問題です
以下の議論の問題点は何でしょうか
Aさん: 「最近、子どもに対する虐待が本当に増えたよね。ネグレクトとかもよく話題になるし」
Bさん: 「この前見た資料だと、統計を取り始めた1990年に比べて、児童虐待の相談件数は30倍以上に増えたんですって。30倍以上よ!」
Aさん: 「いやな時代よね」
Bさん: 「本当に」
Aさん: 「でも、30倍以上ってすごいわね。平成時代になって、どんどん若い親が無責任になっているのかしら。それとも、昔に比べて、子どもに対する愛情というものが薄れたのかしら」
解答です
今回の落とし穴は、“AppletoOrange”です。本来、単純に比較してはいけないものをそのまま比較してしまい、間違った推論をしてしまうというものです。
今回のケースでは、児童虐待の相談件数が、ここ20年ほどで30倍以上に増えたことを理由に、若い親が無責任になった、あるいは子どもへの愛情がなくなってきたという推論をしています。しかし、そもそも、児童虐待の相談件数は、本当に児童虐待の実態件数を反映していると言えるでしょうか。見方を変えて言えば、20年前は、児童虐待の数が本当に現在の30分の1以下だったのでしょうか?
常識的に考えれば、やはり急増しすぎの感があります。昔だって、たとえば育児ノイローゼから児童を虐待する親はいたでしょう。
このケースでは、児童虐待の報告件数が、必ずしも児童虐待の実数を反映していない可能性が高そうです。相談件数が増える可能性はいくつか考えられます。たとえば以下のようなものです。
1)マスコミ等の報道によって児童虐待に対する関心が増した結果、昔だったら相談しなかったような人でも、相談してくるようになった
2)児童虐待というものに対する認識の基準が厳しくなった。たとえば、昔であればちょっとした躾として許容されたような行為(例:軽くつねる)が、あざが残るなどして、児童虐待ではないかと疑われるようになった
今回のケースでは、こうした要因が重なり、「報告件数」が増えた可能性が考えられます。おそらく、「ネグレクト」などの報告件数も似たような傾向にあるでしょう。「ネグレクト」という概念は比較的最近のものです。概念がない時代には、そもそも測定すらされていません。「今考えれば、あれはネグレクトだった」という事例もあったはずですが、昔はそうした考え方が浸透していなかったため、報告件数だけを見ると、近年になって急増しているように見えてしまうのです。
このケースに限らず、何か数字を比較するときには、「比較して意味があるか」ということに強く注意する必要があります。以下は、よく起こりがちな“AppletoOrange”のパターンです。
・定義が違う(例:C国とD国では「失業者」の定義が違うのに、単純に失業率を比べてしまう)
・調査対象が違う(例:E社の従業員満足度調査は正社員のみ対象なのに対し、F社ではフルタイムの契約社員や派遣社員すべてを対象に調査を行っている)
・集計方法が違う(例:G新聞社の調査は電話アンケート、H新聞社の調査はインターネット調査)
・時期や場所が違う(例:去年の調査は繁忙期で余裕のない時期、今年の調査は閑散期で余裕のある時期に行った)
余談になりますが、日本経済の好不況を示す重要な指標である「日経平均225(日経平均株価)」ですら、過去の数字との連続性にはしばしば疑問が投げかけられます。「日経平均225」に採用する会社(銘柄)は、時代性を反映してときどき入れ替えられるのですが、その際、「除数」という調整用の数字も変更されます。この除数が、入れ替え期の新銘柄の高流動性とそれに伴う株価上昇に影響を受けてしまって適切な数字にならない結果、そこで連続性が途切れてしまうという指摘もあるのです。ここでは詳細な説明はしませんが、ご興味のある方はぜひ調べてみてください。
数字は、1つの数字のみでは意味を持ちません。別のある数字(過去の数字、予算の数字、他社の数字など)と比べて、初めてそこに意味合いが生まれます。だからこそ、本当に比べて意味のある数字同士となっているのか、言い換えれば、“AppletoOrange”ではなく、“AppletoApple”になっているかに注意を払わなければいけないのです。
なお、今回の議論は、あくまで数字同士の比較に関する議論であるということも忘れないでください。実際の経営では、たとえば「企業文化の維持」と「需要増に伴う人員の大量採用」のどちらを重視するかという、まさに“AppletoOrange”の比較検討も必要になります。ただし、これは別テーマの定性対定性(あるいは別テーマの定量対定性)の議論だからこそ許容されるのです。同テーマの定量対定量、つまり数字同士の比較の際には、常にそれが“AppletoApple”なのか意識することが必要です。