翌朝7時半に起きた。その日は、気仙沼に向かう予定だった。仙台駅から一ノ関に向かい、Civic Forceの小澤理事と合流する。KIBOWの義援金の4分の1が、Civic Forceに寄付される。Civic Forceの活動をこの目で確かめ、僕に何ができるかを考えてみたいので企画したのだ。
一ノ関の駅で小澤さん、そして現地で活動している松田さんと待ち合わせた。3人で車に乗り、南三陸町に向かった。海から5,6kmの山奥なのにもかかわらず、ガレキの山と倒壊した民家が目に入った。その地は、海の気配も感じられない、山あいの農家である。その光景が続き、南三陸町に到着した。志津川中学校の高台から市街地を見下ろす。言葉が出ない。「ここから撮られた映像が、YouTubeにある」と説明してくれた。中学校の校庭には、仮設住宅が建っていた。
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車で街中に降りて行った。南三陸防災センター前に着いた。「早く避難してください」とアナウンスし続けた女性所員が、あっという間に津波に呑まれ、そして屋上にいた人も流されてしまったそうだ。この屋上にいた佐藤町長が、アンテナにしがみつきながら九死に一生を得たと言う。
防災センターは、赤い鉄骨がむき出しになり、ガレキが絡まっていた。このビルをこのまま残すかどうかが、議論されていると言う。僕は、広島の原爆ドームと同様に残す方を勧めたい。さもないと、後世の人々がこの悲劇を忘れてしまうかもしれないからだ。
南三陸の港には、地震直後に沖合に出て難を逃れた漁船が、数隻停泊していた。だが、出港できない。港や市場の施設が壊れ、漁協の組織も壊滅的打撃を受けていたし、地盤沈下で市場は冠水してしまうからだ。
南三陸から気仙沼に、リアス式海岸を国道45号に乗り、北上する。高台に上がり平地に下りるたびに、壊滅的な被害の惨状を目の当たりにする。この繰り返しだ。
途中にガソリンスタンドがあった。建物は全て流され、スタンドすら存在しないにもかかわらず、営業していた。運転手の松田さんが言うには、津波の翌日から気合で運営しているのだと言う。御本人の両親も流されてしまったにもかかわらず、使命感からポンプを使ってでもガソリンを供給し続けた。「頑張ってね」と松田さんが声をかけると、涙を流しながら、ガソリンを入れてくれたのだと言う。僕は、このガソリンスタンドを振り返り、心の中で「頑張ってください。応援しています」と、伝えた。
ラーメン屋で昼食を取ることにした。小澤さんと松田さんにCivic Forceのヒアリングをすることにした。
松田さんは、震災以来2カ月間、現地に入りっぱなしだと言う。業務は、基本物資の搬入だ。今まで、気仙沼-大橋間のフェリーの無償供与、トレーラーハウス20台等を提供してきた。他には350トンの物資(食料83万食、衣料19万点、他専門工具)等を、173社の協力企業から得て無償供与している。今の活動地域は、南三陸、気仙沼、大船渡、陸前高田などだ。これらを4名のスタッフがカバーし、現地のニーズを聞き、適切な物資を提供するのだ。
Civic Forceは、震災後8億3000万円の支援金を、4万4000の個人・法人から得ている。これらの支援金を、パートナーNPOへの支援金として、振り分けることもある。そのパートナーNPOに、是非フェアトレード東北を認定して欲しいものだ。
昼食後、気仙沼港へ向かった。その途中の気仙沼の本吉町には、驚愕した。まっさらで、何も残っていないのだ。自らの目にその光景を焼き付けるようにした。
気仙沼の街中に入った。気仙沼港で、Civic Forceが無償貸与しているフェリーを視察した。大島を繋ぐフェリーが、先の震災で全て陸に乗り上げるか、沈没したのだと言う。3000人の住民が住む大島への交通が途絶えてしまった。そこで、Civic Forceが広島からフェリーをチャーターし、無償で供与する手配をしたのだ。船の上には、Civic Forceの旗が高らかに掲げられていた。
Civic Forceの活動は、素晴らしい。災害のプロが中心となり運営し、固定費を極限まで削減している。やるべきことを物資の調達・提供に絞り込み、現場のニーズをヒアリングし、適切なタイミングでスピーディに実施している。
同行してくれた松田氏は、以前イラクと東ティモールにいたと言う。その松田氏の現地での住居は、カラオケボックスを安く借りたスペースで、そこに3人で共同生活を送っていると言う。KIBOWの基金のうち4 分の1に相当する1500万円は、このCivic Forceに寄付することをお二人に伝えた。
視察を終えて、気仙沼から一ノ関に向けて戻ることにした。津波の影響を受けていない地域では、普通の生活が行えているようにみえる。天気は曇ってきて、雨が降りそうな空模様だ。
一ノ関駅から東京行きの新幹線に乗り、窓の外の田園風景を眺めながら物思いに耽る。東北の現場に来て、まだまだ課題が多いことを痛感した。電気、ガス等のインフラは、しっかりと復旧してきている。だが、行政そして国の方針が見えないのだ。何よりも顔と意思が見えないのだ。そのことが、一番気がかりなことだ。
確かに被害の地域が広範で、どこから手を付けていいかわからないのも理解できる。そういうときにこそ、明確な方針が必要であろう。
僕は、一番重要なことは、雇用を創出することだと思う。そのためには、ビジネス・経済の振興が肝要だ。産業を優先的に復興・創造させ、雇用を創出し、しっかりとお金や経済を回すことだ。産業の創出を、大規模に行い永続的なシステムにするのだ。
この震災を、漁業や農業の今までのやり方を近代化させ、規模化する契機と捉えたらよい。資金が足りなかったら、外部資本を呼び込めばよいのだ。被災地でない僕らにできることは、被災地と積極的に関わることだと思う。そして、人、金、知恵を被災地に惜しみなく投下すべきだ。
グロービスは、2つのことを行う事に決めた。一つが、無償のリーダー教育を水戸、いわき、仙台、盛岡で行うことだ。もう一つが、東北・茨城奨学金だ。グロービスのMBA取得にかかる通学費と宿泊費を、この地域から来る方々に支給するのだ。グロービスは、人材育成の責務を積極的に果たしていく所存だ。
今新幹線の中、東北の田園風景を楽しんでいる。水田に張られた水が、反射して、あたりの緑と空の青と調和している。その奥には、白い雲と白い雪をかぶった山々が誇らしげに聳えていた。
2011年5月23日
二番町のグロービスにて
堀義人