今こそ語ろう、経営者「柳井正」の光と影の物語
「泳げない者は沈めばいい」
ユニクロが貪欲に成長を求めていた時期、同社の創業者 兼 代表取締役会長である柳井氏が好んで使っていた言葉だ。この言葉に代表されるように、柳井氏は厳しきカリスマ経営者として知られる。利益至上主義者、血も涙もない鬼経営者などと評されることもある。
ただ、その経営手腕に疑う余地はない。地方のさびれた商店街の紳士服店を、日本を代表するアパレル企業、そして今や世界的なアパレル企業へと成長させた。70歳を超えた今なお、経営の第一線に立ち続ける。
しかし、若い頃の柳井氏は、今とはまったく異なる姿だった。大学時代は典型的な「無気力学生」で、就職活動もろくにせず、卒業後は親の勧めでジャスコに入社する。だが、わずか半年で退職。働く意欲が持てず、仕事が嫌で仕方なかったという。
このような青年が、いかにしてカリスマ的存在へと成長したのか。
2024年のノンフィクションビジネス書における最高傑作
柳井氏の人物像を知るエピソードは数多く伝えられる。だが、どれも断片的だ。本書はそんな柳井氏にまつわる個々のエピソードをひとつのストーリーとして紡ぎ出している。読み進める中で、まるで柳井氏の人生を追体験しているかのような感覚を味わえるのが特徴だ。
著者は、日本経済新聞の編集委員で実力派ノンフィクション作家の杉本貴司氏。緻密な取材と圧倒的な筆力に定評がある。500頁近くある分厚い本だが、日曜日の夕方に書店で購入して読み始めたところ、その面白さに引き込まれ、気づけば朝方になっていた。
この大作を仕上げるには相当な苦労があっただろう。というのも、ノンフィクションは取材中に矛盾が生じたり、情報が得にくかったりと執筆の困難が多いからだ。書き上げても微妙なニュアンスの違いで当事者から指摘を受けることもある。こうした難しさを乗り越え、ここまでまとめ切る力には敬服するばかりだ。
特に著者の苦労が垣間見えるのが、メインバンクだった広島銀行とのやり取りが描かれる第4章「衝突」だ。章の冒頭にあるように、広島銀行からは「個別企業のことについては答えられない」と断られ、十分な情報を得られない中での執筆だったという。
ユニクロ側だけの証言をもとに描くと、フェアな文章が書けず、ノンフィクションとしての体を成さない。この場面をあっさり書き流すこともできただろう。だが、杉本氏はここがユニクロの大きな転換点のひとつと捉え、限りある資料や証言をもとに見事に描き切っている。
この限界に挑戦し切った本章の一端を、少しだけ紹介したい。
1990年代、ユニクロは年に30店舗、3年で100店舗の出店計画を掲げていたという。この計画を実現するためには資金が必要だ。この融資を、ユニクロはメインバンクだった広島銀行に請うた。しかし、広島銀行はその融資をきっぱりと断る。
当然だ。当時、ユニクロは全国23店舗。その数字をはるかに超える出店を毎年続けていくというのだ。母体よりも大きな赤ん坊を産もうとする計画に、誰しも無茶だと思うだろう。しかも、大不況の足音がすぐそこまで聞こえていた時代だ。成長し続けているうちは良いが、もし成長が止まれば巨額の借金が残ることになる。
最終的に広島銀行子会社のひろぎんリースから支援を取り付けたのだが、ここに至るまでのやり取りは息を呑む迫力があった。
詳細は本書を参照されたいが、こうした執筆上の苦労にも思いを馳せながら読み進めると、さらに深みが増すこと間違いない。
柳井氏が語る「経営者に必要な4つの力」と「もうひとつの力」
本書は柳井氏の経験してきた苦難や挫折、そして再起の過程が描かれる。その語り口は、まるでノンフィクションとは思えない小説のような面白さがある。それだけに、他のビジネス書のような、何か体系的で分かりやすい学びが得られるわけではない。
だが、せっかく日本を代表する経営者とその会社の歴史を学べるのだ。面白がるだけではもったいない。おすすめしたいのは、柳井氏の著書『経営者になるためのノート』と併せて読むことだ。
この中で柳井氏は、経営者に必要な力を次の4つだとしている。
- 変革する力
- 儲ける力
- チームを作る力
- 理想を追求する力
『経営者になるためのノート』は、リーダーとして自身に足りない点に気付かせてくれる良書だ。しかし以前よりこの書を読む中で、なぜこの4つなのか、もう一歩腹落ちできる何かが欲しいと感じていた。その足りないピースが本書なのだ。この2つの書籍をあわせて読むと、誰しも深い納得感を得られるだろう。
だが『経営者になるためのノート』を読み返しながら、ふと思いついたことがある。柳井氏は経営者にこの4つの力が必要だと説いたが、もうひとつ大事な力があるのではないかと。
それは「志を立てる力」だ。
柳井氏は他人に厳しいが、自分に対してが一番厳しいと言われる。現状に満足することなく、自分の成功を自分で否定することさえ厭わないという。だが、こうした厳しさを維持できるのは、その根底に生涯を通じて成し遂げたい強い志があるからではないか。
これを表すように、第11章「進化」でもこう綴られている。
“人と比べて特に優れたものを持っていたとは思えない自分がなし得たことが、なぜ優秀なはずの若者たちにできないのか。ダメ人間だった自分にさえできたことが、なぜ君たちにできない。起業家は、若者は、もっと世界に目を向けろ。もっと志を高く持て。”
柳井氏は、志を立てることで自らを変えた。そして、この一節は最後にこう締められるーー「それは、誰にでもできるはずだ」。
カリスマと称され、遠い存在のように感じられるが、本書を読めば明らかなように、柳井氏は努力の人だ。
本書は、すべての人に勇気を与えてくれる一冊でもある。
『ユニクロ』
著:杉本 貴司 発行日:2024/4/4 価格:2,090円 発行元:日経BP