5月の連休に二つの国際会議の予定が重なった。一つが、スイスの名門サンガレン大学で行われる「サンガレン・シンポジウム」。もう一つが、世界経済フォーラム(WEF)が主催する「アフリカ経済サミット(アフリカ版ダボス)」であった。毎年このアフリカ版ダボスは、南アフリカで開催されるが、今年は、ワールドカップ・サッカーが行われるので、初めてタンザニアで開催される予定であった。一方のサンガレンは、「学生向けダボス会議」とも呼ばれるものだ。日程が重なっているので、どちらかを選択するしかないのだ。
サンガレンは、分科会のスピーカーとして話が来ていた。一方のアフリカ版ダボスは、僕の好奇心を掻き立てる新規性があった。僕は、アフリカ大陸のモロッコとエジプトには行った事があるが、サブサハラには行った事が無いのだ。更に、僕が加盟しているグローバル・グロース・カンパニー(GGC)の枠組みであれば、参加費は無料であった。サマーダボスと地域会議の参加分を含めて既に、年会費として、支払われているからだ。
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サンガレンの事務局は、とても熱心に誘ってくれた。敬意を表したい。僕が、唯一引っかかっていたのが、分科会でのスピーカーとしての参加という点だけだった。しかも、その分科会は、十数以上に分かれているものの一つなので、限られた人としか接点を持てない。更に、日本から既に全体会のスピーカーが決まっている事実も、僕を複雑な気持ちにさせた。
日本のためには、キーノートで喋る人がいる事は、歓迎すべきことである。一方、シンポジウムとしては、日本人のキーノートのスピーカーとして2人を登壇させられないことも良く理解できた。僕も、G1サミットやあすか会議を主催しているので、分科会がとても重要なことを理解できていた。でも、何となく気乗りしなかったのだ。
僕は、自分が今まで成し遂げてきたことに、ある一定限の自負を持っている(ただし、自分の目標に対しては、まだまだ2合目ではあるという意識も同時に持っている)。世界的に見ても、主要国のトップ・スクールとなるような経営大学院をゼロから起業した人など、世界中どこを探しても見あたらない。さらに、ビジネススクールばかりか、ベンチャー・キャピタルをも同時に起業した人などいない。
インターネットの分野でビリオネアとなるよりも、自分の中では、多くの人を教育し、多くの産業・企業を創出する方が、価値があると思っている。でも、残念ながら、自分の中での軸と、社会的な評価の軸が、違う場合が多い。何せ、世界的な知名度が足りないのだから仕方がない。その現実の評価の差に納得できていなかったのかもしれない。だから何となく、気乗りしないのだ。
僕にしては、珍しく最後の最後まで意思決定できなかった。主催者には、とても迷惑をかけたと思っているが、最終的には、今回のスイスでのありがたい話を断り、行ったことが無い未知の世界に飛び込むことにした。アフリカへの出張である。
ただ、5月前半となるとGWに重なってしまう。家族に迷惑をかけないように、GWを2つに分けて考えた。前半をファミリーとの時間として大切に過し、後半からタンザニアに向かう計画を練った。どうせアフリカのタンザニアに行くならば、スケジュールが許せば、私費でサファリに行ってみたいとも思っていた。
僕にとって初めてのサブサハラだ。何せタンザニアのアフリカでの位置関係もわからないのだ。旅行代理店によると、どうやら黄熱病の予防接種を事前に受ける必要があるらしい。「黄熱病って何だろう、え、マラリアの危険性もあるのか」、という程度の知識である。バタバタしている仕事の合間に東京のお台場で予防接種を受け、マラリアの予防薬も日比谷で入手した。
GWの前半は、計画通り、囲碁や公園などで家族との時間を大事にとり、後半、アフリカに向けて飛び立つことになった。GWの唯一の心残りは、鯉のぼりを揚げられなかったことだ。5月人形を自宅で5人分飾り、鯉のぼりを山小屋で家族分泳がすのが、毎年の恒例となっていた。今回は、僕の海外出張、子供の囲碁の練習、そして長男の中学の文化祭(何故だかGW中に開催される)が重なり、山に行けなかったのだ。
後ろ髪を引かれる思いで、自宅を出て、羽田経由、関空乗り換えでカタールのドーハに向かった。そして、ドーハから、タンザニアの首都ダル・エス・サラームに向かった。こういう発展途上国に向かうと、元商社マンの血が騒ぐ。商社マンにとっては、先進国よりも発展途上国の方がワクワクするのである。
東京を発ってから24時間後にタンザニアに到着。ずっと機内にいた感覚だ。空港を出ると、水色の空に真っ白の入道雲が豪快に広がる景色が広がっていた。思わず長袖を脱ぎ捨てTシャツ姿になった。
2010年5月5日
ンゴロンゴロを見下ろすホテルにて執筆
堀義人