僕はこの本を、歴史を知ることで、あなたを苦しめている悩みを吹き飛ばすために書きました。(p.12)
本書のタイトルは少々長いけれども、メッセージは明快だ。筆者が語るように、本書は一義的には読者が抱える悩みへの処方箋として書かれている。一義的と書いたのは、二義も三義もあるように私には思えるからだが、まずはなぜ歴史で悩みが解決するのか疑問に思われた方のために、そのメカニズムを紹介したい。
本書によるとそのメカニズムはこうだ。
- 我々の悩みは、社会の常識や価値観(=「当たり前」)から外れているという自己認識から生じる
- 古今東西の歴史の中には我々の「当たり前」が「当たり前」でなかった時代や社会がある
- 「当たり前」は変化するもので絶対的な価値観はないと知れば、それに悩まされることはなくなる(少なくなる)
例えば、かつてチンギス・ハンが統一したことでも知られる遊牧民に帰る家はない(彼らは家を“持ち歩く”)、江戸時代は公家や武士といった自分でお金を稼がない人が偉かった(現代はお金を稼ぐ力のある人が尊敬される)、昔の農村では人の命は必ずしも重要ではなかった(赤子の“口減らし”も普通の出来事だった)など、本書で紹介される現代の常識が通用しない例は枚挙にいとまがない。
こういう事実を知れば、自分自身とその悩みの元となっている価値観を、一歩引いて俯瞰して見ることができるようになる。すなわちこれはメタ認知だが、筆者は歴史を知ってメタ認知力を高めることを「歴史思考」と呼んでいる。最近注目されているレジリエンス(回復力・弾性)の文脈でも、メタ認知が自分の心の動きを知り、制御するための欠かせない能力であることはよく知られている。歴史思考はレジリエンスを高める思考様式だということだ。
VUCA時代だからこそ重要な「リベラルアーツ」
ここまででも本書を手に取る理由は十分にあるが、私はさらなる価値として本書がリベラルアーツへの秀逸な入門書である点を加えたい。
ビジネスリーダーにとってリベラルアーツが重要であり、VUCA(ブーカ=変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代において、その必要性がますます声高に語られていることは改めて記すまでもないだろう。私も含め身に付けたいと願う人はたくさんいると思うのだが、いざ始めようとしても、どこから始めればいいのか、何を学べばよいのか、その膨大な叡智を前にして途方に暮れる人もまた多いのではないだろうか。結局手を付けられずに後回しになってしまうのがありがちなパターンだ(もちろん私もその例に漏れない)。
そんな人にまず第一歩としてお勧めしたいのが本書である。正直に書くと、本書は誰でもさらっと読めてしまう、とても平易な本である。歴史的な事象に対する難解で高尚な論考が記されているものと想像して読み始めると、拍子抜けしてしまうかもしれない。
だが入り口は平易でも、奥行きを侮ってはいけない。本書に多く登場する歴史上の魅力的な人物のエピソードに心を躍らせつつ、彼らの生きた時代や彼らの取った行動の背景に丁寧に考察を巡らせるのが正しい読み方だ。本書で足りなければ、筆者の語るポッドキャスト「COTEN RADIO」を聞いてほしい。歴史に名を刻んだ人物のキャラクターや生き様はもちろんのこと、その時代の常識や価値観が(時には数百年もさかのぼって)分かりやすく示唆深く語られている。ああ、歴史とはこうやって楽しみ、学ぶものなのだということを教えてくれるのである。歴史に興味を持てたなら、そこを足掛かりとして、リベラルアーツへの道が開けることは言うまでもない。
本書の第7章では「私は存在するのか?」「メタ認知とは悟りのライトバージョンのこと」といった哲学的な話が出てくる。さっと触れられているだけだが、私には筆者の関心が最も滲み出ている箇所のようにも感じられる。この味わい深い難解な問いや定義を本書の価値として付け加えるのも悪くはないだろう。
「当たり前」を払拭してレジリエンスを高めるもよし、歴史上の人物の多様な個性や生きざまに触れるもよし、哲学的な思索に耽るもよし。本書の楽しみ方はさまざまだが、歴史への親しみが増し、次なる一歩を踏み出したくなることは間違いない。何かに悩んだときに思い出してほしい一冊だ。
著者:深井 龍之介 発行年月:2022年3月 価格:1,650円 発行元:ダイヤモンド社