年末にテレビを見ていたら、久々に高田明氏がコメンテータとして登場していた。番組テーマは人に好かれるスピーチ術で、この人ほどこのテーマを語るのにふさわしい人はいないと思った。そして筆者が役割としているマーケティング・コミュニケーションに関連して、うまいコミュニケーション術の1つも学べればと思いたち、本書を手に取った次第である。
佐世保のカメラ店に生まれ、父のカメラ店の手伝いを経てジャパネットたかたを創業した高田氏。TV通販王として一世を風靡して2015年に同社の経営から退いた。国民的人気を誇る有名人で経営者だ。成功談が満載かと思いきや、読後感は意外にもさわやかだ。というのも、高田氏がとてもチャーミングなのだ。
本書の1番の魅力は、商品を通じてお客様を幸せにできることを信じ、そのために徹底して自分本位の考え方・伝え方を禁じる高田氏の一貫した姿勢だ。この価値観を、実演販売の上辺だけでなく、商品選定の基準や「クレド」をベースにした組織運営など経営全体でシンプルに貫いてきたことが、ここまでのジャパネットたかたの成功を導いている。
顧客志向を重視しない会社はない。お客さま、取引先、自社、全部が幸せになることがビジネスの1つの理想でもあろう。ジャパネットたかたはその理想に向かっている。ビジネスもマーケティングも素晴らしい仕事だなと感じさせてくれる高田氏を、私はとても好きになった。
というわけで、前置きが長くなったが本の紹介に移ろう。まずは高田氏のTV通販王ぶりから。1万円以上の商品は売れないと言われていた通販業界で、50型ハイビジョンの液晶テレビがオーディオラック付きで99800円。小型の布団専用掃除機レイコップ4-5万円を200万台、300万近くする電気自動車まで99台売れたという。耐久消費財だけではない。バスタオルだって高田明が紹介すれば今治の高級バスタオル2枚7500円が売れるのである。
売れるための要諦を高田氏は2つ説明している。1つは「提案」、もう1つは「伝え方」だ。
「提案」は、たとえば、会議やインタビューで使うボイスレコーダーを「おじいさんやお母さんこそ使ってほしい」と勧めることだ。物忘れが多くなる年代はメモ代わりに使ってはどうでしょうか、私も使っています。あるいは働くお母さんが子どもにおかえりのメッセージを残しておいたら、子どもは安心しますよ。こういった生活シーンに根差した「使う側も知らない使い方」を提案するのが高田氏のこだわりだ。
どうすればそのような提案が思いつくのか――「商品というのは、体験的に腑に落ちるシチュエーションを頭にまず思い描いて、商品の先にある本当の役割と価値を、使用者目線で伝えていくことが大切だと思っています。それは結果的に開発者の真の想いを伝えることになるでしょう」と高田氏は言う。
高田氏はまた、能楽師・世阿弥の「風姿花伝」から「我見、離見、離見の見」の3つの視点を紹介している。我見は自分が見る視点。離見は、相手がこちらを見る視点。離見の見は、見ている自分の立場と相手の立場、両方を第三者の目で俯瞰的にみる視点。お客様に受け入れていただく提案にするためは、我見を捨て、離見を持つことが重要なのだと語る。
売れる要諦のもう1つは「伝え方」だ。本書にもいろいろなテクニックが紹介されているが、ここではしゃべりのプロであるフリーアナウンサー古館伊知郎氏の出演エピソードを紹介しよう。
あるとき、TV番組の企画で古館氏がジャパネットたかたの実演販売に出演し、レイコップの紹介を行った。「間の取り方も絶妙、やっぱりプロだなー」と高田氏が感心するも、結果は、通常の売上の80%の成績に留まったという。高田氏はその原因を「視聴者は古館さんのプレゼンそのもの」を見てしまい、電話をかける手が止まったからと分析している。テクニックがあれば、人気があれば売れるのではない。むしろ我見とまでは言わないが強い個性を魅力とする伝え手は、売れないのだ。「私は商品を紹介するために生きてきた人間です」と自己定義する高田氏との、生き方の違いが出たと言っては大げさだろうか。
さて、物を作る、売る、マネージする、人それぞれ役割は違っても、自分のためではなく相手の立場に立って、相手の幸せを願っているだろうか。お客様に商品の真の役割や価値を伝えられているだろうか。
「そんなこと当然だろ、モノ消費からコト消費の時代なんだから」という読者の声が聞こえそうだ。確かにライフスタイル訴求型の広告は増えた。しかし、いま一度、「我見、離見、離見の見」の視点を虚心坦懐に自分に問うてみてほしい。我見を封じて離見に徹することで、伝える力の持つ可能性はもっと大きくなるはずだと、この本は伝えている。
『90秒にかけた男』
高田 明 (著), 木ノ内 敏久 (著)
日本経済新聞出版社
918円