。本当にどうなるかと心配したものだ。C介の方は、反対に小さい頃は落ち着きがない子で、しょっちゅうあちこちで喧嘩をしたりトラブルを起こしたりしては嫁さんと2人で謝りにいったものだ。しかし、登校拒否や非行なんかに比べれば、大した苦労じゃなかったのかもしれない。最近はほとんど会話もないけど、子どもに関しては恵まれていたかな」
解答です
今回の落とし穴は、「フォーカスされた記憶」です。これは、ある事柄について意識が行っていると、その事柄にばかり意識を奪われて過去を思い出し、実際に当時感じていたのとは異なる評価をしてしまうというものです。
そもそも、現在進行形で何かを体験中の自分の感想や評価と、時間がたった後に過去を思い出してその評価をする場合では、ギャップがあることが少なくありません。たとえば、あるプロスポーツの観戦している最中には非常に興奮を感じたのに、後になって思い出してみると、ほとんど記憶に残らないくらい平凡な印象しかない、ということがあります。逆に、当時はとるに足らないと思っていたことが、現在の自分の記憶の中では強く印象に残っているということも少なくありません。それほど、記憶とはふわふわとした曖昧なものなのです。
こんな実験があります。2つの集団に、それぞれ2つの質問をします。1つは、「あなたは幸せだったと思いますか?」というもの(Aの質問)。そしてもう1つは、たとえば「この1年間で何回上司に誉められましたか?」あるいは「この5年間で何人の異性と付き合いましたか?」「この1年間で、どのくらいドキドキするような経験がありましたか?」といった類のものです(Bの質問)。
興味深いのは、A→Bの順で質問をすると、その回答結果にさほどの相関関係は見られないのに、B→Aの順番で質問をすると、明確に回答結果に相関がみられることです。
つまり、たとえば「この1年間で何回上司に誉められましたか?」というBの質問を先にすると、上司との関係や職場環境に意識が行ってしまい、次のAの質問では、その側面に強く引っ張られて幸せだったかそうではなかったかを考え、答えてしまうのです。
今回のケースでは、Aさんは、実際には子育てでかなり苦労したにもかかわらず(そして今現在子どもたちとコミュニケーションがなくて多少淋しい思いをしているにもかかわらず)、当時の大変なことは忘れてしまい、「登校拒否や非行といった問題を起こしていない」という側面だけに目を奪われて、「子どもに関しては恵まれていたかな」と考えてしまっています。これでは、過去を正しく評価しているとは言えません。
過去の記憶やその評価は、ビジネスでもしばしば重要な役割を演じます。たとえば人事考課をする際には過去の記憶にどうしても頼る部分があります。その際に、ある側面だけに引っ張られて評価をしてしまっては、適切な評価にはならないでしょう。
あるいは、広告戦略を考える際に、ターゲット顧客がその広告を見て、その会社に対してどのような記憶を思い起こすかが想像できないと、効果的な広告にならない場合がありえます。たとえば、品質で問題を起こした会社が下手に「品質」という言葉を用いると、かえって視聴者の悪い記憶を喚起させかねないのです。
記憶は人間が日々の活動を営む上で非常に重要な役割を果たします。しかし、そこにさまざまなバイアスが入り、歪められてしまう可能性があることは銘記しておきたいものです。