早くも「逃げ恥ロス」が話題になっている。私もその一人だ。せめて年内は、その気分に浸りたい。そこで今回は、「契約結婚」について取り上げる。近年、「契約結婚」的な結婚を望む人が増えているらしい。恋愛は抜きで、生活互助的な相手が欲しいというニーズである(参考:NHKクローズアップ現代「恋人いらないってホント?出現!“いきなり結婚族”」)。逃げ恥のヒットを機に「契約結婚ブーム」は来るのだろうか。
ちなみに、日本人の未婚率は1970年代から緩やかに上昇している。その結果、1980年と2010年の比較では、男性の未婚率が2.2倍(30-34歳)、女性の未婚率3.8倍(同)となっている。「契約結婚」は未婚率の低下に歯止めをかける切り札に成り得るのだろうか。
この問いに答えるにあたり、社会学者マックス・ウェーバーの理論を用いる。ウェーバーは「社会的行為」を4つに分類している。一見難解なようだが、とてもシンプルな話なので、お付き合いいただきたい。結婚はこの4つの行為の組み合わせであり、人によってバランスや強さが異なる。以下、ウェーバーの理論を用いて、昭和から平成にかけての結婚観を4つの時代に分類して考察する。あくまでイメージなので、厳密なものではないことをご了承いただきたい。
タイプ1: 古典的な結婚観(昭和初期から戦後すぐ)
昭和初期から戦後間もない頃の典型的な結婚は、恋愛結婚ではなく見合い結婚が中心であった。そのため、「感情的」要素は低く、その他の要素の割合が大きかったと考えられる。中でも「伝統的」(これまでの伝統に照らして、結婚するのが当たり前)の割合が多かったのではなかろうか。もちろん、「価値合理的」(結婚して家庭を持つのは素晴らしい)、「目的合理的」(生活を支え合う)という側面もあっただろう。
タイプ2: 戦後の団塊世代~バブル世代の結婚観
戦後、皇太子殿下と正田美智子さんの結婚を機に、「恋愛結婚」という形態が徐々に普及していく。それまでの結婚は、伝統的で合理的なものだったが、「感情的」な行為の占める割合が増えていった。また、産業構造の変化(一次産業から二次産業へ)により、地方から大量に「金の卵」として若年者が都市部に流入した。こうした人たちは地縁・血縁から離れ、自由な恋愛を通じて結婚するようになっていった。また、農村や漁村では男女共働きが普通だったのが、工業化が進むにつれて男女の役割分業が進み、働く男性(会社員)と女性の専業主婦という役割分業が一般的になった。この時代は恋愛による「感情的」行為の割合と、性役割分業による「目的合理的」行為の割合が高かったと思われる。
また、「価値合理的」行為の割合も、それなりに高かったと推測される。会社は社員の男性に結婚をさせることで、会社に対する長期的な貢献意欲を引き出そうとしていた。そのため、上司から独身の部下に対して「結婚はいいぞ。君も早く結婚して、子供を持ちなさい」などのアドバイスが(現在ならパワハラ、セクハラだが)日常的に行われていた。この時代は、「会社員の男性、専業主婦の妻、子2人、持ち家(郊外の戸建てかマンション)」というのがひとつの理想だった。
タイプ3: 平成時代の結婚観
平成時代になり、昭和時代の結婚観が徐々に崩れていった。バブル経済の崩壊によって「会社員の男性と専業主婦」という組み合わせが、必ずしも安泰でないことが露呈してしまった。また、男女雇用機会均等法によって、企業における女性の社会進出が進み、主に都市部では専業主婦を志向しない女性が増えた。こうして、結婚から「目的合理的」、「価値合理的」な側面が薄れていった。そうなると、残るは「感情的」要素、つまり恋愛しかない。しかし、2000年半ばごろから「草食系男子」なる言葉が登場したように、恋愛に消極的な若者が増えてきた。そうなると、婚姻率が低下してしまう。下のイメージ図の面積も小さくなっている。
タイプ4: 契約結婚(これから流行る?)
契約結婚とは生活上の互助を目的としているので、上の4分類のうち「目的合理的」行為による結婚である。
目的合理的なスコアだけが高くても、全体の面積が大きくならないため、「普通の結婚」には至りにくい。それを示したのが「逃げ恥」である。逃げ恥では「目的合理的」な契約結婚から、2人が恋に落ちることで感情的なスコアが高まり、「普通の結婚」への道が開けた。
これで面積はかなり大きくなった。しかし、「価値合理的」な側面は依然として高まらないままだ。ドラマでは、藤井隆が演じる「日野さん」が、結婚に価値を置いている人として描かれているが、重要な役割は担っていない。やはり、「目的合理的」+「感情的」の組み合せに頼るしかないのか。
日本における結婚制度と文化の関係
そもそも、近代における「一夫一婦制」の結婚システムは、キリスト教道徳に基礎を置いている(モーセの十戒にある「汝、姦淫するなかれ」の教えに基づき、教会が一夫一婦制を普及させた)。しかし19世紀までの日本では、身分の高い武士や裕福な商人に複数の妻がいるのは珍しくなかった。なぜなら、複数の妻を持つことは「不道徳」ではなかったからである。日本の資本主義の父と言われている渋沢栄一は著書「論語と算盤」で商売倫理を説いたが、本妻のほかに妾を複数抱えていたという(噂では10人)。これについて渋沢は「孔子様は妾について何も言っていないので、自分の行為は矛盾していない」旨の発言をしている。渋沢だけでなく、三菱グループの始祖、岩崎弥太郎も多くの妾を抱えていたらしい。
そう考えると、一夫一婦制の結婚制度は、その目的に照らせば「価値合理的」的であるべきなのだ。しかし、日本はキリスト教道徳を基盤にしている国ではないので、文化と制度が微妙に噛み合っていない。
そんなことは、みんな薄々感づいている。現代日本における結婚式の主流が「キリスト教式」であるという事実が、そのことを示している。日本でクリスマスが「カップルの日」になってしまっているのも、同じ理由である。
もちろん、文化と制度が噛み合っている面もある。それは儒教文化(先祖崇拝)に存在している「誰かが先祖の墓を守らねばならない」という問題である。だから長男は「価値合理的」な行為として結婚して家を残さなければならなかった。男子がいなければ、婿を取るしかなかった。ただし、現代ではこうした縛りは徐々に薄まっており、それが継続的な婚姻率の低下につながっている。
欧米の婚姻率はどうなっているのか
では、欧米キリスト教国の婚姻率は日本と比べて高いのだろうか。話をひっくり返すようで恐縮だが、実は日本の婚姻率は低くない。その理由は「誰が墓を守るのか」問題が存在しているからであろう。日本が低いのは「同棲カップル率」と「出生率」である。
2010年の内閣府調査では、日本、韓国、アメリカ、フランス、スウェーデンの20~40代の男女の婚姻率で、日本は5カ国中トップ(63.9%)であった。続いて韓国(61.8%)、アメリカ(46.0%)、スウェーデン(40.7%)、フランス(38.2%)の順になっている。しかし、この数値に同棲カップルを含めると、フランス(66.4%)、スウェーデン(66.3%)が上位となり、日本(65.2%)は逆転される。
また、フランスやスウェーデンの合計特殊出生率(一人の女性が生涯に子供を産む人数)は低くない。フランスやスウェーデンでは出生率が1.5~1.6台まで低下したが、2014年調査ではフランスが1.98、スウェーデンが1.88となっているのに対して日本は1.46(2015年)である。
なぜ、フランスとスウェーデンでは婚姻率が低いのか。結婚はそもそも「価値合理的」な行為であるべきと述べたが、今やフランスは無宗教に近い国となっているのだ。それは婚姻率の低下と無関係ではない。1950年代には日曜日にミサに行く人は3分の1以上もいたが、2000年代中盤には5%、最近では1%を切るようになったとする調査もある。キリスト教道徳が薄れてしまった現代のフランスにおいて、好きなパートナーと一緒に住むだけならば、わざわざ結婚する合理性が乏しい。ならば同棲で十分である。
なお、フランスにはPACS(パックス)、スウェーデンにはSambo(サムボ)という制度があり、同棲カップルにも結婚と同じような権利が法律で保障されている。こうした制度が、結婚を含めた「同棲カップル数」の減少を防いでいる面がある。ただし、2011年時点のフランスにおいて同棲カップルに占めるPACSの割合は4.3%に過ぎず、内縁関係の22.6%の方が多い。
「契約結婚」は婚姻率低下・少子化の処方箋になりうるか
日本でもフランスように「日本版PACS」が施行されれば、少子化も改善されるという意見もある。一理ありそうだが、PACSは日本の文化に合うだろうか。PACSの特徴は「貞操の義務」が無いことと、「離婚のしやすさ」であるが、それがネックで結婚が阻害されている例はどれほどあるだろうか。それに、フランスもPACSではない内縁関係の方が多い。
そう考えると、生活面の助け合いに特化した同棲である「契約結婚」は、結婚の代替手段に成り得るかもしれない。ただし、そこに恋愛が不在ならば、単なる「シェアハウスの同居人」である。そうであれば、カップルである必要はない。また、「契約結婚」で出生率が高まるようには思えない。
平凡な結論で恐縮だが、救いは「恋愛」になりそうだ。それを示したのが、逃げ恥である。
ちなみに、逃げ恥は「誰が墓を守るのか」問題も解決している。主人公の津崎平匡は一人っ子であり、森山みくりには兄がいる(兄には妻子もいる)。津崎家の「誰が墓を守るのか」問題は、契約結婚から結婚に移行することで、ひとまず収まる。うまくできている話だ。幅広い世代から支持されるのも分かる。
正月くらいは、逃げ恥のファンタジーに浸ってみようか。