一般社団法人G1のフェローとして、G1サミット、G1ベンチャー、G1経営者会議などの企画・
ニューヨーク・タイムズの予想では、ヒラリー・クリントンの圧勝に終わるはずだった。11月8日。合衆国の地図が赤色に染まり、トランプ次期大統領に「当確」が出るまで、そう時間はかからなかった。
同じ事象を今年6月にも我々は目のあたりにしている。英国のEU離脱。多くのメディアの事前予想を裏切り、52%が離脱に票を投じた。
「想定外」の事態は、たまたま続いたのだろうか。むしろ、ゲームのルールが変わっていると考える方が妥当ではないだろうか。
なぜ大手メディアの予測は外れたか
「周囲にトランプの支持者なんていなかった」、多くの知識人がそう言う。白人の低所得層がトランプに票を投じた、彼らの現実に気がついていなかったのだと。ダイバーシティを排除し、人種差別発言を繰り返すトランプの勝利が「反知性主義」の文脈で語られることも多い。
本当にそうだろうか。
トランプの娘婿であるジャレッド・クシュナー氏は、ハーバード卒の若き不動産王であり、大統領選の参謀として勝利に大きく貢献したと言われる。クシュナー氏は、大統領選のメディア戦略において、テレビやネットでの広告を削減し、ツイッターやFacebookを選挙戦の主要ツールとすることを決めた。
クリントン陣営の選挙運動が従来型メディアに大きく頼っていたことと対象的だった。トランプ陣営は、訴求対象に合わせたメッセージを発信し、膨大なデータ解析を通じて有権者感情の変化をリアルタイムで捉え、分析結果によってリアルの演説内容を変えていった。
ベースにあるのは、大手メディアへの不信だったかもしれない。
「政敵であるヒラリー・クリントンは、エスタブリッシュメント代表であり、トランプこそが、腐敗した既得権益に斬り込む救世主である」 ――ひとたび、その対立構造を演出できたなら、大手メディアがヒラリーに肩入れするほど、まるでネガティブ・キャンペーンを張るような結果になる。「大手メディアは信用できない」「信用できるのは、友達のSNS」「○○ちゃんのSNSには、トランプ支持と書かれている」
見たいニュースだけ見る人たち
そのメディアキャンペーンは、外部から窺い知ることができない。なぜならSNSは、関心があるニュースだけを配信し、見たいオピニオンだけを見せてくれる装置だからである。
Facebookで友人をフォローする。流れてくるのは、親しい友人の投稿、彼らが「いいね」した投稿、これまで閲覧した記事と類似の内容。
それは奇異なようでいて、我々にとっては、古く懐かしい光景でもある。
テレビや新聞といったマスメディアがない時代、情報とは、隣近所の人たちから伝聞形でもたらされるものだった。そして、情報の信憑性は「誰が言っているか」、すなわち情報を発信する個人の信用によってのみ担保されていた。
時代は螺旋状に進化を遂げ、インターネットによって、情報とは再び「信頼できる」「身元の確かな」個人から受け取るものへと回帰しようとしている。いまや情報が流通するためには、個人の信用という通貨がなければならないのである。
消滅する「権威」
もしも今が2000年代であったなら、大手メディアの事前予想通り、ヒラリー・クリントンが圧勝していたのではないか。情報の受信や発信を行うプレイヤーは、テレビや新聞に集中していた。
しかし2010年代は違う。スマホの普及によって、誰もが発信できるようになった。映像の撮影や編集さえスマホ一台ででき、テレビ視聴者たちはYoutubeに流れていく。
もはや、エスタブリッシュメントに「承認」される必要はない。となりの家の○○ちゃんが発信する情報、SNS上での友達の声の集積こそが、彼や彼女にとっての世論となる。
それは、メディアだけに限定された事象だろうか。おそらく、そうではない。
今後、3Dプリンタが普及すれば、大規模な製造設備は不要となり、製造業が根底からディスラプト(破壊)されることになる。貨幣の発行さえ、中央銀行(=政府)の承認は不要となりつつある。ビットコインはピア(Peer:仲間)によって承認され、「中央」という概念は希薄化していく。
大手ホテルチェーンをAirbnbが侵食し始め、百貨店の包装紙よりも、メルカリのようなフリマアプリの相互評価が信用価値となっていく。
「誰かえらい人」はいらなくて、ネット上の同胞の声こそが無数の権力になっていく。都市部>地域、大手メディア>ソーシャルメディアというヒエラルキーは崩れ、これまで承認されてこなかったネット上の無数の声が、権力となって社会を動かしていく。
100年前、マルクスやレーニンの呼びかけによって、資本家は否定され、共産主義という巨大な社会実験が始まった。いま我々が見ているのは、インターネットの進化がもたらす新たな革命かもしれないのである。