問題です
以下のBさんの考え方の問題点は何か。
A: 「俺は、Z知事はけっこう頑張っていると思うよ」
B: 「なぜだい」
A: 「だって、長年懸案事項となっていた○○問題や△△問題も解決したし、例の□□事件の時の対応も早かった。過去の知事に比べたら立派なものさ。なにより、自ら広告塔となって県のセールスマンとして機能している」
B: 「確かに、それは否定しない。しかし、俺は君の意見には同意できないな」
A: 「それはまたどういう理由からだい?」
B: 「知っていると思うが、Z知事は女性関係がルーズだ。それが原因で離婚したというじゃないか。それに、広告塔と言っても、元タレントなわけだから、それは割り引いて考えないと」
A: 「・・・」
注:本事例は架空の事例です
解答です
今回の落とし穴は、「論点のすり替え」です。個別の発言そのものは筋が通っていても、そもそもの論点(イシュー)にそぐわない意見になってしまっているというものです。意図的に論点をすり替えるケースを特に「燻製ニシンの虚偽」と呼ぶこともあります(猟犬が正しい行動をとるための訓練に、燻製ニシンを用いたところからこう名付けられました)。
今回のケースでは、もともとA氏の主張は、「Z知事は頑張っている」、言い換えれば「知事として結果を残している」ということです。もしこれに反論するとするなら、以下のような意見であれば、論点に沿った議論と言えるでしょう。
「実は○○問題が解決したのは前知事の遺産を引き継いで今の副知事が頑張ったおかげであって、Z知事はほとんどタッチしていない」
「君の挙げた点についてはその通りかもしれないが、一方で、▲▲や■■の問題については、地元民とのコミュニケーションミスから問題をこじらせてしまって、かえって解決から遠ざかってしまった」
「○○問題や△△問題は他県の知事も一定の成果を出しているわけで、Z知事の成果というより、時代の流れが味方したというべきだろう」
ところが、実際にBさんが出した根拠は、女性関係の話と、元タレントだから広告塔としての実績は割り引くべき、というものでした。
女性関係について言えば、本来、実績とは関係ない話です。もし論点が、「Z氏は知事として適切か」あるいは「知事の資質があるか」ということであれば、その根拠の1つとして、「実績」以外にも「プライベートでの品性」を議論することはあり得ます。人々のロールモデル役も期待されるからです(政治家にロールモデルとしての役割を期待すべきか、という議論はまた別途あるかもしれませんが、それはここではいったん措くものとします)。
元タレントだから、というのも、現在の実績を議論するのであれば、あまり関係のない話です。元タレントだろうが、元官僚だろうが、元県議だろうが、広告塔と機能しているのであれば、それは正当に評価すべきでしょう。逆に、「元県議なんだから、議会とのパイプが太いのは当たり前で割り引くべき」と言うのが、現在の実績を議論する上であまり意味のない意見であるのと同様です。
この「論点のすり替え」にはさまざまなバリエーションがあります。たとえば、第9回で解説した「自然主義の誤謬」も、「こうあるのが自然だから」という、すり替えの一種です。
「そういう君はどうなんだ」というパターンも、非常によく用いられる論点のすり替えです。たとえば、公共サービスのあるべきレベル感、たとえば窓口を開いている時間について議論しているときに、「そういうことを言うけど、じゃあ君の店は24時間営業なのか」と言い返すパターンです。
あるいは一般人が、新聞における署名記事の是非を議論しているときに、「では君は実名を用いて匿名掲示板で意見を言うのか」というのも同様です。この「そう言う君はどうなんだ」という応酬は、度を過ぎると、第33回でも少し触れた「人格攻撃」に発展しやすいので特に注意が必要と言えるでしょう。
グロービスのクリティカル・シンキングでは、まずイシューを強く意識するところからスタートします。常に、何が今の論点なのか、いま何の話をしているのかを強く意識したいものです。