「愛されるよりも恐れられよ」― リーダー論の古典『君主論』に出てくる有名なフレーズだ。15-16世紀のイタリア、群雄割拠の時代にフィレンツェの外交官をしていたニッコロ・マキャベリが著した『君主論』は、騙しと脅しを駆使するリーダーシップを推奨している。このマキャベリ的リーダーシップを思い出させてくれたのが、第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ氏だ。
就任後矢継ぎ早に大統領令を連発。TPPからの離脱を決定し、多国間外交ではなく二国間それぞれと交渉していくスタンスを鮮明に示した。1月末には、テロ対策として、シリアやイランなどイスラム圏7カ国からの入国禁止を指示する。司法省のトップ、イエーツ司法長官代行が、この判断に疑念を表明すると、即座に「お前はクビだ」と解任してしまう。強権発動も辞さないトランプに対し、周囲は戦々恐々としている。
こうしたリーダーシップスタイルは、前任のバラク・オバマとはあまりに対照的だ。ケニア人の父の下に生まれ、マイノリティの代表としてのアイデンティティを持つオバマは、人権派弁護士としてキャリアを積み、「Yes, we can」のスローガンで2008年の大統領選挙に勝利した。外交的には、アメリカ主導の国際協調を理想とし、敵対国とも対話路線を重視、キューバとの国交回復を実現した。「核なき世界」に向けた国際社会への働きかけが評価され2009年ノーベル平和賞を受賞。被爆地広島を現職大統領として初めて訪れたことも記憶に新しい。弱腰と批判されることもあったが、米国の価値観を体現する存在として理念を重視する姿勢は一貫していた。
リーダーシップ研究を俯瞰すると、2000年代以降、理念重視の流れが注目されてきた。エンロン事件のような企業不祥事やリーマンショックを引き起こした強欲的資本主義の反省から、21世紀に求められるリーダーの要件として、倫理観や社会性の高さが重視されるようになった。ピラミッド型のヒエラルキーの長として権力で組織を束ねるリーダーシップではなく、組織の枠を越えたネットワークを繋げるリーダーシップの時代になったと考えられた。SNSのような場のフラットなコミュニケーションで人々を動かすのは、借り物ではない「本物の自分らしさ」だとされ、オーセンティック・リーダーシップという概念が提唱された。
建国以来初のアフリカ系米国人の大統領として、自由、平等、多様性尊重という移民国家アメリカの理念を自ら体現していたオバマは、そうしたオーセンティック・リーダーシップの時代の象徴だったといえよう。だが、グローバル化の裏側で格差が拡大し、他人の心配をする余裕を持ちにくくなった人々のホンネは、キレイごとより実利重視に傾いてきている。かつて二宮尊徳は「経済なき道徳は寝言である」といったが、既存の政治家たちの掲げる理念は寝言にしか聞こえない人々が増えてきている。『君主論』の時代のイタリア同様、何が起きるかわからない乱世には、実行力のあるリアリストが求められる。言い換えれば、マキャベリ的リーダーシップが問われる時代になったということかもしれない。
トランプは、あえて悪役を演じているという見方もある。『君主論』も、実際にどのような人物であるかよりも「どう見えるか」が大事だと説いている。そして冒頭に紹介したフレーズの通り「恐れられる」ことを勧めている。一方、権力を得るために極悪非道な手段を使うことは許されるが、権力を得た後も使い続けると「栄光を得ることはできない」とも説いている。
果たしてトランプは『君主論』の教えに従うのだろうか。リーダーシップの流れがどこへ向かうのか注目していきたい。