スターバックスの実質的な創業者であるハワード・シュルツが、今年の6月末で会長職を退いた。
彼の引退は周到に準備されたもので、既に2016年12月にはCEOの座をケビン・ジョンソンに譲ることを発表している(交代は2017年4月、シュルツは会長職のみとなった)。ジョンソンはそれまで7年間も取締役を務め、直近2年間は社長としてシュルツ会長と二人三脚で働いてきたというのだから、見極め期間も含めれば何年もかけて自分の後継者を確保したことになる。
なぜ、これほどまでに年月をかけたのか。それは、「夢を継ぐ者」を選ぶためだったのではないかと筆者は思う。会社は収益を上げさえすればよいと思うなら、後継者選びはもっと簡単に済んだだろう。しかし、スターバックスは「みんなで見る夢」を大切にする会社である。
ハワード・シュルツはユダヤ系ドイツ人の移民の子として生まれ、ニューヨーク市の低所得者向け共同住宅で育った。父親はおしめを運送する仕事をしていたが、シュルツが7歳の時に足を痛め、その仕事を失ったという。シュルツは足にギプスをはめられて絶望する父の姿が目に焼き付いていると自著で回想している。少年時代のシュルツは、眠る前によくこんなことを考えたと言う。「未来を映す水晶玉があったら」と。しかし未来を悲観していたシュルツ少年は、怖くてのぞき込めないと思ったそうだ。
後にスターバックスの経営者として成功すると、シュルツはパートナー(正社員やバイトを含むすべての従業員)への奨学金や保険の提供、社会的弱者の雇用などに力を入れた。トランプ大統領が中東などからの入国制限を発令した際には、5年間で国内外1万人の難民を雇用する声明を出した。それは、「いつか経営者になったら、決して人を見捨てることはしない、と固く心に誓ったからだ」と言う。
スターバックスの採用基準は「自分の店で働いているイメージができるかどうか」だというが、それは解釈すれば、一緒に同じ夢を見られる相手かどうかだと言ってもよいだろう。
採用後に関して言えば、スターバックスには接客マニュアルがない。しかし、教育には尋常でない手間と時間とコストをかけている。スターバックスに入った人は、正社員だろうとバイトだろうと、コーヒーマシンの使い方を学ぶ前にまず「ファーストインプレッション」と「スターバックスエクスペリエンス」という教育プログラムを受ける。
ここでは「私たちがここにいる理由」を、スターバックスが最も大事にしているミッション「人々の心を豊かで活力あるものにするために─ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから」に関連させて、トレーナーを務めるストアマネージャーが自分の経験を話し、自分の言葉で思いを伝える。
さらに「それを聞いてどう思うか」「あなたが大事にしていることはなにか」と質問を投げかけ、アルバイトも自ら考えて話す時間を設ける。このプログラムでスターバックスの「思い」に共感できた人は次のステップに進むが、ここで「自分とは合わない」と思った人は辞めていただいて結構となる。
スターバックスが成功してきた鍵は、差別化にある。だがそれは、商品の差別化ではなく、従業員の差別化だ。スタバで働く人は、他と「どこかが違う」。その競争力の源泉を保ち続けるには、次世代の経営者も「同じ夢」を持つ人でなければならない。
CEOを1年前に辞し、会長職も今年辞したシュルツは、これからどこで、何の夢を、誰と共有するのだろう。かねてから支持している民主党から大統領選に出馬するのではという観測に対し、シュルツは否定していない。