問題です
以下のベンチャー経営者Aさんの問題は何か。
A: 「さて、今回の意思決定だが、なかなか悩ましいところだ。M案で行くか、N案で行くか。M案の場合、たしかにリスクは少ないし、従業員やパートナー企業の同意も得やすいだろう。ただ、長い目で見たときに競争に勝てる戦略なのかはやや自信がない。一方のN案だが、こちらは、成功すれば今の地位を強固なものにできるが、従業員やパートナー企業からの反発は必至だ。顧客の中にも、離れていってしまう人々はいるだろう。両者の折衷案もあるが、それはかえって虻蜂(あぶはち)取らずになってしまいそうな気がする。まてよ、そういえば、作家だった私の父親は『迷ったら、困難な道を行く方が、結果として良い結果が出ると信じる』と言っていたと、父の友人だった編集者のXさんはよく私に語ってくれた。父は早世してしまったので、直接父から聞いたわけではないが、Xさんの言うことだから本当なんだろう。道は違えども、親父の言葉には重みがある。よしここはN案で行こう」
解答です
今回の落とし穴は、「事例証拠の誤用」です。誤謬の一種とされます。事例証拠とは、逸話や噂話、伝聞などの形をとるもので、何かを主張したり意思決定したりする際の根拠とするには弱いとされます。にもかかわらず、人は往々にしてこれらを根拠に重要な意思決定をしたりします。これが「事例証拠の誤用」です。
ちなみに、科学の世界では、以下のような条件を満たすものが事例証拠とされます(Wikipediaより)。
「事実や入念な研究に基づかない情報」
「非科学的な報告や研究結果であり、証明されていないが、調査結果を補助するもの」
「通常、科学的でない観察者が行った報告」
「厳密あるいは科学的分析ではない、略式の報告」
今回のケースでは、そもそも畑違いの父の信念がビジネスの意思決定にも通じるのかという問題がありますし、編集者のX氏の言葉が、正確な伝聞なのかも証明できません。ひょっとしたら、X氏の方でどんどん話を大きくしてしまった可能性もあります。
本来、多くの人々に影響を与える重要な意思決定であれば、もっと科学的、合理的に妥当性を検討するのが望ましいといえます。たとえば、自社の状況に応用可能なビジネスの理論を精査し、それに基づいて考えるといった方法です。そこをはしょって、事例証拠に飛びつくのは賢明なやり方とはいえないでしょう。
事例証拠は往々にして、さまざまな誤謬やバイアスと重なって、強固な根拠として一人歩きすることがあります。今回の例も、もしA氏がN案を採用して成功を収めれば、「父の信念はやはり正しかった」という確信につながるかもしれません。
それがさらに確証バイアス(自分の主張を補強するような事象や出来事にばかり目を向けてしまうという思考の癖)と重なったりすると、A氏は、リスクをとって成功したときのことや、仲間のそうした話は重く見る一方で、その逆のケースは無視しがちになるかもしれません。
また、今回のケースは、いかにも経営者の俗耳に馴染みやすいものであるという落とし穴もあります。特にベンチャー経営者などは、もともとリスク選好の高い人々なので、ただでもM案を選びやすい素地があります。だからこそ、なおさら冷静な判断が必要なのです。
なお、事例証拠は、それだけに頼ることが問題なのであり、内容そのものが間違っているということを意味するものではありません。ビジネスに限らず自然科学の世界においても、事例証拠が最終的には妥当性が高いことが証明され、科学的に説明されるようになった例は少なくありません。
自然科学に比べると、普遍的な真理が存在しにくいビジネスの世界だからこそ、事例証拠とは適切に付き合っていきたいものです。