「先生、数学なんて勉強して将来なんの役に立つわけ?」
生徒から何度もぶつけられた純粋で本質的な質問です(私は以前、公立中学校で数学を教えていました)。大切にしていたのは、疑問を抱いた彼/彼女と対話することですが、私個人の考えとしていつも次のように話していました。
「将来、正解がない問いに立ち向かっていくために、今正解がある問題で練習しているんじゃないかなぁ~」
本書を読み終えた今、生徒と話したいことが一つ増えました。
さて、本書は「回転率」「客単価」といった従来の指標はもちろん、「運の良さ」「会話の質」「職場の活発さ」といった今まで測れなかったものについて定量化し、どうしたらそれを得られるのかについてAIを使って分析する新しい問題解決の手法および興味深い分析結果について書かれた本です。
その面白さをご理解いただくために、本書に書かれた分析結果の事例を2つ紹介します。
(1) ホームセンターの客単価を1ヶ月後にどこまで伸ばせるか?
流通業界で実績のある専門家は、幹部や担当者へのヒアリングやデータの分析を行った上で「注力商品群を決め店内広告を設置する」「棚の配置を改善する」などの施策を提案しました。一方、人工知能は「店内のある場所に従業員がいること」が客単価向上の鍵であるという分析をしました。結果、専門家の施策は客単価にほぼ影響を与えなかったのに対し、AIの提案に基づいて従業員を配置した店舗は顧客単価が15%向上し、営業利益が2倍になるという劇的な結果になりました。
(2) ITシステムの開発遅延をなくすには?
顧客からの難しい(自分一人では回答できない)依頼について、適切な見積もりを作成できる営業担当者とそうでない担当者には、到達度に大きな違いがありました。到達度とは、社内で頻繁にコミュニケーションを行う相手を「知り合い」と定義したときの、「知り合いの知り合い」の数を指します。面白いことに到達度は直接の知り合いが多ければ大きいという訳ではなく、知り合い同士の結びつきが多いほど大きくなることもわかりました(多くの部下とコミュニケーションを取るよりも、部下同士のコミュニケーションを増やす方が到達度は上がる)。この分析結果を元に、ある企業で知り合い同士の結びつきを強化するためのワークショップを複数回実施したところ、到達度が上がり、頻発していた開発遅延がなくなりました。
これらの事例が示すことは、「AIは人間には思いつけないような仮説を立てることができる」ということです。つまり、仮説を立てて検証する従来型の問題解決から、人間は得たい成果(=アウトカム)を明確にし、データを収集するところに注力し、先入観を捨て仮説に頼らず、施策をAIに提案してもらう時代になったということです。
しかし、「先入観を捨て仮説に頼らない」というのは、経験の豊富な人ほど難しいでしょう。そんな方にお伝えしたい、さらに面白い、まさに“データの見えざる手”としか表現できない分析結果も本書には書かれています。
それは、「客単価の向上」「ITシステムの開発遅延の解消」といった利益のための目標を達成するには、従業員や顧客の「幸福度を上げる」ことが重要だということが、様々な分析結果からわかったということです。アダム・スミスは「経済性の追究と人間らしさは両者が協調しあってうまくいく」と唱えていたそうですが、「先入観を捨てAIを使って経済利益を追求すると、結果的に人間の幸福度を上げることになる」というのは、アダム・スミスが思い描いていた世界に近付いてきたと言えるのかもしれません。
最後に、本書の2通りの楽しみ方を提案します。
1. 新時代の問題解決の手法に酔いしれたい
→1ページ目からじっくり読むことをおすすめします。
2. AIによる驚きの分析結果を楽しみたい(数学に苦手意識のある方へおすすめ)
→2章~5章を中心に目次を眺め、ピンと来た箇所を読むのはいかがでしょうか。「休憩中の会話が活発だと生産性は向上する」「コンピューターvs人間、売上向上で対決!」「運をつかむには会話の質も重要」など、タイトルを見ただけでわくわくしてしまいませんか?
冒頭の生徒たちにまた会えたら、今度は彼/彼女が生涯を通じて得たいもの(アウトカム)についてじっくり対話してみたいです。ですが、その後「xに何をいれたらyが最適化するか」を教えてくれるのは、先生よりもコンピューターの方が上手かもしれませんね。
『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』
矢野和夫 [株式会社日立製作所 中央研究所] (著)
草思社
1,500円(税込1,620円)