今回は、「自己意識の構造」をメインの研究テーマとする心理学者が書いた「自分を変えるための指南書」を紹介する。昨今、ビジネスパーソンにアドラー心理学が注目を浴びるなど、心理学とビジネスの関係は浅からぬものがある。さまざまな文献や先行研究に基づきながら、若年期に作られた「人生脚本」からの脱却方法を説く、興味深い1冊だ。
ビジネスが人間同士の営みである以上、ある程度までの心理学の素養はすべてのビジネスパーソンに必須と言える。たとえば人間には「一貫性の心理」が働くので、最初は小さなお願いをし、徐々にそのお願いをエスカレートさせていくという「フット・イン・ザ・ドア」のテクニックは多くの交渉術の書籍に紹介されている。また、人々を動かす上で、どのような要素(例:返報性、権威)が影響力を持つかを記した『影響力の武器』(ロバート・B・チャルディーニ著)は世界的ベストセラーとなった。
あるいは、人間の思考の歪みであるバイアスも心理学の一領域だ。「全か無かのニ択しかない」「過度な一般化」「レッテル張り」などは皆さんも思い当たる節があるだろう。人間が陥りがちな思考の歪みを認識しておくことは、より適切な意思決定を下す上で非常に重要であり、クリティカル・シンキングにつながる側面も大だ(なお、様々なバイアスに関してご興味のある方は拙著『バイアス』(電子書籍のみ)をご一読いただきたい)。
本書は、上記のような汎用性の高い心理学の知見も散りばめながら、自分をいかに変えるかを著者独自のフレームワークやツールを用いながら紹介したものだ。
そのメッセージを要約すれば、「世の中の常識も自分の性格も99%は思い込みでできている。自分の人生が変わらないのは若年期に書いた思い込みとも言える『人生脚本』のせいである。人生は自分で書いた脚本通りに進む。ただし、無意識のうちに書かされた脚本は変えることができる。思い込みを逆に利用して人生脚本を書きかえることが必要だ」というものだ。なお、人生脚本という概念そのものは著者のオリジナルではなく、交流分析で有名な心理学者エリック・バーン氏が提唱したものである。
本書の一番印象深い点は、その人生脚本は若年期に決定されるという点だろう。そしてネガティブな人生脚本を導くのが主に親からの13の「禁止令」(例:「考えるな(黙って言うとおりにしろ)」であるという点だ。
人生脚本は若年期に決定されるという主張に関しては、「本当にそうなのか?」と疑問に思われる方もいるだろう。しかし、日本には昔から「三つ子の魂百まで」という諺もあるし、やや趣は異なるが「心の知能指数」であるEQも通常は若い頃からあまり変わらないということを考えれば、若年期の思い込みが大人になってから与える影響も小さくないものがあるだろう。
人生脚本は5つのドライバー(例:「完全であれ」)にも影響を受ける。その結果、人生に対する「基本的構え」(例:自分はダメだけど、あなたは良い)が形成され、それが人生脚本を通じて大人になってからの人々の行動に色濃く反映され、その行動がますます人生脚本を強化する、というのが著者の主張だ。その行動のパターンについても具体的に事例が示されている。大胆に言い切ったと思われる個所もあるが、多くの人にはある程度の納得感は感じられるだろう。
本書ではいくつかのフレームワークに基づいた分析例も紹介されているが、3章の「思い込みチャート分析図」や6章の自分と向き合うための「エンプティ・チェア」などは、実際にやってみると、自分の思考を客観的に見ることができたり、自分の考え方のオリジンを発見できたりするだろう。それだけでも本書を読む価値はありそうだ。
なお本書は主に過去にフォーカスを当てているが、アドラー心理学も引きながら、「これからあなたがどうしたいか」という「目的」の重要性にも触れている点は付記しておく。
本書が特に役に立つと思われるのは、自分に自信がないと思われている方(完璧に自信がある方は少ないだろうから、結局はほとんどの人間が該当するだろう)や、これから親として子育てをされ、子どもの人格形成に影響を与える方だ。もちろん、それ以外の方も部下や同僚の行動パターンの背後にある深層心理に対する洞察を深める上で参考になる個所が多々ある(さすがに他人の人生脚本まで変えるのは難しいかもしれないが)。事例が豊富なので読みやすく、さまざまなヒントが散りばめられた1冊である。
『人生の99%は思い込み―――支配された人生から脱却するための心理』
鈴木敏昭著
1,500円(税込1,620円)