「白骨温泉の白濁する湯は、実は入浴剤を入れていたものだった」……週刊ポストのスクープに始まった事件は、TBSで長野県知事の抜き打ち調査が放送されたことにより、日本中が注目する大問題となっていく。旅館はその時、どう対応したのか(この記事は、アイティメディア「Business Media 誠」に2008年5月3日に掲載された内容をGLOBIS.JPの読者向けに再掲載したものです)。
白骨温泉に始まる温泉偽装発覚の全国的波及から4年。多くの温泉地がブームに乗って復権し人気を集めているというのに、白骨温泉はマスメディアから姿を消したも同然の状態が続いている。いくら事件発覚の発端になったとは言っても、白骨温泉だけが今なお責任を負わされたような形になっているのは釈然としない。白骨温泉自体も、事件後、情報発信をほとんどしていない。一体どうしたことか?
そうした疑問を解消するために、かつて筆者もたびたび投宿した白船グランドホテルの若女将、齋藤ゆづるさんに直接お話を伺うことにした。ゆづるさんは、田中康夫長野県知事(当時)の立入調査劇や、その後の「若女将・涙の記者会見」によって、“白骨温泉の偽装発覚の象徴的存在”のようになった人物である。
前編では、ゆづるさんが若女将になるまでの経緯や、入浴剤投入に至った事情などを聞いた中編となる今回は、その後の「事件」発覚と拡大に対して、若女将として何を考え、どう対応したのかを振り返ってもらう。
白骨温泉は、長野県の山の中にある秘湯だ。野麦峠、乗鞍岳にも近く、
山を越えれば岐阜県飛騨高山(Google Mapsより)
前編で触れたように、1999年、白船グランドホテルでは、宿泊客急増への対応として風呂場の改装(拡張)を実施して以降、トレードマークだった「乳白色の湯」が失われ、入浴客からの抗議や問い合わせが多数寄せられるようになった。そこで、対応策として、透明度の高い時に限り入浴剤(六一〇ハップ)を投入したところ、入浴客とのトラブルは回避できるようになっていた。
その間にも「白骨バブル」はヒートアップ。白船グランドホテルでは、増え続ける客をもてなすため、若女将のゆづるさん以下全スタッフによる奮闘の日々が続いていた。もはや、入浴剤投入の是非とかそのリスクについて、改めて慎重に吟味する余裕はなかったのだろう。
白骨グランドホテルは、「プロが選ぶ観光・食事・土産物施設100選」の
食事部門に選ばれている。夕食時には、信州名物のそばや馬刺し(上)、
りんごを食べて育つ信州牛のステーキ(下)など、地のものを使ったとても
おいしい料理が並ぶ
しかし、思いもかけない形で「危機」は迫っていた。
他の温泉施設でも“同時多発的に”行われていた入浴剤投入
入浴剤投入が、もし白船グランドホテル1館でだけ行われたのであれば、それほど大きな問題にはならなかったのかもしれない。ところが、実は同時期に、白骨温泉の他の温泉施設(公共野天風呂や温泉旅館)でも、湯が白濁しなくなり、ほぼ「同時多発的に」入浴剤の投入が行われていたのである。
ゆづるさんは言う。「まさか他の施設でもそんなことが行われているなんて、当時は想像も出来ませんでした」。
なぜ、白骨温泉の湯は白濁しなくなったのか。その理由は、今も明らかになってはいない。もしかするとこの頃、白骨温泉の地中深くで何らかの変動が生じ、それが各旅館の源泉の泉質や色合いに影響を与えていたのかもしれないが、もちろん本当のところは分からない。
原因は何であれ、「乳白色の湯」というキャッチコピーが人気の一因になっている白骨温泉にとっては、重大な問題であった。しかしそのことに関し、「白骨温泉旅館組合」として、正式に対応が協議された様子はない。「各旅館とも、殺到するお客様への対応に追われていたというのが正直なところです。それに何より、あのころはどこの旅館からも、湯が白濁しなくなったという情報は入ってきませんでしたから、組合として、この問題への対応を考えるなどということはありませんでした。そもそも白船グランドホテルの中でも、入浴剤の投入を知っていたのは、社長を含めごく一部の人だけでしたし……」。
白骨温泉の10軒強の旅館は、互いに親戚筋でありながら、しかし同時に競争相手でもあるという微妙な関係にある。その中で、自分の旅館の湯が白濁しなくなったという経営上不利な情報を漏らすようなことはなかったのだろう。
それにしても、いずれの施設も申し合わせたように「入浴剤投入」という全く同一の対応策に出た点は注目に値する。「乳白色の湯」の呪縛は、そこまで強力だったということか。
不吉な予感 ~事件直前の“らしくない”風景
時は流れ、白骨は“バブル”の中で2004年を迎えていた。
ゆづるさん以下、現場を担うスタッフは、まさに全力投球で押し寄せる客に対応していた。白骨グランドホテルでは、料理も、仲居さんたちの接客も、館内到る所に見られる細かい心づかいも、第一級のものとして高い評価を得ていた。「プロが選ぶ観光・食事・土産物施設100選」の食事部門でランクインしたほか、「人気温泉旅館ホテル250選」にも既に4回選ばれていた(翌2005年、5回目の選出となり「5つ星旅館・ホテル」の称号を獲得)。
しかしこの頃すでに、目に見えない疲労が組織全体に静かに広がっていたのではないだろうか? そう考えるのは、筆者が“事件”直前の2004年冬、最後に白骨温泉を訪れたとき、白船グランドホテルで、同館とは思えない“らしくない”風景をたびたび目にしたからである。
夕闇迫る頃の雪見露天風呂というものは、日々のストレスや旅の疲れを癒してくれる素晴らしいものなのだが、そこで一部の心ない男性入浴客たちが、信じ難い狼藉を働いていた。
館内の目立たないところにかかっていた「5つ星旅館・ホテル」の看板
白骨グランドホテルの露天風呂。冬はあたり一面が雪に覆われる
露天風呂内には見ず知らずの入浴客が何人も入っているというのに、ただれた足先を温泉の湧出口に突っ込み「こうすれば水虫は治るかな?」といって下品な笑い声を張り上げる客もいれば、隣の女性用露天風呂を覗こうと必死にもがき、興奮して大声を張り上げる客もいた。
さらに夕食の時間には、マイカーで来ていた中年カップルが、突如キレて、担当の仲居さんを怒鳴りつけているのも見かけた。「こんな冷めた料理が食えるか、ちゃんと熱い物を出せ!」とわめいているようだった。私はその時、すぐそばで同じものを美味しく頂いていただけに「なんて傲慢で、感じの悪い客だ……!」と、こっちまでテンションが下がってしまったほどだ。
わずか2泊3日の間に、こうしたイラッと来るような瞬間が何度もあり、何ともいえない胸騒ぎというか、不吉な予感が私の心を暗くした(余談だが、その影響か私はすっかり風邪を引き込み、38度近い熱を出してしまった。「3日入れば3年風邪を引かない」と言われる白骨温泉なのに……)。
「大事の前の小事」なのか、いつ果てるともなく続いた「白骨バブル」による疲労感が宿全体を包みこみ、いつしか停滞した空気を生んでいたのかもしれない。スタッフの全力投球の姿勢はそれまでと少しも変わることはなかったが、それでも館内を覆う空気の“何か”が違っていたのだろう。一部の心ない客は、そこに乗じたのではないか。それは言い換えると、大きな危機が迫っていることを告げる“最後のサイン”だったとも言える。しかし、それに気づく者はいなかったようだ。
週刊ポストのスクープ――白骨温泉の入浴剤投入が「発覚」した日
週刊ポスト(2004年7月23日号)には「やらせ現場スクープ撮 白骨温泉(長野県)は着色されていた!温泉ブームに騙されるな」と題
2004年7月、『週刊ポスト』が白骨温泉における入浴剤投入をスクープした。白骨温泉旅館組合が運営する公共野天風呂など3施設で、1996年ごろから湯が白濁しなくなり、入浴剤を入れていたという内容で、退職した関係者による“内部告発”のようだった。
これを受けて長野県温泉協会は、県内219カ所の温泉地にある全温泉施設に対して、入浴剤その他の投入の有無に関する調査書送付を決定した。長野県松本保健所は、白骨温泉の公共野天風呂に対して、7月14日から無期限の営業停止を指示している。
田中康夫長野県知事(当時)も動いた。同日、自ら「公共野天風呂」などを視察し、「自然の財産の上に胡坐(あぐら)をかいていたのではないか。私も含め、襟を正して心を入れ替え、信州の観光を立て直す決意だ」と語った。
白船グランドホテルとしても、今や自社の命運を左右する重大な局面であることを悟らざるを得なかった。さあ、どう対応する……!? ゆづるさんはこのときの対応を振り返る。「旅館組合の会合でも、県からのヒアリングに対しても、『今さら言えない』ということで、入浴剤投入を否定し続けました」
21日、長野県は県内の温泉施設調査結果を公表。新たに県内10施設での入浴剤投入が発覚したが、利用者に告知するなど悪質性なしという判断となった。
とりあえず一段落するかに見えた「白骨温泉入浴剤投入騒動」。しかし、このあと、誰もが予想し得なかった展開となる。
白骨温泉旅館組合が運営する、公共野天風呂。
田中康夫知事、白船グランドホテルに踏み込む
7月22日、白船グランドホテルに田中知事が現れた。県庁に寄せられた“情報”にもとづき、抜き打ちで踏み込んだのである。しかも、同行の県職員にビデオカメラを持たせるという周到ぶりで。
館内の構造を知り尽くしているかのような正確さで、知事一行はホテルの中を歩き回った。そして入浴剤を保管している(浴場近くの)納戸に近づき、応対した若女将に対し納戸の扉を開けるよう要求したという。
普通なら、外部の人間がそのようなところへ迷わず行けるはずがない。明らかに、事情に通じた関係者による“内部告発”だ。
各種報道によれば、その後の展開は以下の通りだ。ホテル側は「夜勤の守衛しかカギを持っていない(から開けられない)。中にあるのはカラオケ機器だけ」などと言い逃れを試み、あげく、隠してあった入浴剤をこっそり持ち出そうとした瞬間を、“偶然”県職員に発見され、ビデオカメラにその一部始終を撮られてしまったということになっている。
そして、県職員の撮ったこのビデオ映像は、なぜかTBSによって全国に流される。これによって「事件」は一挙に全国民の注視するところとなったのである。
やはり言えなかった
今あらためて若女将のゆづるさんに当時の状況をお聞きしてみると、いささか話の異なる部分もある。
ただし、この抜き打ち調査時、入浴剤の使用を認めたものの、ゆづるさんが「昨年(2003年)のコマーシャル撮影時だけ」と発言してしまったことは事実のようだ。「やはり、どうしても言えなかった」ということか。
しかし実はこの時、知事一行は、同ホテルにあった入浴剤3本のうち1本は、(2003年ではなく)2004年4月製造であることを確認していたのである
7月終わりといえば夏休みシーズンだ。年間を通じても最大といってよい夏の繁忙期を迎えていた白船グランドホテルは、この“調査”後もいつものように宿泊客への対応に追われ、途方もなく慌しい日常を過ごしていた。そんなある日、スタッフが血相を変えて飛んできた。「大変です! テレビにうちが出ています~!!」
入浴剤投入のことなど知らない大多数のスタッフは何が起きているのかわからず、驚き、おののくばかりであった。やがて、今回の「内部告発」騒動は、以前トラブルを起こして同ホテルを退職した2人の男女による「逆恨み」が原因といううわさが流れ始めた。
しかし誰が告発したかは、もうここまできたら関係ない。これだけの大問題になった以上は、ホテルとして、一定のけじめをつける必要があった。
若女将、涙の記者会見
7月23日、白骨温泉のある安曇村の村長が辞任を発表した。「温泉の利用客の気持ちを損ねるとともに、大切な思い出を壊したことを、お詫び申し上げます」と会見で謝罪したのだ。自身が経営する旅館での入浴剤使用発覚を含めた引責辞任だった。
同日、白船グランドホテルの社長と若女将が、緊急の記者会見を開いた。この模様は、民放キー局を通じて繰り返し全国に流されたので、ご記憶の方も多いことと思う。ゆづるさんご自身は、強烈なプレッシャーの中での、しかも慣れない記者会見だったこともあってか、個々の発言については、ほとんど覚えていらっしゃらない。大新聞各紙の「報道」によれば、発言要旨は概ね下記のようになる。
緊急記者会見・発言要旨
入浴剤投入時期は、1999年12月から2004年7月10日(本会見の約2週間前)まで。投入した場所は、2002年3月までは、大浴場の4カ所の風呂(男女の内風呂と露天風呂)だったが、2002年3月以降、社長の生家の新宅旅館から分けてもらう源泉量を増やすようにしてからは湯(男女内風呂)が白濁するようになったので大浴場での投入を一切やめた。しかし家族風呂だけは、湯を張り替えた後などに透明になってしまうため、キャップ一杯程度の入浴剤を投入した。
投入方法は、当初、手で入れていたが、途中から塩素滅菌用装置を用い2002年3月まで週に1回以上使った(それ以後の家族風呂への投入はまた手で)。
「公共野天風呂」など3施設での入浴剤投入発覚後に行われた県や温泉組合からの聞き取り調査などでことごとく使用を否定し続けていたことに関しては、若女将自ら「乳白色の湯にお入れしなければという思いでした。お客様や旅行代理店とのお付き合いを考えると、怖くて言えませんでした。」と涙ながらに語った。
この会見を受けて、白骨温泉旅館組合でも緊急会合を召集した。「施設の拡充で収容能力以上にお湯が欲しくなり無理をした。長い伝統にも胡坐をかいていた」とした上で、「襟を正して白骨再生に取り組む」ことを再確認した。
白船グランドホテルが最後まで否定し続けたことに関しては、「全役員の前で何度も念押しし、確認の文書まで提出してもらっていたのに……愕然として言葉もない」と語った。
白骨温泉は無色透明な硫化水素泉だが、空気と接触することにより湯が酸化し、
白濁化する。浴槽の淵などには白い炭酸カルシウムの固形物が付着している
温泉偽装問題 全国に波及――白船グランドホテルに試練の日々が
白船グランドホテルの緊急記者会見は、民放キー局各局によって全国に繰り返し放送されたこともあって、大きな反響を巻き起こした。
「白船グランドホテル 入浴剤使用を『自供』」(朝日新聞)などと新聞・雑誌にスキャンダラスに書き立てられたほか、テレビ番組の中でのバッシングもエスカレートし、インターネットでは匿名性を利用しての誹謗中傷があふれかえった。
これを機に、温泉偽装問題は全国レベルの関心事となり、各地の温泉地で、同様の「内部告発」などが相次ぎ、次から次へと、まさに驚くばかりの温泉偽装が明るみに出た。
偽装といっても、そのタイプやレベルは様々である。
1)入浴剤の使用(入浴客に告知していない場合)
2)水道水の使用(水道の沸かし湯を「温泉」と称する場合)
3)極端な加水(湯船内の源泉の比率が1割に満たず水道沸かし湯と実質変わらない場合)
4)源泉の無断開発(届出義務がある場所での無断源泉開発)
大きく分けると、このようになる。このとき名前が挙がった温泉は、白骨温泉のような小規模な温泉地ばかりではない。あえてここで名は挙げないが、歴史ある有名な温泉地でも偽装が行われていたことが明らかになったのだ。
こうした「偽装」の暴露は、2004年中を通じて行われた。我々一般生活者としても、もう、どこがどんな偽装をしたのかも覚えきれなくなり、また正直言って飽き飽きした。
そして2005年を迎えると、今度は「耐震強度偽装問題」が全国的な大問題として浮上し、テレビや新聞の餌食となった。耐震強度問題と入れ替わるように、温泉偽装問題はいつしか表舞台から去ってゆくのである。
では、あの「涙の記者会見」以降、白骨温泉、なかんずく白船グランドホテルはどうなったのだろうか? ゆづるさんは言う。「あの直後から、4本の電話が一斉に鳴り始めまして……」。それは、ゆづるさん以下全スタッフにとって、まさに地獄のような日々の始まりだった。(後編に続く)
▼「Business Media 誠」とは
インターネット専業のメディア企業・アイティメディアが運営する、Webで読む、新しいスタイルのビジネス誌。仕事への高い意欲を持つビジネスパーソンを対象に、「ニュースを考える、ビジネスモデルを知る」をコンセプトとして掲げ、Felica電子マネー、環境問題、自動車、携帯電話ビジネスなどの業界・企業動向や新サービス、フィナンシャルリテラシーの向上に役立つ情報を発信している。
Copyright(c) 2008 ITmedia, Inc. All Rights Reserved.