サンフランシスコのホテルからは、市街とサンフランシスコ湾がよく見渡せた。朝9時にサンフランシスコ市内で、投資家に会った。10時半にホテルを出て、パロアルトに向かった。パロアルトでは、シリコンバレーで活躍しているエンジェル投資家と友人と3人で昼食をともにした。シリコンバレーの投資の状況を聴取する良い機会であった。その後、サンドヒル・ロードにあるApax社の事務所を訪問した。ベンチャー キャピタル環境は、グーグルの公開以降でも、期待されていた以上には好転していないようであった。
その後スタンフォード大学で工学部の教授と面談した。スタンフォード大学の教授は、ベンチャー投資に熱心であった。教授は人工知能(AI)の大家であったが、自らも3社に出資をしているという。工学系の大学の教授室に立ち寄ると、自らの大学時代(京大工学部)が思い出される。スタンフォード大学のような環境で、エンジニアリングを学び直したいという衝動に駆られてくる。学ぶには良い環境だ。教授とのディスカッションも楽しい。
その足でバークレー大学に向かった。キャンパスで学生向けに英語でスピーチをし た。質疑応答を入れて、1時間半程度であった。今回は、英語のスピーチも何回か行ったので、慣れてきてはいたが、やはりスピーチは疲れる。エネルギーを使うし、集中するからであろう。ホテルに戻り、タイ料理店を予約した。ゆっくりとカジュアルに食事をしたい気分であった。
レストランへ向かう車の中で、ワールドシリーズが実況中継されていた。ちょうど9回裏のカージナルスの攻めであったが、レストランに着く前に、レッドソックスが優勝を決めていた。シリーズ優勝決定戦でNYヤンキーズを破り、その勢いで一度もリー ドを許さずに4連勝したのである。圧倒的強さであった。ボストンからビジネススクール訪問のため同行していたグロービス・マネジメント・バンク(GMB)のリーダーである岡島氏と勝利を祝いあった。彼女も僕と同じくハーバード・ビジネス・スクール(HBS)でMBAを取得しているので、レッドソックスを応援していたのだ。
夕食後ホテルに戻ると、今度はブッシュとケリーの大統領選の戦いが実況中継されていた。投票まであと1週間、米国はどのような選択をするのであろうか。
サンフランシスコでは、2泊滞在する予定だった。昨晩着いたかと思うと、もう今夜のうちにパッキングの準備を始めていた。この出張で何度パッキングをしたかわからない。
出張の最終日は、朝5時に起きて、メールチェックをして、7時前にチェックアウトした。8時にレッドウッドで投資家と会い、10時にもう1社の投資家とメンロパークで面談した。最後の投資家とのミーティングが終わったときの解放感といったら、とても言葉では言い表せないほどのものである。晴れ晴れとした気分の中、13時発のフライ トに間に合うよう空港に直行した。車の中で、ネクタイとシャツを脱ぎ、ラフな格好に着替えた。窓の外には、青い空とくすんだ緑色の丘が続いていた。
空港でセキュリティを通るのもこれが最後である。飛行機に乗り込み、離陸した。やっと終わったのだ。機内での食事の際に、シャンパンを何杯かおかわりした。ほろ酔い気分のままコテッと横になって爆睡した。3時間ほど熟睡し、今起きてこのコラムを書いているのである。おなかの中に多少シャンパンが残っているような違和感がまだしていた。
いよいよ長かった出張も終わろうとしていた。しかし長かった。乗った飛行機の回数 は、11回を越えていた。スピーチは6回、面談した投資家は20社、ビジネススクール関係で訪問した取引先・パートナーとのミーティングが2回、提携先のApax社へは3箇所訪問した。ビジネススクールのキャンパスへは3箇所訪問し、面談したビジネススクールの学生は数え切れない。情報交換のためブレックファーストやランチで会った人の数も多い。
今は、ちょっとした放心状態である。気が張っていたものが一挙に解放された感じであり、且つその反動で、一切気を使いたくない気分になっていた。キーボードを叩くリズムも軽快ではない。あまり難しい本やビジネス誌を読みたくないし、持ってきた詰碁集の問題を解く気にもなれなかった。ただひたすらのんびりしたい気分である。
到着まであと4時間。着いたら4人の子供達に会える。それを楽しみにしながら、もう ひと眠りするなり、どうってことない映画を見るなりして、ボーとしていようと思う。
僕らしくないかもしれないが、それが今の自分には一番必要な気がしていた。
2004年10月29日
サンフランシスコから成田に向かう機内にて
堀義人