「ネットエイジ上場。公募の二倍の初値」のメールが、香港滞在中に、米国 「レッドヘリング」誌主催のテクノジー関係のコンファレンスのスピーチを終えた後に届いた。
スピーチでは、「日本は進化しつつあり、今魅力的である」ということを、中国やインドに関心が高まっているコンファレンスで、孤軍奮闘喋ってきたばか りだった。ネットエイジ社の上場成功のメールは、僕自身喋ってきたことを追認する形となり、スピーチ後の興奮と相俟って、お祝いしたい気分になっていた。
ネットエイジの西川潔さんとの出会いは、10年近く前になる。僕が、ウィークリーマンションのツカサの川又三智彦社長のお誘いを受け、五反田の近くでスピーチをした際に、聴衆として参加していた西川さんと、講演後に名刺交換 をしたのが最初の出会いであった。
名刺交換の際に西川さんは、「AOLに転職したばかりで、ベンチャーに興味があったので、堀さんのスピーチを聞きにきました」、と仰った。 「それならば、僕が個人的にやっている勉強会があるから、来ませんか?」と お誘いしたのが、二人の付き合いの始まりだった。
その勉強会は、「MBAベンチャー研究会」と称していて、1995年前後に始まったものである。
僕は、1991年のハーバード経営大学院卒業であったが、その当時のMBA生は、まだ保守的で、ベンチャーを 起こしたのは、結局僕一人であった(後に、南場智子さんがDeNAを設立するが、それも卒業後10年近く経ってからのことであった)。多くのMBA仲間をベンチャーの世界に巻き込めなかった反省を込めて、この会は設立された。
「MBAで修得した知識・知恵をベンチャーの世界で活用してもらいたい」、と思い立ち、ベンチャーに興味があ るMBA取得後3年以内の方々を対象として、勉強会を行うことにしたのだ。
入会資格は、「将来ベンチャー企業を起こすか、あるいはベンチャーを支援する側になるかの、どちらかの意思を持った方」であった。
毎月一回グロービスの教室に参加者が集い、スピーカーを招いたり、ビジネスプランを叩きあったりして、ベンチャーに関して学びあってきた。
会の参加者からは、数多くのベンチャー起業家が輩出された。楽天の三木谷さん(当時、興銀を退職しクリムゾン・キャピタル設立)、べーグル&べーグルで有名なドリームコーポレーションの林浩喜氏(当時設立準備中)、富士山マガジンサービスの西野伸一郎氏(当時NTT。後にアマゾンジャパンを設立)などがいた。
ベンチャー・キャピタリストなど支援側に回った人としては、グロービス・キャピタル・パートナーズ(GCP)のパートナーとなった仮屋薗聡一氏がいた。
その勉強会の仲間に、西川さんが加わったのである。西川さんは、そこで西野さんや仮屋薗などの仲間に出会い、アイディアを出して叩きあい、事業アイディアを温めていた。そして、1998年2月に設立したのが、 「ネットエイジ」である。
当然、早い段階からグロービスはベンチャー・キャピタルとしてネットエイジに投資をして、仮屋薗が社外取締役として参画し、全面的に支援した。
僕もネットエイジの渋谷事務所に何度か訪問した。アパートの一室に靴を脱いで上がると、オフィスには学生のようなアルバイトが数名いた。まさに、ベンチャーそのものの囲気が漂っていた。
その後、西川さんは、ネットイヤー(当時)の小池聡さんと意気投合して、「ビットバレー」運動を展開した。
「渋谷の”渋”の”bitter”と”谷”を”valley”に変えて、「Bit Valley」 と命名した。デジタルの単位のビットにかけているんだ。いい名前でしょ う」、と西川さんは教えてくれた。
渋谷のインターネット関連のベンチャー企業が集中している地域を指してこう名前をつけ、毎月一回勉強会のように会合を開いていた。その後、ビットバレーは、数多くのネット企業家を輩出していった。
ライブドア、サイバーエージェントなど若手の起業家が華々しく上場する中、ネットエイジはひたすらインキュベーターとして、数多くの企業を地道に作り続けていた。
ネットエイジに集った若者達が、その後第三世代の企業家として躍進していった。ミクシィを創った笠原さんは、その一人である。ミクシィは、ネットエイジのサポートを得て、飛び立っていった。
そして、会社設立後8年強、グロービスからの投資後7年7ヶ月で、ネットエイジは満を持して上場を果たすのである。
公募価格 600,000円に対して、初値で1,200,000円、引値が1,400,000円という見事な上場であった(グロービスにとっては、投資コストの40倍以上の値がついた)。
この上場は、グロービスの一号ファンドにとっても意味があるものである。これで、グロービスの一号ファンドからの投資件数13件のうち、6件が上場を 果たしたことになる(グッドウィル、フルキャスト、フィスコ、そしてワーク スアプリケーションズなどである
唯一残っている案件が、ドリーム・コーポレ-ションである。この会社が上場を果たせば、13件中7件、つまり投資件数のうち半数以上が上場するということになる。
投資のパフォーマンスも、既に7倍以上のリターンを生み出しているので、1 0倍を優に超えることとなる。
当然、株主としてリターンを生み出せることは嬉しいということではあるが、 それよりも僕は、西川さんの友達として純粋に喜びたいと思う。株主と経営者の関係を超えて、どちらかというと起業家仲間としてお付き合いさせてもらっているからだ。
西川さんは、上場の4日前で多忙であったかと思うが、軽井沢の僕の山小屋で開かれた起業家仲間(YEO)のBBQパーティにも来てくれた。昔を思い出すと、二人で南青山にあったクラブにも遊びに行ったことがあった。西川さんは、いつまでも若さを失わない、永遠の青年という感じである。
これからの西川さんとネットエイジの更なる発展を祈念しながら、このコラムを締めくくりたいと思う。
西川さん>おめでとう。落ち着いたらまた一緒に遊びに行きましょう。(^^)/
2006年8月30日
香港のホテルにて
堀義人