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ジャカルタ・クアラルンプール出張報告~震災後のアジア歴訪

投稿日:2011/06/20更新日:2024/11/25

(6月12~16日まで出張中に呟いたツイッターを加筆修正したものです)

さて、今からジャカルタに向けて旅立つこととしよう。今回の出張の目的は、ジャカルタで世界経済フォーラム(WEF)主催の東アジア経済サミットで登壇することと、マレーシアで開かれる世界ブロガー大会でキーノート・スピーチをすること。大体スピーチの骨子も固まった。後はフライトの中で肉付けするだけだ。

ジャカルタのホテルに到着。空港に降り立って感じるアジア的喧騒と湿気のある空気は、独特だ。空港で「WEF」と言えばビザの取得も通関もVIP待遇で、横から入れてもらえた(待っていた方には申し訳ないが)。今から受付でもらったバティックを着て、インドネシア大統領主催の晩さん会に向かう。

真っ赤なバティックに着替えて、バスで会場入口へ移動。レッド・カーペットに導かれて、大ホールへ。中にはテーブルがギッシリと並んでいた。ざっと見て2000人程度だろうか。会場で多くの人と挨拶する。クラウス・シュワブ氏も、僕の顔をしっかりと覚えてくれていた。(そこまでの関係になるのに、6、7年かかったけど)。

前から3列目ぐらいのテーブルに着席し、隣に座ったインドネシアの若きビジネスマンと話をした。彼はスタンフォードMBA取得者で、僕が以前スタンフォード大学でスピーチした時のことを覚えていた。世間は狭い。しかもこうやって繋がっていく。彼は、インドネシア最大規模の財閥の御曹司でもあった。

司会に促されて、立ち上がり拍手をしながらユドヨノ大統領をお迎えした。カンボジアの首相も一緒に登場だ。今回は、リー・シェンロン・シンガポール首相他、タイ、モンゴルの首相も参加している。それこそ、政官財学のアジアのトップが集結している。大統領のスピーチで晩さん会が始まった。

ユドヨノ大統領は、3つのことを話された。一番目はふむふむと何気無く聞き流していたが、二番目に、「Japan」という言葉を口にされた時に、僕は顔を上げた。何と大統領はそれから5分程の間、日本のことを話されたのだ。地震で示した日本人の精神的強靭さを称え、今までの日本の貢献に感謝し、「日本とインドネシアの戦略的有効関係を確認するために日本に今週末に行く」と言明された。そして、「この大変な時期によく来てくれた」と、僕ら日本からの参加者を労ってくれたのだ。一挙に、日本人のハートを掴んだ。素晴らしきリーダーだ。

返礼として、三菱商事の児島会長が、経団連の副会長の立場で登壇した。15分程度の比較的長いスピーチだが、日本の震災の状況説明、経済界がとった速やかな復旧対応、風評被害への格的根拠に基づく冷静な行動の要請、そしてインドネシアとアジアと「手を合わせて」繁栄に向けて努力する旨表明あった。

晩さん会における大統領の日本への言及と児島会長の15分ものスピーチは、異例なものだ。日本への特別な配慮が感じられた。日本からの参加者は、全体の中で2、3%程度である。東芝の西田厚聰会長、世界税関機構の御厨邦雄事務局長、竹中平蔵氏等。一方、次代のリーダーとしてグリー社長の田中氏、ライフネット生命副社長・岩瀬氏、オイシックスの社長・高島氏等だ(たまたま3人ともグロービスの投資先企業のトップだ)。

晩さん会には国の威信がかかっている。料理も一流だし、パフォーマンスも豪勢だ。正面の舞台の壁一面がスクリーンとなって、インドネシアの美しい自然と人々の表情とが映し出される。僕は、会場内を歩き回り適宜挨拶をしながら、隣の好青年と会話を弾ませた。イスラム国だからか、正式な晩さん会にも拘わらず、お酒は出なかった。

早目に晩さん会を切り上げ、竹中氏とともに日本から来ている政治家等と情報交換した。一時間ほど、政局、エネルギー政策、大連立の可能性などを意見交換した後に、ホテルの会場に戻り、ナイトキャップに参加した。ナイトキャップは、隣にいた好青年がホストしていたので、どうしても顔を出したかったのだ。ホテルの中庭のプールサイドで開催され、インドネシアで著名な歌手が美声を披露していた。

参加者に混じり、美しい女性の方が多くいた。不思議に思いその美女たち3人に声をかけてみた。一人が元ミス・ユニバース・インドネシア代表経験後、ニュースキャスターに転身。一人が、著名なバイオリニスト(マイラ)。もう一人は、ミス・ユニバース代表経験後、女優(アグニ)になったという。皆ここでは、超セレブらしい。

彼女達は、美しいばかりか、賢いし、英語もぺらぺらで会話が凄く楽しい。「どうしてここにいるのか?」と質問したら、「インドネシアを代表して、海外からのVIPをおもてなしするためだ」と答えが返ってきた。ボランティアで来ていると言うのだ。とても感心した。最後はその3 人とFacebookで繋がる約束をして別れた。

WEFの会合でよく会うモンゴル出身とタイ出身の「悪友」と連れ立ち、クラブに顔を出した。僕は、明日のスピーチ準備があるので早目にホテルの部屋に戻った。

翌日朝食会に参加。日本とアジアとの対話がテーマだ。日本からは、西田・東芝会長、小島・三菱商事会長の両経団連副会長に竹中平蔵氏等。アジアからは、インドネシア、マレーシアの大臣に加え韓国大使、中国大連の副市長等。冒頭の西田氏の挨拶はしっかりしていた。財界のトップは、かなり信頼できる。

印象に残ったのが、国連事務総長補ステルザー氏の発言。「2050年に50%人口が増え、CO2を50%減らす必要がある。その際に重要なのは、原子力発電のクリーン・エネルギーだ。ドイツ・スイスが原発から撤退した結果CO2の排出が増えるのが心配だ。原発を中心としたグリーン経済が重要だ」。

今からタイ国首相を交えた昼食会だ。僕の横には、マッキンゼー代表のドミニック・バートン氏だ。アピシット首相は、流暢な英語で淡々と喋られた。今のアジアの総理としては、もっとも英語がうまい。原稿等一切なく、冗談を交えながらスピーチされた。だが、英語が喋れるからといって良いリーダーとは、限らない。英語力は明らかにプラスだが、それ以上にリーダーシップ能力が重要だ。7月3日の選挙で当選されるかどうかが重要だ。

昼食後に、僕が登壇した。「ソーシャルメディア」をテーマとするパネル・ディスカッションだった。グロービスは、ソーシャルメディアへの投資実績は10社以上になる。成功の代表格がグリーだ。得意分野の話でもあるので、かなり貢献できたと思う。

パネルが良かったかどうかは、大体終わった後の反応でわかる。多くの方から、「グッド・ジョブ。面白かった」と声をかけられると成功だ。そのパネルの後に、「じゃかるた新聞」より取材を受ける。

筆者注.後日、その新聞の記事がグロービスのGMBA生の目に止まり、MBA生のメーリング・リストに以下アップされた。「先週インドネシアへ出張していました。その際6月14日付けジャカルタ新聞(日本人向け)一面に堀学長の記事が載っていました。(中略)海外でも堀学長を中心にグロービスが注目されつつあるんですね。それにしてもインドネシアで一面ぶち抜きとは、うれしい驚きでした」。

その後、タイのアピシット首相のスピーチで、幕を閉じた。「タイ王国の皆様、ガスタービンありがとうございました」という僕のツイッターの呟きに返信が来ていたので、僕も、アピシット首相に近寄り、握手をした瞬間に「ガスタービンを日本に送ってくれて感謝しています」と伝えた。首相からは、強く手を握り返され、「Our pleasure」と御返事された。日本人として直接しっかりとお礼できてすがすがしい気持ちとなった。

レッド・カーペットが巻かれ、仕舞われていく。僕は、途中までレッド・カーペットを歩き、切れ目から普通の絨毯に踏み変えた時に、「あ~、終わったんだ」と思った。僕の登壇もうまくいき、新しい出会いがあり、古い友情も更に深まった。なかなか充実した会議だった。

その晩は、インドネシアのEO(起業家集団)の仲間と会食、二次会、三次会。1997年4月に僕がアジアの初代EO代表だったころに、ジャカルタに来て、EO(当時YEO)インドネシアを立ち上げた。もう14年前のことだ。その時のメンバーも駆けつけてくれた。

EOの友達からの「どうしてジャカルタに?」という質問に、「WEFの東アジア経済サミットでスピーチをしに来たんだよ」と答えたら、皆ビックリ。「どうやったら参加できるの? なぜスピーカーに呼ばれるの?」と質問攻めを浴びた。僕が親しくなったインドネシア人の名前を出すと、偉い方ばかりでまたビックリ。僕のことを見る目が変わっていくのがわかった。この機会を得た事に感謝したい。

EOの日本人は、今はグローバル化に熱心だ。英語を喋るクラブをつくったり、海外イベントに積極的に顔を出したり、起業家らしく積極的でとても良い。最近は、海外に移住する人も増えてきた。シンガポールに猪塚さん、そしてジャカルタに横濱さんだ。今回は、横濱さんにお世話になった。感謝です!

今からマレーシアに向けて、ホテルを出る。ジャカルタの40時間弱の滞在は、とても有意義だった。一方、日本では、昨夕から日経での僕の連載である「こころの玉手箱」が始まっていた。

クアラルンプールに到着、空港はモダンだけど、都心までちょっと遠い(成田よりましだが)。ホテルでチェックイン後、下着を洗濯し干してから仕事にとりかかった。最近は荷物を軽くするため、途中で洗う様にしている。インドのウィプロ・テクノロジーズ社の創業者アジム・プレムジ氏も出張先のホテルで自ら洗っているという。ビリオネアなのに偉いと思った。

翌日のスピーチの準備完了。いよいよ「世界ブロガー&ソーシャルメディア・サミット」が開催される。マハティール元首相も登壇するこのサミットの冒頭は、情報通信大臣の20分のスピーチだ。間髪入れずの次のキーノートが、日本の堀義人である。時間は、大臣より長い25分だ。テーマは、「震災とKIBOW」だ。

このスピーチに至った理由が、KIBOWの立ち上げ後に僕が海外VIP3600名宛てに送った「Email from Japan」だ。震災後必死になって英語でメールを発信しているうちに、世界中から登壇依頼が来るようになった。記憶にあるだけで、韓国、スイス、アメリカ等だ。

このサミットは、たまたまジャカルタの東アジア経済サミットの直後で、テーマが面白く、世界のブロガーと友達になれるチャンスと思い、条件付きでOKを出した。その条件とは、「初日のキーノート・スピーチなら受ける」だった。そうしたら、一番いいスポットを用意してくれた。

僕は、大臣の後、25分にわたり、殆ど原稿に目を触れずに冷静に且つ熱く喋り続けた。反応は、上々だ。僕の次のパネルまで聴講したのちに、マレーシアの投資先の事務所に向かった。一緒にラーメンを食べながら、意見交換した。とても優秀なオーストラリア人が、巨大企業のCFOを任されていた。

ホテルに戻り、メールに返信して、ボストン、東京、ジャカルタと続いた旅の疲れを癒すために泳ぎ、マッサージを受けて帰路に着いた。

クアラルンプールの空港ラウンジ。JALのラウンジは閉鎖して、キャセイの間借り状態になった。コスト削減でやむをえないのだろうが、美味しくない「海南チキンライス」しか食事がないのも寂しいところだ。

飛行機の中では、ぐっすりと寝て、翌日の朝成田に到着。その日のランチタイムからギッシリとスケジュールが入っていた。

2011年6月20日
三番町の自宅にて執筆
堀義人

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