※この記事は日経産業新聞で2016年6月24日に掲載されたものです。
日本経済新聞社の許諾の元、転載しています。
僕の書棚には2千冊以上の本が並んでいる。リーダーとして悩みや不明な点があるたびに、自分なりの真理を追究するために読んできた積み重ねである。実務家である僕の理論的支柱を作ったのは、これらの本の乱読・多読だ。
ジャンルは経済や経営、歴史、社会学、心理学、政治、科学、哲学など多岐にわたる。僕は原則として、小説などのフィクションを読まない。読書の目的を「必要な知識・理論を習得し深める手段」と割り切っているからだ。
教育者だった故・森信三さんは、実務家の読書は学者の読書とは根本的に目的が違うと指摘した。学者が読書をするのは細部にわたる研究のためだ。「実務家の読書は大観の見識を養うための活読、心読である」。実務家の読書は自らの実践に必要な知識・理論・見識の習得が目的なのだ。当然、僕は実務家に属する。
僕は知りたいテーマにぶつかると、大規模な書店に行き、関連分野の本を5~10冊、時には20冊も買い求め、ひたすら読みあさる。これまでいろんな疑問を読書が解消してくれた。
「なぜ優秀な人がオウム真理教でだまされたのか?」「どういう子育てが良いのか?」「魅力的な人間・リーダーとは?」「近代の日本はどこで間違えたのか?」「いい文章を書く秘訣は?」。心理学や脳科学、教育学、歴史学、文章読本など、開いた本は数知れない。
多くの本を読むとわかるが、著者が皆違うことを好き勝手に主張しているのだ。全てを鵜(う)呑(の)みにするとわけがわからなくなる。様々な違った視点に触れて、自分の頭で考えて、自分なりの見解・真理に到達するまで読み続ける。モヤモヤ感が晴れ、納得感が得られるまでひたすら読み続けるのだ。
読むときは緩急がはっきりしている。わかるところは大胆に読み飛ばしながらパーッと読む。わからない部分にぶつかると一字一句読む。赤線を引き、ページの端を折るなどして「本を汚しながら」読むのが僕のスタイルだ。体験を通す方が記憶に残りやすいからだ。
多読の中で良書に出会い、その中でも読み返したいと思える言葉がいくつも見つかると、それらをメモしてウェブ上で「読書カード」として保管する。時間があるときに振り返るためだ。
今はわからないことがあると、インターネットで検索して調べることが増えた。ただ自分の「基本ソフト(OS)」ともいうべき理論的支柱は、乱読で構築されてきたとの実感がある。検索は個別の知らない情報を補完するという位置づけでしかない。
僕が感銘を受けた本はグロービスMBA(経営学修士)コースの学生や社員の必読書に指定している。内村鑑三の「代表的日本人」、ジェームズ・C・コリンズの「ビジョナリーカンパニー2」、林田明大さんの「真説『陽明学』入門」など7冊だ。読書の共通体験を通して学生や社員のOSが共通化するようにしている。
最近入れ込んでいる分野はテクノロジーだ。人工知能(AI)、ビッグデータ、IoT(インターネット・オブ・シングス)、ロボット、遺伝子工学、iPS細胞などの分野の本が自宅にうずたかく積まれている。
多忙なビジネスパーソンにとって、読書の時間の捻出が悩みどころだろう。でも時間は作るしかない。僕がフィクションを読まないのも時間を捻出するためで、以前にコラム「やらないことを決める」で紹介した通りだ。
こんな僕も中学・高校時代には三島由紀夫の小説が好きだった。今後、再びフィクションを楽しみたいと思う時期がくるかもしれない。だが、まだしばらくは実務家として必要な読書に徹し続けたい。わからないことや知りたいことが数え切れないほど浮かんでくるからだ。実務家としての自分なりの理論体系を構築し続けるべく、これからも乱読を楽しみたい。