日本的な経営戦略
カープは前回紹介した人事施策のみならず、経営戦略も古き良き日本企業的である。1980年代に日米企業を比較した著名な研究(加護野、野中、榊原、奥村「日米企業の経営比較」1983年)によると、日米企業の経営戦略には次のような違いがある。
現代の日本企業は1970年代とは異なり、株の持ち合いも解消され株式市場も開放的になった。その結果、M&Aも積極的に行われるなど、経営戦略はアメリカ型に近付いている。しかし、必ずしもそうした企業ばかりではない。日本を代表する繊維メーカーの「東レ」がそのひとつである。東レの日覺社長は2015年の記事で次のように述べている(原丈人、日覺昭廣「40年かけた東レの炭素繊維 株主圧力高めれば中長期経営は滅ぶ」Wedge 2016年3月号)。「炭素繊維にしても海水淡水化に使われる逆浸透膜も40年以上かけた(中略)。デュポンは年間1兆円以上の研究開発費があるのに東レのような技術開発が出来ない。以前は3分の1ずつ、短期、中期、長期のテーマに費やしていたが、長期が出来なくなったからです。その原因は株主圧力。米国の大企業は時間をかけて無から有を生み出すことが出来ないから,M&Aでベンチャーを買ってくるしかない」。東レは2013年に初めて大型買収を行ったが、基本的なスタンスは中長期的な視点でオーガニックな成長を志向している企業である。
カープはカネで選手を連れて来ることができないので、即席で戦力を強化することは難しい。そのため、フロントや監督・コーチ陣は長期的な視点で選手を獲得し、「育成」に最も力を入れてきた。まさに「東レ」のような戦略である。
これに対して、カネでスター選手やスター候補生を続々と補強するチームは、「米国型の経営戦略」と言えるだろう。その典型としては、資金力が豊富な読売巨人軍やソフトバンクホークスが思い浮かぶかもしれない。しかし、この2チームは育成システムも充実しており、生え抜きの選手を大事にする。日米折衷型(特に、ホークス)の戦略と言えよう。12球団のうち、典型的な米国型の経営戦略は阪神タイガースかもしれない。近年は高卒選手が育ちにくく、生え抜きで活躍するのは社会人野球出身者が多く、主力は外国人やFA選手に頼りがちになっている。
愚直の経営
1990年代にASEAN に進出する大手電機メーカーを対象とした事例研究(加護野忠男「日本的経営の復権」1997)によると、日本的経営の特徴には大きく2つあり、それは状況にあわせて柔軟に判断できる「状況論理」と、愚直にものごとを進めていこうとする「愚直の経営」だという。ASEANで成功している日本企業は、この2つを現地で浸透させることができていた。このうち後者の「愚直の経営」はカープのあり方に通ずる。
選手の中で「愚直」という言葉が最も似合うのは、ベテランの新井貴浩だろう。2000本安打を達成した名選手だが、入団時は「打てない、守れない、走れない。野球センスがゼロ」(当時の達川監督)という評価だった。しかし、人並み外れた努力と愚直な姿勢で、名選手の仲間入りをした。カープの松田オーナーは新井について「彼の姿を見るたび、愚直という言葉が頭に浮かぶ」という。
愚直さは新井選手に限った話ではない。これはカープの経営方針である。前出の松田オーナーは2011年のインタビューで「長い間、勝てていないからファンに不満がたまっているのも分かる。しかし、しっかりと選手を育てるという方針を支持してくれる部分もあるはずだ。やはりカープは愚直なまでに選手を育成し、チームをつくっていく。」(中国新聞2011年3月1日)と述べている。選手寮とオーナー室には、「愚直に強く、前向きに」という球団方針を記す額縁が飾られているらしい。
昔のカープは12球団1の練習量で選手を鍛える球団として有名だった。しかし、近年では練習量が落ちており、他球団と変わらなくなっていたという。そこに復帰してきたのがベテランの新井と黒田である。この2人は新人時代に猛練習で鍛えられてきた世代であり、猛練習の甲斐あって大成した選手である。彼らはカープの伝統である「愚直さ」を背中で示すことで、若手を引っ張っていった。
新井は豊富な練習量と全力プレーで若手を圧倒した。黒田は肩痛と右足首の故障に悩まされていたらしいが、治療に専念させようとするトレーナーを制して、先発投手として休むことなくローテーションを守り続けた。黒田は今シーズンで引退を発表したが、2人の愚直な姿勢はチームに浸透し、若手に受け継がれたことだろう。
日本的なガバナンス
広島東洋カープは特定の親会社を持たない球団である。実際は自動車メーカーのマツダ(旧東洋工業)が3分の1以上の株式を持っているが、非連結子会社であり、球団経営にはあまり関与していない。実際に影響力が大きいのは、松田家(マツダ創業家)であり、松田家一族の株を合計するとマツダの保有比率を上回る。そのため、オーナーは代々松田家から出ており、現在の松田元オーナーは3代目オーナー(2002~)である。松田家はカープにとって安定的な大株主であり、短期的な成績では細かく口を出さない。また、勝利至上主義ではなく、「チーム作りは勝率5割ライン確保を基本とし、(そこから)13、14勝の上積みを目指す」という考え方(先代オーナーの松田耕平の方針)である。
また、広島という地域とのつながりを非常に重視しており、現オーナーは「広島に球団を残すことが私の使命である」と公言しているという。株主が経営陣に対して短期的な勝利や収益ではなく長期的な安定を求める点や、地域住民(顧客)というステークホルダーを重視する点は、まさに日本的なコーポレートガバナンスと言えるだろう。あるいは、単に松田家による「家族的経営」と言ってもいいかもしれない。
こうした経営方針は安定した観客動員に繋がっている。広島市の人口が約100万人であるのに対し、毎年の観客動員数(本拠地)は何と150万人を超えている。2009年の新球場移転後はさらに増え、2015年、16年と200万人を突破している。12球団中の観客動員数順位は、2015年と16年は4位、14年は5位である(上位は東京、大阪、福岡、名古屋など大都市圏の球団)。本拠地の人口から考えれば、いかに地元ファンが球場に足を運んでいるか分かる。
長期にわたる黒字経営
ここまでカープの強さについて書いてきたが、カープは財務的にも優良企業である。初優勝した1975年以来、2015年12月期決算まで41年連続黒字を達成している。その最大の理由は、先に触れた観客動員数である。加えて、コストも抑制している。球団経営のコスト構造は、選手の年俸と関連費用が全体の4~5割を占め、この支出を抑えることが黒字経営の要諦(ビジネスジャーナル「広島カープ 空前の売上利益達成」2016.10.05)だという。カープはマネーゲームに参加しないため、選手の総年俸を抑えることが可能になっている。2016年の総年俸は12球団中8位である。2011年から16年までの平均総年俸は12球団中最下位(19.7憶円)、トップの巨人(42.5億円)の半分以下である。
新・日本的経営へ
古き良き日本的経営を続けているカープだが、徐々に変わり始めている。前オーナーの方針で「FA選手を獲らない」、「FA権を行使した選手との再契約をしない」、「監督・コーチは生え抜き」という方針を守ってきたが、近年は例外を認めるようになった。今年の胴上げ投手になった黒田博樹のFAによる海外移籍とその後のカープ復帰(球団は背番号を空けて待っていた)、今年4番打者を務めた新井貴浩の阪神タイガースからの復帰は、「自らの意思で外に出た選手は戻れない」というルールを変えた。黒田の場合は海外リーグなので「ステップアップ」の感が強いが、新井の場合は国内の同一リーグなので、従来のカープの論理からすると「裏切り者」と捉えられても仕方ない。しかし、仮に新井のような場合でも「カープ愛」が強ければ再び受け入れるという懐の深さを見せた。
また、従来のカープのファンは広島県と山口県の住民や出身者が中心で、かつ男性ファンが中心であったが、近年では広島と縁もゆかりもないファンが増え、さらに「カープ女子」という若い女性ファンが増えた(2014年度の流行語大賞トップ10に入った)。こうした現象は自然に起こったわけではなく、球団の努力の賜物である。2009年に移転した「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」は12球団1美しいといわれる天然芝の球場である。この球場は30種類のシートを用意するなどして、来場者を楽しませる工夫をしている。また、若い女性向けグッズやイベント、県外の女性向けツアー等の開催によって、従来の顧客層以外にもファンを広げている。
これからもカープの動向から目が離せない。