日本企業は「周回遅れ」のマーケティングからの脱却を図れ

改訂4版グロービスMBAマーケティング』が先日発売されました。執筆者に見所を2回に分けて聞いていくシリーズ、第1回は、実務での活用方法について聞きました(参考:「ITと心の時代のマーケティングをマスターせよ」)。第2回は、世界のマーケティングの潮流について、グロービス経営大学院教員の武井涼子に聞きました。

マーケティング教科書の決定版

武井さん

――今回の改訂4版で、特に読んでほしいという部分はどこでしょうか?

後半の応用編は、実務への応用がしやすいように改訂をしたという自負があります。特に新しく設けた第11章の「顧客経験価値とカスタマージャーニー」は、まさに世界中の企業がデジタルトランスフォーメーションの中で「こうしなければならない」と考えて用いている手法です。それを今の時点で、書籍という形で伝えられる最良の形には出来たと思っています。また、それに伴い、ブランド戦略(第9章)やマーケティングリサーチ(第10章)もアップデートしました。これらも実務的に使える努力を最大限したつもりです。

――やはりそうした最近の動向が充実していると。

そうです。たとえばマーケティングではP&Gがよくもてはやされますが、彼らも「オールドスクール」と呼ばれる通り、もはや必ずしも最先端ではありません。ワールドワイドで見ると、最先端なのはデジタルマーケティングに早くから力を入れているアドビやセールスフォース、あるいは製薬業界ですね。それをP&Gやユニリーバを始めとする他の企業が追いかけている状況です。

――日本企業はどうでしょうか?

「日本企業は遅れている」と言うのは嫌なのですが、現実にやはり遅れています。学問の世界も、新しい学者の新しい学説がどんどん出てきている。実務はさらにその先を行っています。今回は、その「先に行っている部分」を何とか書籍の形に落としたという部分も大きいですね。

カスタマージャーニーと顧客経験価値は勘違いされがち

――先ほどカスタマージャーニーという言葉が出ましたが、それに関して特に留意すべき点、誤解されがちな点などありますか?

カスタマージャーニーを作るというのは、極論すればパワーポイントを描くようなこととほぼ同じです。カスタマージャーニーを応用できるシーンはたくさんありますから、それぞれの人がそれぞれの目的にあわせカスタマージャーニーを作っていい。ただ、マーケティング戦略の柱としてカスタマージャーニーを作るとなると、それについてはしっかり考えないといけない。

ありがちなのは、プロモーション戦略を考える上で、いくつかの示唆が得られたらもう用済みと使わなくなる、といったことです。マーケティング戦略の柱としてカスタマージャーニーを作るとなると、PDCAを回してどんどん更新していく必要があります。それをやらないとマーケティング戦略の用途には使えません。

――顧客経験価値についてはいかがでしょう?

よくあるのは「なんでもいいからお客さまが喜んでくれることをしよう」と言うパターンです。逆に「商品に関係ないからこんなことやってはいけない」と考えるケースも多いです。両極端なんですね。ただ、これは両方間違っています。突き詰めれば、「お客様に偶然買ったと思っていただけるような環境をどうやって整えるか」が、顧客経験価値を提供しようということです。お客様の視点に立って、つまりお客様を主語にした時、自分たちが提供しなくてはいけないものをしっかり考えることが大切です。それは商品にあまり関係ないものかもしれないし、逆に非常に関係あるものかもしれない。お客様の目線に立つという発想が非常に重要ですね。

そうするとたとえば競合も変わってきます。売り手の見ている競合とお客様の見ている競合は通常違います。たとえばテレビの競合は他のテレビ局ではなくてスマートフォンかもしれない。テレビのお笑い番組であれば、ライブのお笑いやYouTubeなどで流されているお笑いをすぐに同列で考えられるか、といった視点が大事になってきます。このお客様視点への価値観の転換がなかなか出来ていないですね。

――マーケティングと言うと昔から顧客視点ということは言われていたとは思うのですが、それとはまた一段レベルが違う感じでしょうか。

最近、カスタマーセントリックという言葉が再定義されつつあるのですが、この本の中でもあえて「顧客中心主義」という手垢のついた言葉ではなく、カスタマーセントリックという一見分かりにくい単語を使っています。今までの顧客中心主義は、顧客中心と言いながらも、ものを出すため、商品を出すための発想でした。コトラーなどもそうです。それでシュミット(バーンド・H・シュミット教授)などは、10年以上前から、顧客中心主義と言いながら、主語は商品だと批判してきました。STP-4Pも主語は商品です。今のマーケティングでは顧客を主語にする必要があるのですが、その頭の切り替えがなかなかできていないようですね。

――日本企業の現状はどうでしょうか?

多くの企業が、まずSTP-4Pを考えてしまうんですよね。それは最低限知っておく必要のある知識なのですが、あくまで主語は商品だ、ということを理解しておく必要があります。そこからの切り替えがなかなか難しいようです。むしろ、今までのマーケティングがうまくいった会社ほどその誤謬に嵌ってしまう可能性があります。

面白い話があります。以前、北海道大学でセミナーをした時、ブランドの話からカスタマージャーニーの順で話をしたのですが、違和感なく学生はついてきてくれました。一方で、他の企業様向けのセミナーなどで同じ流れで話をすると、「あれ、STP-4Pはどこに行ったの?」という反応になる。STP-4Pが悪いわけではないのですが、それはあくまで商品が主語の時に効果を発揮するものです。両方の視点を正しく使い分ける必要があります。今の時代には、STP-4Pに拘りすぎることは、時として害悪になることすらあるかもしれません。

――今までのSTP-4Pが古典力学(ニュートン力学)だとすると、カスタマーセントリック、カスタマージャーニーは量子力学のようなものといった感じですね。どちらも正しいけど、適切な場面で用いないと意味がない。

その例えは良いですね。ニュートン力学をまず勉強しないと量子力学も学べないですから。私は、STP-4Pを細胞の働きに例えています。細胞一つひとつの構造や作用機序――たとえば核や細胞膜があって云々という話を知っておくことは、生物というものを知る上では必須です。しかし、それだけを知っていても、人体の動きは理解できない。個々の細胞が集まったときには、カスタマージャーニー的発想もしなくてはならない、という感じでしょうか。

マーケティング戦略はブランド戦略に従属する

ロンドン

――ブランドについてありがちな勘違い、特に日本企業に意識しておいてほしい点などあれば聞かせてください。

ブランド戦略は企業戦略の次に置かれるべき戦略であるという認識を持っていただきたいですね。マーケティング戦略の下にブランド戦略があるわけでもありませんし、マーケティング戦略と並んでブランド戦略があるわけでもありません。マーケティング戦略はブランド戦略に従属するものであるという認識がまず必要です。企業の理念などに基づいて出来てきた商品を外に出すときは、必ずブランド戦略を経ます。だから必ずブランド戦略という傘のもとにマーケティングがあるのです。

――日本の企業でその辺をうまくやっている企業はありますか?

海外で成功した企業にはそう見える企業もあります。たとえば伊藤園や、獺祭(だっさい)で有名な旭酒造の海外での動きなどです。伊藤園でいえば、パッケージ、TEAS' TEAをアメリカで出した時の戦略、ニューヨークに出したフラッグシップショップなどは非常に統一がとれていました。高級感もあって。レストランなどもやっていましたね。お客様が伊藤園の世界を体験できるよう、各レイヤーでの伊藤園のあり方をしっかり考えていました。今はちょっとどうなっているかは分かりませんが。

旭酒造は、SAKEを打ち出しながらも、獺祭だけは特別なものという打ち出し方が巧みです。商品のクオリティにもプロモーションのクオリティにも妥協していません。今はニューヨークに酒蔵を作ろうとされていますね。イベントなども獺祭らしさを失わないようにされています。日本の獺祭の価値を守りながら、世界観を壊さずに、パリでもニューヨークでも展開しているのは素晴らしいです。

ただ、一見ブランド戦略をうまくやっているように見える企業でも、本当にブランド戦略があってそれをやっているというよりも、結果としてうまくいったという企業が多いと思います。それでは再現性がないので残念ですね。

――その辺の理解が進んでいる企業は、経営者の頭が切り替わっているのか、マーケターの頭が切り替わっているのか、どちらでしょうか?

両方ですね。アメリカの場合、特にBtoC企業ではそうですが、ブランド論を知らずにCEOになるということはありませんから。私がよく言うのは、ブランドとは漢方薬みたいなものだということです。作用機序が完全に解明されているわけではないという意味です。それこそ脳科学の世界まで踏み込まないと、なぜブランドが効くのか分からない。飲食物であればブランドイメージで味覚まで変わって感じられるほどブランドの持つイメージの力は強い。力のある戦略だから、ブランドの効用がしっかり理解できることがアメリカなどのCEOやマーケターの常識ですね。そうなるといちいちブランドについて説明する時間も要りませんから効率的に仕事が進みます。

――日本企業はそこが遅れているわけですね。

そうですね。「ブランド戦略的にありえない」ということをいちいち説明しなくてはいけない、ということが多いです。また、絵に例えると、CEOの鶴の一声で、画竜点睛ではないところに点を打ってみたりする。センスの良いブランドマーケターはそれをリカバーしようと努力するのですが、CEOがどんどん変なところに点を打っていく(笑)。日本のマーケターは宣伝や販促に寄り過ぎな部分もあるので、戦略的視点に立った人材育成も急務ですね。

――宣伝部のような組織の中で偉くなってしまい、全体を見る機会がない方もいますね。

あと、営業のいいなりになるというケースも多いです。あるいは営業と喧嘩をしたり。これは日本で特に強い現象ですね。もちろん、営業とマーケティングでは見ている軸も違うので、意見の食い違いがあるのはある意味仕方ないですが、そこで戦略の次元で議論できるかというとそうではない。日本企業のマーケティングの場合、ブランドの売り上げと利益に責任を負っていない場合すらあり、社内で発言力がないことも多いです。

マーケティングこそ投資発想で

――ほかに、特に日本企業が変わらなくてはならない点は何でしょうか?

投資をすることですね。投資することを恐れてはなりません。最低でも将来上げたいと思う収益の10%から15%を先行投資することが必要です。ブランドは構築するまでにはものすごく時間がかかりますし、それまでは金食い虫です。マーケティング人材やリサーチに対する投資も必要です。またこういった投資以外に昨今はマーケティングのシステム投資を行う必要があります。5年、10年の時間軸で見るべきシステムがないとそもそもデータも満足に取れず、マーケティング効率が大きく変わってきます。

――昨年流行った『ファイナンス思考』(朝倉祐介著)にも通じる話ですね。地味なP/L思考を脱却する必要がある。

メーカーは、設備投資はどんどんするのに、リサーチやマーケティングシステムへの投資はなかなかしない。昔は広告などに投資していればよかったですが、今は人材やシステムに投資しなくてはなりません。ツール類も最近は高額です。しかしそれがないとデータが取れませんから、投資をしないわけにはいかない。これらのシステムはサブスクリプション化がすすみ、世界のデファクトが決まりつつあるので、日本国内だけを見て自力でシステムをと考えるのはどうしても効率が悪いですね。日本企業のその部分での遅れはちょっと怖いです。マーケティングシステム投資はいまや通常のシステム投資より巨額なのですが、日本ではそうなっていません。シドニー・オペラハウスのような半官半民の事業体ですら5年以上前に大規模なシステム投資をして3年前にはそれが動き始めたのに、その部分が遅れています。

マーケティングはまずやってみること、そして自分のセンスを見切ること

――マーケティングのスキルを高める上で効率的なやり方はありますか。昨年上梓した『武器としてのITスキル』のインタビューの時には、英語のホワイトペーパーを読むのがいいといった話がありましたが。

2つあります。1つはいわゆるお勉強、もう1つは自分でやってみることです。前者については、マーケティングのカンファレンスも増えましたので、そこに出てみるといいです。そこで話されている内容は実は遅れてはいるのですが、知らないよりもずっと役に立ちます。あとはログミーのような情報源もあります。玉石混交ではありますが、複数の情報源をクロスチェックしていくといいと思います。

後者については、マーケティングは細部の詰めが重要な領域です。「オシャレに売りたい」といったようなことをよく言いますが、そのオシャレって何ですかということを突き詰めて考えないといけない。どういう方向性のオシャレなのか、スタイリッシュなのか、エコな感じなのか、どちらもおしゃれですがぜんぜん違います。この商品は具体的に、たとえば何色のどういうスタイルのパッケージならオシャレと思ってもらえるのか――そうしたことを考えて実行していくことですね。そうすればブランド戦略を踏まえたマーケティングを実践できるセンスというか勘も磨かれていきます。

ただ、難しいのはそうした勘がどうしても身につかない人も一定比率いることです。そういう人は、そこで見切って、センスのある人の意見を聞く方がいいですね。マーケティングはファイナンスなどに比べると一見簡単に見えますし、出来ているつもりになりやすいのですが、この部分の勘所を掴める人は必ずしも多くありません。10人いたら体得できる人は2、3人くらいでしょうか。

――苦手な人がいつまでもそれをやるよりも、諦める勇気も必要ということでしょうか。

そうですね。アドビのホワイトペーパーのインタビューで私は「ナチュラルボーンマーケター(生まれつきのマーケター)」という言葉を使っています。そういう人は、極端に言えばデータを見なくても筋の良い「当たる」施策が打てる。外資企業で何年にもわたって実績を上げている人にはそういう人もいます。そうした素質がある人はぜひ戦略的な説明もできる良いマーケターを目指してほしいですし、自分はちょっと違うという人は、ロジックである程度の判断軸を持てるようにすることが有効だと思います。

――最後に一言お願いします

今回の本は本当にいろいろなことが網羅的に書いてあります。全部を完全に理解するというよりは、まずは1回さらっと読んで、必要な時に必要な個所をしっかり読んで実践できるようにするのがいいと思います。そのためにも必ず家の本棚に置いておくことをお勧めします。悩んだときに改めて読むと「ああ、これってこんな意味だったんだ」と気がつく部分も多いと思います。ぜひバイブル的に使っていただきたいですね。

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