2017年1月20日、ドナルド・トランプ氏が米国大統領に就任する。トランプのアメリカはいったいどこに向かうのか。建国の理念の1つである「平等」というキーワードを軸に考える。
「平等への脅威」に対する反発
2017年1月20日、ドナルド・トランプ氏がアメリカ合衆国大統領に就任し、新政権が発足する。
複数の有名歌手が直前になって就任イベントへの出演を拒否し、50人もの民主党議員が就任式ボイコットを表明するなど、オバマ大統領の就任時とは対照的である。
トランプ氏への反発は今になって始まったものではない。選挙期間中も当選後も、ニューヨークやロサンゼルスで多数のしかも激しいデモが行われた。デモの目的は「不法移民の国外送還」に対する反対や、過去にトランプ氏が発言してきた「偏見や差別」に対する抗議である。デモの参加者たちは、トランプ政権の誕生によって、マイノリティーに対する「平等」が脅かされるのではないかと危惧している。
例えば、選挙期間中にトランプ氏は「DACAプログラム(幼少期に親に連れられ米国に不法入国した若者を対象にした救済策)」を廃止する方針を示していたが、仮に廃止されれば、対象者は働くことができなくなってしまう。こうした事態を、当事者だけでなく、マイノリティーに対する「平等」を重視する人たちは恐れている。
民主党議員が50人も就任式をボイコットするという事態は、異例の事態である。当然ながら、ライバル政党の大統領が就任するというだけで、就任式をボイコットすることは無い。ボイコットした議員にとってトランプ氏は、「政治的に正しくない」存在なのだ。
「政治的正しさ」の原点は独立宣言
では、トランプ氏の何が政治的に正しくないのだろうか。就任式をボイコットした民主党議員の「論理」を読み解いてみる。
上の図は大統領就任式関連のニュースで報道されている情報を用いて構成したのだが、こうした情報だけでは、判断の前提が見えないことに気づく。
では、「政治的に正しい・正しくない」を判断する「前提」は何か。まずは合衆国憲法だろう。そして、憲法のベースには「アメリカ独立宣言」(1776)がある。独立宣言こそ、アメリカの基本精神である。以下、重要な部分を抜粋した。やや言い回しが固いので、要点を参照にしていただきたい。
アメリカ独立宣言訳文の出所:アメリカンセンターJAPAN
要するに、「自由と平等」は人民の基本的な権利であり、それを脅かすような政府は変えることができる、ということが書かれている。これが政治的な正しさである。
ちなみに、現代アメリカにおける「政治的正しさ(political correctness)」とは、「性別・人種・宗教・民族・ハンディキャップ・職業等の違いに対する、偏見や差別的な言動はしない」という意味である。「自由と平等」のうち、「平等」に力点が置かれている。この前提に照らせば、トランプ氏は完全にアウトだ。
以上を踏まえて大統領就任式に欠席する民主党議員の「論理」を再整理すると、次のようになる。
アメリカの「平等」を体現したオバマ政権とのコントラスト
では、そもそも「平等」とは何なのだろうか。普段使っている言葉であるが、改めて「平等」の構造について考えてみると、平等とは「3つの変数」で表わすことができると筆者が考える。「誰と誰が」「何について」「どの程度」である。以下、2つの例を挙げる。
要するに、平等の基本構造は、誰かと誰かの間における、何かについての「差」を無くす、小さくしようとすることである。アメリカでは1950年代以降、様々な平等が進んだ。それが以下である。
自由と平等はアメリカの基本精神だが、共和党よりも民主党の方が「平等」を重視する傾向がある。民主党のオバマ大統領は、平等を推進した。それは法律の改正ばかりではない。黒人の血をひく大統領(オバマ氏)にカトリックの副大統領(バイデン氏)、女性の国務長官(クリントン氏)の組み合わせが、人種や性別の平等を象徴的に表していた。ちなみに、カトリックの米国大統領は過去1人のみであり、それ以外は全てプロテスタントである。以下、オバマ政権時代に行われた平等の推進事例である。
「平等」は必ず反発を招くというジレンマ
しかし、平等が進むと、必ず反発が起こる。例えば、公民権運動の結果、白人専用のスクールバスに黒人も乗れるようになったときの白人による反発。身近な例では、職場における男女平等が進むことによる、男性による反発などである。「政治的に正しくない」トランプ大統領が当選したのは、こうした反発に後押しされた面がある。
平等に対する反発には、2つのタイプがあると筆者は考える。1つは、「既得権益を失うこと」への反発、もうひとつは「慣習や文化が守れなくなること」への反発である。両方のタイプが混ざっていることも多い。そのうち、深刻な対立に至るのは、ある集団の「慣習や文化」に踏み込んだときである。
職場における男女平等を例にとると、反発はAタイプ(既得権益減少型)だが、若干Bタイプ(文化・慣習否定型)が混じる。例えば、職場で「ロッカールームトーク」を大っぴらにできない、などである。この中でも、平等に伴う根深い問題は、Bタイプ(文化・慣習否定型)である。
以下、最近のアメリカにおける平等と反発をタイプ分けする。
Bタイプ(文化・慣習否定型)の方が深刻な反発を生むと述べたが、その中でも、宗教に基づく文化・慣習は変えにくいので、反発は根深いものとなる(例③)。
例えば、「同性婚の合法化」については、アメリカ最高裁判所は2015年に同性婚を合法と認めたが、最高裁判事9人中4人は反対している。合法にはなったが、その決定に反発している人は相当数いるとみてよい。また、オバマケアにおける「女性向け避妊薬の保険適用」も、伝統的なキリスト教道徳に照らすと、同性婚と同様に容認できない。
ここである事実に気づかされる。「既得権益減少型」の平等が進んだアメリカにとって、残された平等の領域は、必然的に「文化・慣習否定型」が多くなり、それは時に「宗教的なタブー」に踏み込んでしまう。そうなると、反発はより強くなってしまう。
公民権運動のリーダーはキング牧師だった。牧師だから、宗教的なタブーには踏み込んでいない。しかし、同性婚や妊娠中絶の問題は、宗教的なタブーに踏み込んでしまっている。そうなると、進化論を否定するテッド・クルーズのような宗教右派が、共和党の大統領予備選で健闘することになる。
多文化主義の失敗に便乗したトランプ氏
こうした反発を放置していると対立が深刻になってしまうので、「あちらもこちらも、認める」ということで決着をつけるしかない。これを「多文化主義」という。
なお、多文化主義には「マイノリティーの文化をマジョリティーの文化と同等に扱う」という、差別撤廃の思想がある。アメリカにおいては人口の4割程度がキリスト教保守の「福音派」だと言われ、キリスト教道徳に忠実な人はマジョリティーなので、同性婚や女性向け避妊薬の保険適用などは、伝統的なキリスト教道徳に忠実ではないマイノリティーの文化を容認していると言える。
しかし、多文化主義の社会は、「マイノリティーの文化をマジョリティーの文化と同等に扱う」ことによる緊張を、常に強いられる。ただし、こうした問題が噴出しているのはアメリカよりもむしろ、労働力としてイスラム圏からの移民を多く受け入れているドイツやフランスだ。実際、ドイツのメルケル首相は、2010年に「多文化主義は完全に失敗した」と発言している。まさに、現代では、「多様性、移民、そして多文化主義が西洋の民主主義における社会問題の中心に存在している」(J.ハイト2016)のである。
トランプ氏は、アメリカで進む「平等」に対する「反発」を意識的に汲み取っているのだ。便乗したと言ってもいいかもしれない。女性や中南米系住民、イスラム教徒に対する問題発言は、その表れだ。
では、トランプ政権下で、アメリカの「平等」は後退してしまうのだろうか。
移民の国であるアメリカは「自由と平等」の理念によって、文化や宗教が異なる人々を1つに束ねてきた。急激に移民を増やしたドイツとは違い、アメリカは多文化主義の先進国である。だから、アメリカの平等は簡単には後退しないという見方もある。さらに、トランプ氏に反発する人は多い。実際、就任直前の支持率は44%、不支持率は51%に上った(ギャラップ社調べ)。
しかし、この調査結果を真に受けていいのだろうか。大統領選挙の時も、メディアの事前調査ではトランプ氏は劣勢だった。だから、この調査もアテにしない方がいいだろう。つまり、トランプ氏の特徴は「表立って応援しにくい」ことである。恐らく、相当数の「隠れトランプ支持者」が存在する。
隠れトランプ支持者とは、建前上は「政治的な正しさ」を表明しつつ、本音では窮屈な思いをしている人たちである。トランプ氏は、こうした人たちの本音を代弁する存在なのだ。逆に言えば、トランプ氏が本音を代弁してくれているから、「政治的正しさ」という建前を維持できる。
こう考えると、現代のアメリカにとって「トランプ大統領」という存在は、ある部分では救いなのかもしれない。