2019年ノーベル経済学賞をMBA的に解説――貧困問題に見る演繹的思考の限界とエビデンスの破壊力

演繹的発想に基づく「べき論」で見えにくくなる貧困問題

日本ではあまり大きな話題にならなかった感がありますが、今年のノーベル経済学賞は、アビジット・バナジー、エステール・デュフロ、マイケル・クレマーの3氏に授与されました。バナジー氏とデュフロ氏は夫婦であり、ノーベル賞史上6組目の夫婦受賞となりました(ちなみに第一号は、日本でもおなじみのキュリー夫妻、第二号はその娘夫妻です)。デュフロ氏は、経済学賞受賞者としては最も若い46歳ということでも注目を浴びました。

彼らの功績を端的に言うと、「べき論」ではなく、具体的なエビデンスに基づいて最貧国(とくにアフリカのサブサハラ地域やインドなど)の貧困撲滅に効果的な手段を見出す方法論を開発し、またそこで見出した手段の推進にも貢献したというものです。

伝統的に、最貧国に対する貧困対策は「べき論」がまかり通る世界でした。「これをすればこうなるはずだ」という発想のもとに、いろいろな援助を行ってきたのです。これは典型的な演繹的発想です。

演繹的発想とは、

・人はいつか死ぬ(大前提)
・ソクラテスは人である(小前提)
・よってソクラテスはいつか死ぬ(結論)

という発想法、思考法です。三段論法とも言われ、非常に分かりやすい思考パターンです。

一方で落とし穴もあります。上記の命題は明らかに正しいことがわかりますが、いつもそうとは限りません。演繹法の弱点に、大前提が間違っていれば、論理展開は正しくても誤った結論を導くというものがあるのです。

たとえばアフリカではマラリア(蚊に刺されて感染する)で亡くなる子どもが後を絶ちませんが、殺虫剤入りの蚊帳を用いると、かなりそれを防ぐことができます。そこで、次のような発想が出てきます。

「貧しい人々は殺虫剤入りの蚊帳を買うことができない。支援団体が無料配布すべきだ」

これは一見正しいように思えます。実際、何もしないことに比べたら、無償で人々に殺虫剤入りの蚊帳を配ることで、マラリアの害はある程度減ります。

一方で、次のような意見も出てきます。

「無償配布したら、人々はそれに価値を見出さなくなる。そうすると人々はその他の価値のあるものもお金を出して買おうとはせず、市場機能が崩壊してしまい、長い目で見たらかえってその国の発展を阻害してしまう。よって無償配布ではなく、あるレベルの金額で買ってもらう方がいい」

これはこれで説得力のある考え方であり、かつてはそのどちらがより妥当なのか議論されたこともあるようです。こうした問題は、往々にしてその人の立ち位置やメンタルモデルなどが絡んできてしまうため、「神学論争」になりやすいという難しさがあります。

エビデンスを武器に貧困撲滅の方法論を発見

そうしたところに、実験結果に基づいたエビデンスという武器で革新を起こしたのが今回の3氏の功績です。彼らが用いたのはRTC(Randomized Controlled Trial:ランダム化比較試験)と呼ばれる手法です。元々医薬品開発などで用いられてきた手法を貧困撲滅の有効な手段発見に応用したのです。

RTCでは、「それ以外の条件はほぼ同じ、比較対象できるサンプル群」を作り、ある要素だけ変えてどのような差異が生じるかを見ます。先の蚊帳の例でいえば、無償配布と有償で買ってもらう場合でどちらが効果が出るかを調べ、それをエビデンスとするのです。その意味で、最近、ウェブマーケティングなどで頻繁に用いられているA/Bテストに似た部分もあります。なお、RTCでは、通常のA/Bテストとは異なり、広く妥当性を担保するために、実験は複数回、さまざまな地域で行われます。

彼らはこうして、限りある資源(人やお金)を有効活用できるような、より費用対効果の高い貧困撲滅の方法論を発見し、広めていったのです。一例を挙げると以下のようなものです。

・成人に金銭的な援助をしても、彼らの食習慣は簡単には変わらず、効果は薄い。一方、子どもや妊婦に直接的に食料援助する方が劇的な効果が見込める

・水を殺菌する塩素と、塩と砂糖を安価に提供するだけで、下痢で死ぬ子どもは劇的に減る。病院に来てから点滴をするような対応は、費用対効果が非常に低い

・教科書や昼食を無償で提供して学校に来てもらうようにするよりも、理解が遅れがちな生徒に対する補助教員(それほどのスキルはいらない)を増やす方が、教育レベルは上がる

・性行為を自制するように若い女性に説いてもHIVの感染率は変わらないが、「中年男性ほどHIV感染率が高い」という情報を知らせるだけで若い女性のHIVの感染率は下がる

これらはほんの一例であり、彼らの発見は、今世紀の貧困撲滅の在り様を根源から変えていったのです。

ちなみに、今回の貧困撲滅とは全くテーマは異なりますが、教育論なども往々にして個人の体験や理想論から来る「べき論」同士の戦いになりやすい分野です。そこに一石を投じたのが、わが国では2015年に出版された『学力の経済学』(中室牧子/著)でしょう。

例えば「結果を褒めるのとプロセスを褒めるのでは、どちらが子どもが伸びるか」という問いに、頭の中でだけ考えていても結論は出ません。そこで実際にRTC的な実験をし、そうしたエビデンスをベースに物事を考えていくべきという趣旨の書籍で、ベストセラーになりました。

もちろん、エビデンスが本当に汎用性のあるエビデンスなのかを担保することは簡単ではありません。しかし、理想論や個人的な経験にとらわれた「べき論」より、適切なエビデンスを用いた意思決定や制度設計の方が、はるかに費用対効果高く、良い結果をもたらすことは皆が知っておくべきと言えるでしょう。

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