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風姿花伝

投稿日:2008/02/29更新日:2019/04/09

「花伝書」の俗称でも知られる本書は、芸術論としてだけではなく、人生論としても読めることから、今でも人気が高い。そこにある普遍的な真理とは何か――。

グロービス経営大学院講師の嶋田毅が創造と変革の志士たちに送る読書ガイド。

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グロービスでは(特にシニアマネジメントの間では)今、陽明学や新渡戸稲造、内村鑑三など「古典」が大流行りである。理由はシンプルだ。ビジネスを突き詰めていくと、結局人間を突き詰めていくことになる。では、人間の本質を知るには何に学べばいいのか?この問いに対する一つの有効な答えが、古典なのだ。幾多の風雪を経て、現代に残った古典には、残っただけの理由――人間の本質や普遍的な人間観、人生観に関するヒント――がある。また、先人たちの努力の上に今の我々の生活があるのだという、きわめてシンプルなことも再確認させられる。

自分自身、30代前半まではあまり古典を読まなかった。というか、むしろ馬鹿にしたところがあった。しかし、歳をとるにつれ、古典の面白さがわかるようになってくる。この感覚を若い方に腹落ちするように伝えるのはなかなか難しいのだが、少しでも多くの方に、古典に対する関心や興味を持ってもらえるきっかけになればと思う。

さて、本書は、今からおよそ600年前に、猿楽(現在の能楽)の大家として有名な世阿弥が著したものである。1400年ごろといえば、ヨーロッパではルネッサンスによって、長くて暗い中世がようやく終末を迎えつつあった。アメリカはまだ歴史に登場しておらず、中国はようやく明王朝がその基盤を確立した時期である。こうした時代に、世界的にも知られる芸術論がわが国で著されていたのは驚くべきことである。

世阿弥は将軍足利義満などの庇護を受け猿楽を進化させ、『風姿花伝』を記した。父であり師匠でもある観阿弥から相伝された奥義を、世阿弥なりに咀嚼して述べたパートもあれば、経験の中から世阿弥が独自に持つに至った考え方を語ったと思われるパートもある。今風に言えば、「暗黙知の形式知化」ということになろうか。

世阿弥がどのような動機からこの形式知化を行なったのかは分からないが、600年後の後世に生きる我々がいまだその思想に触れ、インスピレーションを得られることができるのは、誠に有難いことである。同時に、「実践・教育・研究・執筆」に同時並行的に携わる者として、尊敬の念を禁じえないし、また励みにもなる。

本書の有名なフレーズとしては以下のようなものがある。

●秘すれば花。秘せねば花なるべからず

●物数を極むる心、即ち、花の種なるべし。されば、花を知らんと思はば、先づ、種を知るべし。花は心、種は態(わざ)なるべし

●年来稽古条々, 物まね条々をよく心に刻んで,能を尽くし、工夫を極めて後、此花の失せぬところを知るべし

●花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり

●上手は下手の手本なり 下手は上手の手本なり

(なお、「是非とも初心忘るべからず、時々の初心忘るべからず、老後の初心忘るべからず」は、世阿弥が『花鏡』で述べた有名なフレーズ)

心は花であり、種は技である。技は種であるから、これがなくては花は咲かない。しかし、どれだけ表層的に技を身につけても、心を滋養しておかないとやはり花は咲かない。そして真に達人となれば、時と場を勘案しながら人々に斬新なもの、興味深いものを提供することで感動を与えることができる。これは芸に限らず、あらゆる人間活動に共通するものだ。そして、時間軸・年齢軸や「場」との関わり方なども意識した上で、自己を高め、同時に自分の強みが最大限に活きる舞台を模索するという考え方は、これからも人々の心を捉え続けるはずである。

本書は、ページ数も少なく、章立ても分かりやすい。口語訳版や解説書も多い。時々引っ張り出して気に入ったフレーズを読み返すだけでも、そのたびに何かを感じられるのではないだろうか。特に、プロフェッショナルとして「技」を意識されているビジネスパーソンには、数ある古典の中でも一押しのお勧めだ。

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