インドへの精神修行の旅〜第3章「至福の時」 

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翌朝4時に起床。前日の夜に、卒業生兼スタッフが、届けてくれた本を読み始めた。入室時に渡された本は、既に初日に読み終わっていた。最初の本は、僕にとっては、何ら新味の無いものであった。ただ、前夜に渡された本は、まったく別であった。ウパニシャッド哲学のエッセンスが満載の本で、僕の考えとも近いものであった。興奮しながら、エッセンスの部分に目を通した。

4時50分に部屋を出て、スワミジの住居に向かった。このアカデミーでは、朝4時には、全員が起床している。なぜならば、朝4時から6時が最も生産性が高く、一番貴重な時間であると教わっているからである。5時前に住居に入り、居間にいたスワミジの娘さんと挨拶を交わす。差しさわりの無い話のあとに、僕が、「スワミジがなぜこのアカデミーを作ろうとしたのかを教えてください」と質問した。僕は、人間の生きてきた軌跡に興味があるのだ。その「生き様」に、哲学や思想が凝縮されていると考えているからだ。

スワミジは、南部の海運業を営む裕福な家で生まれ育ち、英国の大学院に留学し、帰国後仕事をするも、しっくりしない生活を送っていた。学問への強い願望があり、様々な書を読んでいた。そのプロセスで、ウパニシャッド哲学に行き着いたのだという。そのストーリーから、真理の探究への強いエネルギーを感じることができた。

朝5時過ぎに、スワミジの部屋に通されて、一対一の面談をすることになった。その内容に関しては、スワミジからは、「ここで話した内容は誰にも言わないで欲しい」と告げられていたので、このコラムでは書かないこととする。

ただ、僕が言えることは、この面談の結果、僕の疑念が100%晴れて、しかも、僕がインドまで学びに来た目的はほぼ達成することができた、ということである。つまり、(1)「このプログラムは、基本的には初心者レベルの聴衆を相手に話をしているので、簡素化して話をする必要があり、あなたのような東洋哲学に造詣がある人を対象にしていない」、と言うのだ。(2)従い、このような面談の場でしか話せないことを1時間かけて、問答形式で話をしてくれたのだ。僕の間違っている点もわかったし、不足している点もわかった。

何というラッキーだ。普通に我慢して、このプログラムを学んでいたら、このような機会はもらえなかったかもしれない。キチンと自分の考えを質疑応答の時間に述べたことによって、与えられた機会ということになる。

心が晴れ渡る状態というのは、この状態である。むしろ、昨日までの疑念を持った僕が、恥ずかしいぐらいであった。

僕は、スワミジに丁重にお礼をして、その場を後にした。この面談の結果、またアカデミーに対する全てへの見方が180度変って来た。昨日までは、洗脳されていたのではと思っていた学生や卒業生の笑顔が、真理の探究を楽しんでいるかのような、すがすがしい笑顔に見えてくるのである。アカデミーの花や緑も更に生き生きとした息吹を持っているように感じられる。建物の美しさも際立って見えてきた。

もう既に、朝のアクティビティの待ち合わせ時間となっていた。朝6時過ぎから、歩いて太古の仏教洞窟寺院に向かうのである。僕は、部屋に戻り、上下トレーニングウェアに着替えて、雪駄をジョギング・シューズに履き替えて、待ち合わせ場所に向かった。先遣隊は既に、出発していたので、豪州出身の卒業生(今回の取りまとめの事務局長)と一緒に歩きながら、洞窟寺院まで向かった。彼女との会話も、目からうろこであった。

(どこまで書いていいかはわからないが、差し支えない範囲で書くと)彼女は、パース近郊のマーガレット・リバー(コラム:パース滞在記参照)の裕福なワイナリーに生まれた。高校時代には、ロータリーの留学生としてフィンランドに一年間住んでいたのだという(おそらくこの体験が、異文化への適応性を高めたのであろう。「僕もロータリー留学だから、似ているな」、と思いながら聞いていた)。18歳のときに、たまたまスワミジが、パースに講演に来たときに母親とともに、スピーチを聞き、このアカデミーに興味を持ったのだと言う。その後、縁があって3年間アカデミーで過ごし、そこで出会った南アフリカの黒人男性と結婚し、現在南アフリカにて、アカデミーのセンターで奉仕活動をしているのだという。定期的に、インドに戻って来ているのだが、今回はこのYPOのセミナーのタイミングで、アカデミーに来ているのだという。彼女とのその後の質疑応答で、更にアカデミーへの理解が深まった。

川を渡り、畑の中を通り抜け、踏切を横切り、山を登ったところに洞窟寺院があった。アジャンタ・エローラ(コラム:インド出張-その5:観光地での「外出禁止令!?」、その6:外出禁止令下のエローラ石窟群見学参照)の洞窟寺院の原型がここにあった。紀元前二世紀につくられたもので、デカン高原で最も古い洞窟寺院だという。つまり、アジャンタよりも古いのだ。洞窟には、アジャンタのような仏像も無く、仏陀の絵も描かれていなかった。ただ単に、仏陀を象徴するもの、つまり、ストーパ(仏塔)やロータスの彫りものしか、そこには置かれていなかった。

僕は、盆地を見下ろせるその洞窟の地で、晴れ晴れとした気持ちで一人佇んでいた。アカデミーの立地の意味もわかり始めていた。寺院の瞑想場で、昔の修行僧がしたかのように、座禅を組んでみた。スッと、「無」の状態に入り込めそうな気がしていた。

UAEからの参加者と話をしながら、山を降りた。彼は、イートン校からケンブリッジ大学を出た秀才であった。自らを成長させるべく、ダボス会議から、YPO、TEDなどのさまざまな海外でのコンファレンスに参加しているのだという。この会への参加も、その一環であると言う。

アカデミーに戻って、朝食を取りながら、「やはり、最後までいよう」と考え直した。朝食後すぐに、東京と連絡を取る。旅行代理店にも電話して、自宅にも予定を伝えた。これで、安心である。午前のスワミジの講話も気持ちよく聞くことができた。講話の内容も、基礎編から初級編に入り始めていたので、面白くなりかけていた。

これで、全てが一件落着である。そして、当初のスケジュールどおりに戻れると思ったが、、、、東京から連絡が入り、「帰りのフライトが当初のスケジュールに戻せない」、と告げられた。再度交渉をお願いしたが、「一回変更したら、二回は変更できないのだ」、と言われたという。暫く考えたが、「基本的には、初心者向けプログラムだし、来た目的もほぼ達成できたので、これも一つの流れであろう」と思い、サバサバした気持ちで、このまま帰ることにした。企画をしてくれた方々に事情を説明し、いかに満足したかを説明し、心の底から感謝の意を表した。

昼食時に、多くの方と談笑した。インドのヘリコプター紳士、ボストンの製造業のオーナー経営者。オマーンから来たイスラム教徒のオーナー経営者。インド第二の規模の大学経営者。イートン校・ケンブリッジ卒業のUAEの好青年。イギリスから来た議論好きなプロフェッショナル経営者。とても迷惑をかけてしまった南アフリカ出身の企画リーダーのウォルター氏。そして、このプログラム運営の豪州の才女など、数多くの方とお別れをした。

図書館で、スワミジに薦められた本を大量に購入した。全然桁もレベルも違うが、唐の長安から密教の書を持ち帰った空海になりきった気分であった。

部屋に戻った。このアカデミーは、部屋の掃除も自らが行うのだ。シャワーを浴びて、パッキングをした後に、ゴミ箱のゴミを捨てて、布団をたたみ、整理整頓をして、鍵をかけて外に出る。寮の前で待機していた車に搭乗する。そこに、豪州出身の才女が偶然に現れて、最後のお別れをする。とっても迷惑をかけた「悪ガキ」が、先生に恥ずかしがりながら、お礼を言う心地であった。

そして、ゆっくりと車がアカデミーを出て、川を渡り、踏切を越え、デカン高原を転げるように降りていった。

2010年2月10日
機内にて執筆
堀義人

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