問題です
以下の上司の下線を引いた発言の問題点を考えてみましょう。
上司: 「結局、あの事業はぜひやりたいということか」
部下: 「リスクもあるかもしれませんが、わが社の体力があれば十分に取りうるリスクかと思います」
上司: 「うん。でも、君がGOの判断をした真の理由は他のところにありそうだな」
部下: 「と言いますと?」
上司: 「私には、結局、君の使命感の強さゆえだと思う。使命感があれば、リスクなんて恐れるに足らない。君がリスクを恐れないのは、君に使命感があるからだろう、と思ってね」
解答です
上司の「使命感があれば、リスクなんて恐れるに足らない。君がリスクを恐れないのは、君に使命感があるからだろう」という発言は、一見、もっともらしく聞こえます。実際、このように言われて、思わず納得してしまった経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
しかし、冷静に部長の論理を紐解いてみると、彼のロジックはおかしなことがわかります。今回は、ベン図と呼ばれる、包含関係を表す図を用いながら、彼のロジックを分析してみましょう。まず、上司が前段で言っている、「使命感があるならリスクなど恐れない」という主張について、「使命感がある」と「リスクを恐れない」の関係をベン図で表すと以下のようになります(ここでは、本当にこの主張が妥当かはいったんおいて、純粋にロジックのみを見ます)。
・使命感がある
・リスクを恐れない
・使命感があるならリスクなど恐れない
このベン図の関係を前提とすれば、確かに「使命感があるならリスクなど恐れない」が成り立つことを確認してください。
次に後段の主張ですが、上司は以下のような三段論法を用いています。
・使命感があるならリスクなど恐れない(大前提)
・君はリスクを恐れない
・よって、君には使命感がある
このロジックは、上記のベン図からもわかるように、必ずしも成立しません。他の理由からもリスクを恐れない可能性があるからです。たとえば、使命感がなくても、過度の功名心や蛮勇、単なる分析不足から、リスクを恐れない可能性はあるのです。
こうした落とし穴を「後件肯定」と言います。ここで後件は「リスクを恐れない」となります。しかし、この後件を肯定し、大前提が成り立つと仮定しても、君(部下)に使命感があるとは必ずしも言えないのです。
もっと極端な例で考えてみましょう(何事もそうですが、極端な事例を考えると、ロジックやセオリーの妥当性チェックがしやすくなるので、ぜひご活用ください)。
・三毛猫はメスである(大前提)
・この猫はメスである
・よって、この猫は三毛猫である
(注:ごく稀に例外はありますが、遺伝学上、基本的に三毛猫はメス猫です。筆者の家で飼っている「ミケ」もメスです)
このような極端な例を考えるとわかりやすいのですが、どうしてしばしば人間は後件肯定の落とし穴に陥ってしまうのでしょうか?
1つの理由として、実際に「逆もまた真なり」ということが多いからかもしれません。「逆」とは、「AならばBである」という命題に対する、「BならばAである」という命題です。たとえば、「躾のいい親ならば、躾のいい子供になるように育てる」の逆を考えてみましょう。「躾よく育てられた子供は、躾のいい親を持つ」は、現実としてはかなり当てはまっていそうです。あるいは、「倫理性の高い人間は脱税をしない」と「脱税をしない人間は倫理性が高い」もそうかもしれません。つまり、世の中には、ベン図で表すとニアリーイコールとなる事例が現実的に多いため、本来は先の図のような単なる包含関係になるものまでも、同様のニアリーイコールの構図で考えてしまうというわけです。
もう1つの理由として、人間は抽象的な事柄をベン図的に考えるのが苦手、ということもあるのかもしれません。「猫」「三毛猫」「メス猫」は具体的なモノなのですぐに変だな、と気づいても、「使命感がある」「リスクを恐れない」などとちょっと抽象的になると、包含関係を考えるのは急に難しくなるのです。
後件肯定は、意外に多く見られる現象です。抽象的な事柄についても、ぜひ、一度頭の中にベン図を作ってイメージで考える訓練をしてみてください。
今回は、ちょっと復習用の課題を出しましょう。以下のロジックのおかしな点はどこでしょう?
「愛しているなら、何でも相手の言うことをきく。彼女が何でも僕の言うことをきくのは、彼女が僕を愛しているからだ」