誰しも幼少期に「うんこ」という言葉に目を輝かせ、友人と盛り上がった経験があるだろう。全ての例文にその「うんこ」が登場する「うんこ漢字ドリル」が、発売2か月でシリーズ合計100万部を超える勢いで売れていると言う。
出版業界の現状
出版産業は1997年をピークに年々縮小している。帝国データバンクの調査によると、出版関連企業(2528社)の2015年度総売上高は約4兆8867億円。前年度からマイナス3.6%、金額にして1805億円減少している。一方、ベネッセの調査によると、校外学習市場(学習参考書・ドリルを含む)は、ここ近年は横ばいが続いている。少子化傾向の中、校外学習市場が横ばいということは、1人当たりへの教育投資は増加傾向にあり、当然ながら顧客(親)の要求も高くなってきているだろう。そのため、出版社は「買ってもらえる参考書」をいかに作るか、頭を悩ませていることが容易に推察できる。ただし、義務教育においては学習指導要領というガイドラインに沿うことが求められていて、各社の違いが出しにくい世界と言えよう。
このような環境の中で、常識を打ち破り、異例の存在感を示している「うんこ漢字ドリル」がヒットを生み出せた要因を探ってみたい。筆者はヒットの要因は以下の5点だと考えている。
1. デザイン思考:クリエイターの視点でビジネスを捉える
2. Jobs to Be Done:顧客の片付けたい用事は何か?
3. 真の顧客:そもそも顧客は誰なのか?
4. 差別化:適切な差別化を描く
5. 素人チーム:業界の慣習に染まってない視点を入れる
1. クリエイターの視点でビジネスを捉えるデザイン思考
近年注目を集めている思考方法に「デザイン思考」がある。デザイン思考の基本プロセスは、共感(観察・理解)、問題定義、発想(アイディエーション)、プロトタイプ、テストという5つのステップで構成されるプロセスだ(下図)。まず、じっくりこの業界を理解し、対象顧客をじっくり観察し、彼らの生態を理解する中でインサイトを得る。その上で、問題の枠組みを捉え直し、着眼点を定める。そして、問題解決のためのアイデアを広げていく。
「うんこ漢字ドリル」の場合、購買意思決定者としての「親」ではなく、実際にドリルを使用するユーザーである「子供」の行動に着目し、日々の活動や友人との盛り上がりネタを含め、彼らの関心毎をじっくり観察・理解している。
(出典:デザイン思考研究所)
2. 顧客の片付けたい用事は何か? Jobs to Be Done
企業がいまほど、膨大かつ多様な顧客データを持っている時代はない。しかし、「顧客は何を達成したいのか」という視点を持たずにやみくもに分析・検討したところで、革新的な価値を生み出すことはできない。顧客の「片付けるべき用事(Jobs to Be Done)は何か」を考えるべきだと、イノベーションのジレンマを提唱したクレイトン・M・クリステンセンは言う。これは1で述べたデザイン思考のStep2である「問題定義:問題の枠組みを捉えなおす」において必要な視点であり、「漢字を覚えられないのはなぜか」ではなく、「学習が続かないのはなぜか」と顧客のJobを捉え直している。
3. そもそも顧客は誰なのか
ここまで来ると、「そもそもターゲットは誰なのだろう」という疑問が生じる。「うんこ漢字ドリル」の真のターゲットは誰なのだろうか。それは、「漢字を覚えられない子供」ではないのだ。覚える活動をしている時点で、真のターゲットからは外れていると考えられる。なぜなら「うんこ」がなくてもドリルを広げることができるからだ。真のターゲットとなり得るのは、「学習に取り組めない子供」なのだ。注意散漫でなかなか机に向かえない子供をイメージしてもらうと良いだろう。
4. 差別化とは奇をてらうことではない
真のターゲットと、片付けるべき用事が定義されると、「継続させるための仕掛け」についてアイデアを広げていく。彼らは、漢字の勉強に対する関心は乏しいものの、「うんこ」への関心は高い。小学生の多くが抵抗なく、面白がって連呼する「うんこ」を使用することに絞り込んだ。
ここで注意したいのは、先に「常識を打ち破り」と書いたが、常識を打ち破ると何でも良いのだろうか。有りがちなのは、これまでとの違いを明確に出したい、競合との違い、意外さを出すために、ひたすら奇抜な手段を考えてしまうことだ。また、敢えてタブーに踏み込むということも考えがちだ。しかし、単純に奇をてらっても一過性の変わりモノで終わってしまうだろう。そのモノの本質的に伝えるべき要素はやはり効果的に残した上で、常識を破らなければならない。
【ルールブレイクのプロセス】
うんこ漢字ドリルで言えば、ドリルの本質は「漢字の学習ができること」。この本質は妥協せずに残しつつ、例文の作り方(3018の全例文にうんこが登場する)において、常識を打ち破っていると言えるだろう。ちなみに、「うんこ」がタブーだと思っているのは大人だけであり、真の顧客である子供にとってはむしろ好物でしかない。
5. 素人の視点で考える
このようなプロジェクトを成功させることができた背景を考えてみよう。「うんこ漢字ドリル」を出版した文響社は、自己啓発本など「人の成長につながる本」をより多くの人に親しんでもらいたい、というテーマで出版活動をしている出版社なのである。つまり、学習参考書を出版するのは今回が初めての経験だったのだ。「素人の視点を持つ」「その業界に染まっていない人をメンバーに入れる」ということが、世の中に新しい価値を生み出す一つの方法とも言えよう。