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空気を読まない貴乃花が引き起こすかもしれない、相撲界のパラダイムシフト

投稿日:2017/12/08更新日:2019/04/09

元横綱日馬富士の貴乃岩への暴行事件をきっかけに、日本相撲協会と貴乃花親方の対立が深まっているらしい。スポーツ紙やテレビのワイドショーでは「どちらが正しいのか」という論争がヒートアップ。沈黙を貫いている貴乃花親方に対し、協会幹部は「何を考えているか分からない」と、頭を悩ませているようだ。

彼の狙いは明確だ。それは相撲界の「パラダイムシフト」である。

パラダイムとは

「パラダイム」とは、同時代・同一組織内の人々に共有された世界観や物の見方であり、共通の思考前提、思考の枠組み、方法論のことである。元々は科学史家トーマス・クーンが提唱した概念であるが、現在はそれが拡大解釈され、一般化している。

クーンによると、人間は常に何らかのパラダイムの中で生きているという。彼は心理学者ウィリアム・ジェームスの言葉を引用してこのことを説明している。「人間に見えるものは彼が見たものではなく、彼の既成の視覚的概念的経験が彼に見るように教えるものによっている。そのような訓練がなければ、百花総攬の混乱があるだけだ」。つまり、パラダイムが与えてくれる「物の見方」や「方法論」に頼ることなく、何かを認識し、判断することはできないということだ。

パラダイムは革命的で非連続的な交代を遂げることがある。この非連続的な交代を「パラダイムシフト」という。旧パラダイムとそれを置き換える新たなパラダイムは相容れないことが多い。

クーンが挙げるパラダイムシフトの典型例は、地動説から天動説へのパラダイムシフトである。旧パラダイムが支配的な時代は、多くの人はその前提で行動して成果を上げる。実験装置や実験ルールも旧パラダイムを前提に作られているため、パラダイムが通用しないような発見は見つかりにくく、仮に見つかっても実験ミスや例外だとして否定されてしまう。しかし、その前提が通用しない事例が累積すると、徐々にパラダイムが揺さぶられていく。そのうち、異端とされている考え方の中に問題解決に有効な手法が見つかり、解決事例が増えていく。こうして旧パラダイムを疑う人が増えていき、それが臨界点を超えると一気に新パラダイムへと移行する。

貴乃花が思い描くパラダイム

貴乃花が思い描くパラダイムは、彼の言うところの「相撲道」が実践される世界であり、その最たるものが、本場所における「ガチンコ相撲」の徹底であり、勝負事にやましいことが一切介入しない世界である。もちろん、建前は相撲協会も同じ立場である。

だから、大相撲の本場所では同部屋に所属する力士の対戦は組まれない(優勝決定戦を除く)。相撲部屋は疑似的な「家族共同体」であり、親方と力士は疑似的な親子になり、弟子同士は疑似的な兄弟になる。だから同部屋対決になると、星の貸し借りが発生したり、互いに手加減してしまう可能性がある。それを避けるのが、部屋別の対抗戦方式である。

貴乃花親方は現役時代に、兄の若乃花との兄弟優勝決定戦でそのジレンマに陥った。同部屋というだけでなく実の兄との対戦であり、弟は横綱で、兄は横綱昇進を狙う立場である。頭ではガチンコ勝負をすると決めても、体が無意識に遠慮してしまうことがある。貴乃花曰く「ほんの少しの気持ちの作用が一瞬で出てしまうのが、良くも悪くも相撲です」。結果的に、史上初の兄弟優勝決定戦は、兄の若乃花が勝利した。このように、貴乃花は誰よりもガチンコ勝負を徹底することの難しさを分かっている。だからこそ、モンゴル勢が部屋を超えて交流することを嫌うのだろう。

同郷のモンゴル人力士が集まって部屋を超えて交流を深めれば、自然と「モンゴル人力士共同体」が形成されてしまう。そうなると、いざという時にガチンコ勝負に徹しきれない場面も出てくるに違いない。それどころか、部屋を超えて仲間内で星の貸し借りが発生する可能性すらある。そういうことは、ファンを裏切ろうという悪意から生じるものではなく「モンゴル力士共同体」の仲間を守るために起こり得る。仲間が困った時に助けるのは当然だからだ。ゆえに、ガチンコ相撲を徹底したい貴乃花は弟子の貴乃岩がモンゴル力士共同体に近付くことを禁じたのだ。

貴乃花親方が孤立している理由

では、なぜ日本相撲協会の多数派から孤立してしまったのだろうか。その理由は、ガチンコ勝負を徹底すると故障のリスクが大きくなるからである。力士は立ち会いの際、重さ数トンの衝撃を頭から受ける。これを毎回ガチンコ勝負で行ったら、怪我も増える。相撲をプロスポーツと捉えた場合、人気選手が頻繁に故障で欠場したり、それが元で引退に追い込まれるようなことになれば、選手だけでなく興行主も困る。もちろん、本場所はガチンコ勝負が基本だが、大人の事情によって時には例外が許されると考えても不思議ではない。

実際、現役時代の貴乃花親方はガチンコ勝負にこだわった結果、膝や肩を故障して30歳の若さで引退した。父の先代貴ノ花は首の頸椎に打撃を受け続け、貴乃花親方いわく「死と隣り合わせのような生活」だったという。「壮絶、壮絶、壮絶の連続で、父が生きて帰ってくれば、子の私も生きていると実感できた。そんな命がけの日々で私は育った」と述懐している。筋金入りのガチンコ勝負主義者である。ただし、これはあくまでも貴乃花部屋の流儀である。協会の多数派にとってガチンコ勝負はあくまで「理想」であり、貴乃花のような徹底した姿勢は「空気を読まない奴」として疎まれてしまう。

しかし、現在の日本相撲協会はガチンコ勝負を徹底するべき立場にある。2011年に発覚した八百長問題は記憶に新しいが、この問題を受けて日本相撲協会は八百長の再発防止を約束した。この時は同年の春場所が中止となり、21人もの減益力士が引退勧告を受け、八百長力士が所属していた部屋の親方も処分を受けている。当時の政府は日本相撲協会の公益法人化(寄附金控除の税制優遇措置がある)に難色を示したが、協会が八百長問題の再発防止を約束したことで、日本相撲協会は2014年に財団法人から公益財団法人に移行することができた。この流れに乗る形で、ガチンコ勝負推進派の貴乃花親方は協会内で順調に出世し、2016年には理事長選挙に出馬するまでになった。

パラダイムシフトの難しさ

しかし、八百長問題が表面化した後も日本相撲協会の「パラダイム」は変わっていなかった。パラダイムというのは非常に強固で、簡単には変えにくい性質を持つ。なぜなら、現在のパラダイムにどっぷりつかっている人には、今のパラダイムが崩れた後の世界がイメージできないからである。

八百長問題で処分を受けた親方は19人(力士時代の八百長関与で処分された2名を除く)いるが、その中には現理事長の八角親方も含まれている。つまり、相撲協会の理事や役員に対して処分は下されたが、刷新はされていない。だから依然として旧パラダイムが維持されてしまっているのだ。

今回、貴乃花親方が日本相撲協会内だけで問題を処理しようとしたら、どうなっただろうか。恐らく、力士間の喧嘩ということで内々に処理されていただろう。別に相撲協会が隠蔽体質という話ではなく、公にするデメリットが大きいからである。仮に相撲協会が公に「モンゴル人力士共同体」とそれを快く思わない貴乃花親方の存在を認めてしまうと、必然的にモンゴル人力士を預かる親方衆が「八百長の温床」を放置したことになり、親方衆に対する批判は免れない。だから、貴乃花親方は事件を警察に委ねたのだろう(傷害事件を警察に委ねるのは、一般人であれば普通のことであるが)。そうすれば相撲協会に外圧がかかり、パラダイムに揺さぶりをかけられる。

パラダイムシフトは日々の累積的な出来事の中では起こらない。なぜなら、それは当事者に対して「物の見方」そのものの変更を迫るからである。今のパラダイムでは解決問題できない問題が累積したときに、パラダイムは揺らぐ。それが今回の日馬富士による暴行問題であり、その影にちらつく八百長疑惑である。

貴乃花は相撲界にパラダイムシフトを起こせるか

先に述べたように、現在のパラダイムにどっぷりつかっている人には、今のパラダイムが崩れた後の世界がイメージできないため、パラダイムシフトは中心ではなく「辺境」から生まれることが多い。だから、パラダイムシフトを主導する人は「空気を読まない人」や「変わり者」が多くなる。相撲界では貴乃花親方がまさにそうだ。表現を変えれば、変革者であり革命家とも言える。

彼は2016年に理事長選挙に出馬したが、大差で落選した。その直前に書かれたメッセージを読むと、変革への並々ならぬ覚悟が伝わってくる(出典:貴乃花部屋ホームページ)。

「忠誠と信義を重んじ、この人生に身を捧げる思いを、過去にない意地と懇親を抱いて皆様のご期待にお応えし、相撲道復活の道筋を常に歩み続けたいと思う毎日です。

人生は長くとも短いと申しますが、今日死に直面しても悔いはない人生を訓示として、我が身我が友我らが仲間と共に身を削る覚悟に至りました。

相撲道の普及は、我が人生の名代でもあります。我が故郷我が生き甲斐でもあり、記憶を辿れば、幼心に芽生えた軍神のように生まれてきた思いがいたします。日本の国益のお役に立てるための、相撲道の本懐を遂げるためのものです。

言うが易し行うは難しい、と社会の気風を打破してこの後の相撲界に大きな貢献に鉾を立てて、将来を担う力士たちの柔軟なしなやかな心を育てて参ります。これからもご支援ご指導を賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます」

相撲をテーマにこうしたコラムを書いていながら、私はしばらく相撲を見ていない。しかし、貴乃花の鬼気迫る相撲は印象に残っている。貴乃花は団塊ジュニアの星であり、平成の名横綱として感動の名勝負をいくつも見せてくれた。彼は組織人としては「困った奴」かもしれないし、ちょっとカルトっぽい面もあるかもしれないが、見方を変えれば不屈の変革者である。彼にとって相撲は「神事」であり、だからこそ力士には常に真剣勝負の覚悟を求めるのだ。相撲と他の格闘技との最大の違いはそこにある。だから彼はプロスポーツの指導者としては異質なのだが、それをプロスポーツの尺度で測るのは無理がある。スポーツとは違うパラダイムだ。

貴乃花が思い描くような相撲界に変わったら、また相撲を見たいと思えるかもしれない。

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