映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」(公開中)がゲイリー・オールドマンのアカデミー主演男優賞に加え、特殊メイクを担当した日本人の辻一弘氏にアカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイル賞をもたらしたということで話題になっています。そこで、以前、執筆したコラム(参考:チャーチルの能力開発――賢人は歴史と経験に学ぶ)と重なる部分もありますが、「言葉の魔術師」とも称されたチャーチルの「言葉の力」について、映画にも触れながら改めて書いてみたいと思います。
この映画は1940年5月9日にネヴィル・チェンバレン首相が退陣した時点から、27日間にわたる英国議会・政府内での人間模様を描いたものです。また並行してダンケルクの戦い(ダイナモ作戦)の模様も描かれています。
さて、チャーチルは戦時挙国内閣の首相に選ばれたものの、所属政党である保守党内の支持は芳しくなく、特に外相で対独宥和政策の急先鋒であるエドワード・ウッド(ハリファックス)と大きく対立していました。戦局がますます悪化していく中で、対独宥和に傾きかけた内閣、議会の流れを、チャーチルが「ヒトラーには屈しない」「最後の最後まで戦い抜く」という信念と彼一流の話術を用いてひっくり返していきます。
タイトル通り、チャーチルの力はその信念(さらに言えばその裏側にある判断軸)、そして伝える力、特に言葉の力に大きく依っていました。今回はこの言葉の力にフォーカスします。
映画を見ていて感じたのは、チャーチルの言葉の選択へのこだわりです。言葉の選択はレトリック(修辞法)の一部ですが、レトリックというと往々にして内容の貧弱さを表現で補うものと誤解されがちです。しかしそんなことはありません。たとえば
「もっとしっかりやれ」
と言うのと
「残念だな。君ほどの能力がある人間がこんなところで諦めてしまうなんて」
と言うのと、
「そんなことで○○さんの息子/娘と言えるか。君がやるしかないんだ」
と言うのでは、伝わるメッセージや、それによってもたらされる効果は全く異なります。
チャーチルは、議会での演説や国民に向けてのラジオ演説の原稿はスピーチライターに書かせるのではなく、自分で書いていました(厳密には、口頭で喋ってタイプしてもらい、それをギリギリまで推敲していました)。映画の中で印象的だったシーンに、ラジオ演説の前に「(危機に瀕している)ここはキケロ(の言葉)だ」( キケロは古代ローマ帝国の政治家、思想家)と叫び、書斎にキケロの本を探しに行くシーンがあります。圧倒的な読書量に支えられているからこそ、いざという時に「ここはこのフレーズがいい」と閃くというのは、昨今流行りの武器としての教養にもつながる部分が大です。
同じく、チャーチルが地下鉄でホラティウス(古代ローマを代表する詩人)のフレーズを諳んじると、同乗していた青年がそのあとのフレーズを言う、というシーンもありました。それによって共感、ラポールが生じるのです。
韻の踏み方や繰り返しの多用なども巧みです。最後の議会での演説の、”We shall fight”の繰り返しは、有名なキング牧師の”I have a dream”の繰り返しを彷彿とさせるものがありました。以下のYouTube動画にチャーチルのスピーチがあるので、11分以降を参考にしてください(英語字幕もあります)。
伝えたいことを平板にそのまま口にするのではあまり効果的ではありません。シーンにもよりますが、大事なシーンほど、伝えるべきことの本質をしっかり考え、それを別の言葉で再構成・再構築し、ふさわしいトーンなどと合わせ、デリバリーすることが必要です。そうしてこそ初めて人々は心を揺さぶられるのです。
「言葉で人を動かすのがリーダーの役割」という人もいます。どうすれば自分の言葉の力を磨けるか、一度立ち止まって考えてみたいものです。