VUCA(Volatility/不安定、Uncertainty/不確実、Complexity/複雑、Ambiguity/曖昧)時代とも言われる現代。その特徴の1つに、戦略の賞味期限が短い、言い換えれば持続的競争優位が実現しにくいということが挙げられます。
こうした時代に成長し続ける上で必要となるのは何でしょうか。それこそが「学習する組織」の実現です。経営環境の変化が早い時代には、「私が戦略を作り、あなたが実行する」という昔ながらの戦略策定・実行プロセスでは遅すぎます。戦略の策定と実行が同時並行に行われるくらいでないと、スピード競争に負けてしまうのです。
学習する組織とは、端的に言えば、「目的に向けて効果的に行動するために、集団としての意識と能力を継続的に高め、伸ばし続ける組織」のことです。つまり、組織の構成員一人ひとりが経営課題や経営環境を正しく理解し、高い志や当事者意識を持って自分、そして組織を変え続けるべくコミットする組織です。それがスピードや実行力につながり、長い眼で見たときに成功確率を高めるのです。
事実、「学習する組織」作りに真剣に取り組んできた企業の累積株主リターンは、VUCAが進み始めたこの20年で、他の優良企業の3倍程度に高くなっているという調査があり、その他の指標でもベンチマーク企業を凌駕しています。まさに現代の経営に求められるエッセンスが詰まっていると言えるでしょう。
さて、この「学習する組織」はMITのピーター・センゲ教授が1990年前後に体系化したものであり、日本に初めて書籍で紹介されたのは彼の著作『最強組織の法則』(1995年)になります。本書の原著「The Fifth Discipline」は欧米では250万部超の大ヒットとなったのですが、日本では残念ながら、それほどのヒットにはなりませんでした。その実際の効果なども考えると、非常にもったいない話です。
とは言え、それを日本でも広めようという活動は地道に続けられました。その第一人者が今回の書籍の著者でもある小田理一郎氏であり、彼は私がかつて本コーナーでも紹介した『世界はシステムで動く』の訳者でもあります。
本書は基本的にセンゲ教授のフレームワークに則っています。ポイントは、5つの原則(Discipline)をどのように組織に根付かせるか、そのアプローチや振り返りの方法などを丁寧に紹介している点です。
5つの原則は具体的には以下です。
志を育成する力
・自己マスタリー
・共有ビジョン
複雑性を理解する力
・システム思考
共創的に対話する力
・メンタル・モデル
・チーム学習
センゲ教授は、このうちシステム思考を特に重視していますが、これについては先述の『世界はシステムで動く』に詳述されていますので、そちらも参考にしていただければと思います。
私が今回、特に「なるほど」と思ったのは、共有ビジョンの策定とメンタル・モデルについてです。まず、共有ビジョンの章では、このようなエピソードが紹介されています。従業員からなる委員会がCEOに自分たちの策定したビジョンを紹介するシーンです。CEOはこう問いかけます。
「もしあなたの子供が車の多い道路の真ん中に立っていたらどうしますか?」
「私なら、とにかく子どものもとに駆け寄って、子どもを安全なところまで抱きかかえていきます」
「このビジョンを読んでみて、道路の真ん中に立つ子どもを助けようとするのと同じくらいの衝動を感じますか?」
「…いいえ、そこまでの衝動は感じません」
「では、自分たちで道路に立つ子どもを助けたいと思うようなビジョンができるまで、何度も話し合ってください」
子どもとの比較は多少レトリックの要素が大きいでしょうが、実際に多くの企業ではそこまでコミットしたくなるビジョンはほぼないでしょう。それでは組織の力はやはり生まれてこないのです。
メンタル・モデルの章では、人間の限定合理性(限られた範囲での合理性)について改めて問題意識を持つことができます。人間は意識しないうちに、「自分には知らないことがある」ということを忘れ、バイアス(思考の歪み)にも影響されて、自分の行動を決める枠組みを持つようになります。それを対話や内省などを通して気づき、場合によっては変えることが、組織を良い方向に導くのです。
ポイントは、自分がどのように考えているか(そう思い込んでいるか)という信奉理論より、自分の行動を規定する使用理論を正しく把握することです。たとえば、「自分の信念を守ることが大事」という信奉理論を持っていても、実際には「社長の言うことに反対しても無駄」「波風を立てることは損」と考え、行動する人は少なくありません。そのギャップに気付く、あるいは見て見ない振りから脱却することが非常に大事です。
難しいことではあるのですが、ここに挑戦する企業とそうでない企業では非常に大きな差が出ることは意識しておくべきでしょう。
本書の特徴としては、実際に役に立つ組織的な取り組みやプラクティスを紹介し、そこで何を感じ取るべきなのかを詳述している点があります。また、章末に簡単なまとめもあるので、それを読むだけでも、学習する組織実現のためのエッセンスを振り返ることができます。
ここ十数年ほどで、ダイアローグや内省、志を高める方法論などがどんどん紹介されるようになってきました。グロービスでも特に志の領域については方法論を進化させてきました。
しかし、それぞれをバラバラに学んでも効果は半減です。「学習する組織」を実現するためには、5つの法則をバランスよく高めることが必須です。本書はその意味で、日本企業に大きなヒントを提供していると言えるでしょう。
『「学習する組織」入門』
小田理一郎著
1,900円(税込2,052円)