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紛争解決の方法論

投稿日:2001/04/15更新日:2019/09/05

未だ各地で民族間の紛争が起こっている。特に中東のイスラエル対アラブの構造は、紛争解決の難しさを改めて見せ付けている。

「各紛争当事者にとって最善と思われた選択肢が必ずしも、双方にとって最善の結果になっていなかった」、という事例が数多く見られる。

以前大ヒットした「もののけ姫」を例にとって、説明すると、以下が対立の構図だと思う。

1)最初は、ちょこっとした人間と動物のいざこざが起きた。それほど憎しみもなかった。
2)いざこざによって、双方に死者が発生して、親類縁者の悲しみや怨念が高まった。
3)動物と人間のリーダーは、それらの怨念や憎しみに対して何らかの報復手段をとらざるを得ない状況になった。
4)更なる紛争の拡大が起り、双方のメンツがからみ、更にエスカレートする。
5)最後は、双方にとって最悪の結果になる。

戦争の発端も通常この構図で始まる。第二次世界大戦でもとられた。 僕は、第二次世界大戦を見届けた一人である瀬島龍三さんの感動的なスピーチを聞く 機会に恵まれた。瀬島さんは、壇上で以下しゃべり始めた。

「僕はシベリアで捕虜として強制労働をさせられていた11年間、たった一つのことを毎晩考えていました。それは、「なぜこの戦争を始めることになったのか」、であった。これを歴史家や評論家の立場ではなく、軍部の中枢にいた自分がどう考えたか を今から話します」。と前置きをして、以下ポイントを話された。

◆関東軍が満州から中国へ本格的に侵攻したのに対して、1941年7月○○日にアメリカはABCD包囲網を創って対抗した(瀬島さんは、全ての日にちを覚えておられた) 。
◆日本は戦車をはしらせる石油を確保するためには、二者択一の選択を迫られた。
-全面戦争 或いは
-米国との和平への道
◆何度も会議を重ねて、結局中国からの撤兵することを前提に、米国と和平交渉の道を選んだ。(これは、当時の意思決定としては、大変なものであったと回顧していました)。
◆9月に近衛首相を米国に派遣すべく外交ルートを全て使ったけど、米国は会おうとしなかった。
◆様々な手法を使って何度も何度もトップ会談を進めるべく努力をしたが、結局米国とは話し合いのテーブルに載ることができなかった。1941年10月に最後の外交ルートから面談NOの返事が来たときには、日本の自主自存の道をとるために、結局米 国との戦争という選択肢をとらざるを得なかった。と回顧していました。

瀬島さんは、「なぜ、その時に米国は交渉に応じようとしなかったのか」が引っかかっていたので、戦後ハーバードで調査をしたらしい。分かったことは、米国は近衛首相を全く信じていなかったので、交渉しても無駄だと認識していたのが、面談を断っ た一番の原因だとのことであった。

しかし、運命とは不思議なもので、双方の不信感が高じると、全く話し合いもできなくなってしまうのだと痛感した。日本側にとっては、残された唯一最善と思われる選択肢をとったのであろうし、米国側としても、まさか日本が対米全面戦争に乗り出す とは考えずに、ABCD包囲網を継続すれば、日本の脅威を払いのけられるとでも思って いた様だった。

そして、真珠湾攻撃へ、そして、第二次世界大戦へ突入した。

僕は、紛争解決に、一番重要なのは、仲裁だと思っている。双方のメンツがぶつかるなかで、信頼できる仲裁が入り、双方が相手の立場を理解できたら、双方にとって最悪の事態は避けられると思う(当事者同士では、紛争解決は困難と考えた方が良いと 思っている)。

どこまでパワーポリティックスを展開して、どこで妥協するか?その舵取りを間違えると、多くの人が悲惨な目に合うと思う。

イスラエル対パレスチナの闘いは、「もののけ姫」的な紛争のエスカレーションがあったのちに、どこを「落とし所」とするのか?誰が仲裁に入るのか?僕は、この舵取りを間違えると、双方のメンツ・感情が絡んでいるだけに、さらにエスカレートすることになると思っています。

「もののけ姫」の教訓は活かされるか?

 

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