「コミュニケーション能力」という言葉をよく見聞きする。ビジネス系の記事や自己啓発の書籍、日常会話でも「コミュ力」が語られる機会は多い。コミュニケーション能力とは何なのか、なぜこれほどまでに登場するようになったのか、そしてそこにはどのような問題が起きているのか、本書はこうしたテーマに真正面から向き合う。
本書は、劇作家の平田オリザ氏が、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授としてコミュニケーション教育に従事する中で、コミュニケーション能力が過度に取り上げられていることへの違和感を中心に書き進められている。2012年の初版であるが、コミュニケーション能力を巡る状況は現在も大きく変わっていない。経団連の2017年の調査で、企業が新卒採用にあたり最も重視した能力は、コミュニケーション能力が15年連続の1位となっている。
平田氏は、企業が求めるコミュニケーション能力は、ダブルバインド(2つの矛盾したコマンドが強制されている)の状態にあると指摘する。
企業が表向き、新入社員に求めるコミュニケーション能力とは、「異文化理解力」であるという。異なる文化や価値観を持った人に自分の意見を主張できる、文化的な背景が違う人の意見も理解し、説得や納得の上で妥協点を見出すことができるというものだ。一方で無意識に要求しているのは、「上司の意図を察して機敏に行動する(忖度する)」「会議の空気を呼んで反対意見は言わない」といった従来型のコミュニケーション能力だ。
こうしたダブルバインドが生まれる大きな要因は、日本が同一性の強い「会話」主体の「わかり合う文化」「察しあう文化」から、多文化共生を尊重し「対話」を前提とした「説明し合う文化」への転換を迫られていることにあると言う。
また、コミュニケーション能力が求められているのは、日本が成長型から成熟型の社会に移行していることにも起因する。価値観は多様化し、ライフスタイルは様々になる。悪いことではなく、日本人はバラバラになっていく。そこに臨む姿勢として最も共感を覚えるのが、「協調性から社交性へ」という気構えだ。
平田氏は、演劇の現場で、互いにウマの合わない役者同士でも、限られた時間でコンテクストをすり合わせ、舞台上で素晴らしいパフォーマンスを発揮する様を見ている。そこにあるのは、心を通わせる協調性ではなく、わかりあえないままでも共に目標に進んでいく社交性だという。
筆者が担当する広報の仕事は、この社交性が強く求められるものだと感じる。社内外のステークホルダーとのコミュニケーションにおいては、相手と価値観を同じくすること以上に、どのようにすれば相手と価値観を共有できるかを思慮することの方が重要になる。それはプレスリリースに記す言葉1つにも言える。組織の固有の価値観を表す言葉であっても、それが相手に理解できるものでなければ、言葉を加える、言葉を置き換えるなどして、伝わることに努める社交性を発揮しなければならない。
もちろん、職種に関係なくビジネスの場面では、会社や部門の内外、世代の上下、経験の違いなどがもたらす、価値観の開き、コンテクストのずれに出くわすことも多い。時にそれは、どうしても相容れない存在となって、自分を苦しめることもある。そんな中で「わかりあえない」を認めることで却って前向きな姿勢になれる。「人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」とする考えは、コミュニケーションに勇気を与える。わかりあえないということは、絶望ではなく出発点に過ぎないのだ。
『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』
平田オリザ(著)、講談社
799円