ンゴロンゴロのクレーターを見下ろすホテルで目が覚めた。コラムを一挙に書き上げ、一段落してカーテンを開けると、もう外は明るくなっていた。天候は、曇り。雲がクレーターの山の淵を覆い隠し、僕を押しつぶすような圧迫感で迫ってきていた。一方、太陽からは、いく筋かの光が楽園を照らしていた。湖に照り返されて、黄金色に輝く様は、これこそまた「この世のものとは思えない」美しさだ。
はぐれた雲が、楽園の中をたなびきながら、さ迷っていた。この美しい情景にしばらく、佇んでいた。目をつぶり、この地に来られたこと、自然と一体となれていることに感謝をした。出発の時間になったので、部屋を後にした。
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部屋を出ると廊下で、観光客がカメラを構えていた。「ゾウがいるよ」とそっと教えてくれた。木の陰からゾウがゆっくりと歩いている様子が垣間見えた。ゾウが立ち止まり、何やらせわしなく食べている。うっそうと繁る木々の間から、鼻を使いながら口に草を入れている姿と大きな牙とが見て取れた。ホテルの廊下からたった10メートルほど先の場所だ。標高2600mの山の上のホテルの敷地内での出来事だ。運転手にそのことを話すと、「ゾウが挨拶に来てくれたんだよ」と笑って説明してくれた。
巨大な楽園クレーターと別れを告げて、緑の山をクレーターとは逆の方向に降り始めた。傘の木と黄色の自然の花畑を抜けると、マサイの集落があった。そのそばにシマウマやヌウが普通に道端にいる。もうこっちも驚かなくなった。
車が急に止まった。キリンの集落だ。そう言えば、クレーターの中にはキリンがいなかった。「大好物のアカシアの木が足りないからだ」、と運転手が説明してくれた。キリンが、近くで、背伸びをしながらアカシアの葉っぱを食べている。
インパラの群れが道を横切った。後姿がとても可愛いらしい。 インパラは、数十頭の群れで動く。その群れの中に、角が生えたオスは、一頭しかいない。ガイドブックには、「オス一頭に対しメス数十頭が群れを作り、疎林帯とその周辺の草原に住む。あぶれた雄は、その周辺にオスだけの群れを作り、ハーレム奪取の機会を狙っている」と書かれていた。その日の夕刻近くにオスだけの群れに遭遇する。自然界は、「格差社会」なのだ。
ヒヒの群れに遭遇した。すぐ横でマサイが牛の放牧をしている。マサイは、生態系の一部なのだろうか。マサイは、牛以外に、羊も山羊も放牧していた。山を降りると、そこには見渡す限りの大草原があった。
オルドバイ渓谷に着いた。ここは、人類の祖先に当たるアウストラロピテクスの百万年以上も前の化石が見つかった場所である。その後の研究によると、人類の祖先は、この東アフリカの地に起源を持ち、ホモサピエンスへとゆっくりと進化し、現代の人類に至るのである。長い道のりである。その進化と同時に、生息する場所も拡張され、ヨーロッパやアジア、そしてベーリング海峡を渡り、アメリカ大陸へ。そして南米のパタゴニアに到達したのだ。
日本人の人類学者・医師である関野吉晴氏は、この人類の大移動の軌跡を逆から人力で辿ろう、ということで、南米のパタゴニアから自転車の冒険に乗りだした。その記録が博物館に残されていた。自転車も大切そうに保管され、碑までが立っていた。日本人としては誇りに思える瞬間だ。
セレンゲティ国立公園と書かれた門の前で止まった。先行車の親子が、外に出て用を足していた。公園の中では、決められた場所以外では車の外に出てはいけないらしい。僕も、外に出てみた。そこは、見渡す限りの草原だ。木も繁っていない。ほぼ360度地平線が広がる。草原の地平線の先に、白い雲が繋がっている。当たり前だが空を見上げて目線の角度を下げると、地平線に到達した。大地を見て、遠くまで目をやると地平線となる。その空と大地の境が線の様に、見えるから「地平線」と呼ぶのであろう。その地平線がほぼ360度広がるのである。平地から見える、まさに大パノラマだ。
車の前をハイエナが道を横切り、数十メートルの距離感でガゼルと対峙している。緊張感漂う場面だ。ハイエナは、お腹が空いていないのか、ガゼルと逆の方向に歩き始めた。ジャッカルも発見した。意外に小さい。
動物を見つけるたびに、車は停車し、エンジンを止める。そのたびごとに、僕は、立ち上がり、拡張された天上と屋根の間にできた大きな隙間から、直に動物を見る事ができるのだ。
シマウマの大群がいた。道を挟んだ両脇に数千頭はいようかと思う。いや一万頭以上かもしれない。「うじゃうじゃいる」、という表現が適切かもしれない。僕は、ずっと立ち上がったままの状態でいた。車はそのままゆっくりとシマウマの大群の間を走る。標高1600mぐらいの地にセレンゲティが位置するので、空気はほんのりと冷たく気持ちがいい。遮るものがないので、匂いも音も含め、五感で自然を感じることができるのだ。
ちょっとした丘が見えた。その前にゾウが5頭いた。そのうち2頭が小さな子ゾウだ。その姿を車の上に立ったままじっと見ているだけで、ほのぼのとした気分になれる。
その丘が、ナービヒルゲートと呼ばれる場所だ。丘を登ってみる。空を見上げると、ハゲワシが数羽ゆっくりと舞っていた。気持ち良さそうだった。丘を降りて、ランチボックスを取り出し、ピクニック気分で昼食をとった。運転手さんとの会話が弾む。セレンゲティは、「果てしなき草原」を意味するらしい。ンゴロンゴロとセレンゲティ双方とも違う楽しみがあり、運転手も両方好きだと言う。
午後に、サファリの続きが行われた。その「果てしなき草原」に、岩場の高台がぽつんと現れた。その上に百獣の王ライオンが寝そべっていた。岩がひんやりとして気持ちがいいのだろうか。数頭いるようである。ライオンは、日中は寝そべっていて、朝と夕方に活動するらしい。近くの岩には、ハゲワシがじっと止まっていた。絵になる風景だ。
チーターを発見した。車を止め、エンジンを切りゆっくりとチーター見物だ。遠くに、一頭のヌウが見えた。どうやら群れからはぐれてしまった子供のヌウのようだ。でも、まだ距離は遠い。ヌウの子供が歩いている中、ゆっくりとチーターが近づいている。ヌウの子供はまだ気付いていない。チーターは、そろりそろりと、腰を低くしたまま草むらに潜みながらヌウの子供に近づいていった。
ヌウの子供が気付き逃げだした瞬間に、チーターもすぐに反応して追いかけた。もう一匹のチーターも草むらから走り出した。さすが動物最速のチーターである。あっというまにヌウを捕まえる。一撃目は外したようだが、すぐに再度ヌウに襲い掛かった。ヌウの子供は、その場で倒れて二度と起き上がらなかった。茂みから2匹ほど子供のチーターが出てきて、一緒にご馳走にありついた。自然界は、まさに「弱肉強食」なのである。
でも何と言ってもセレンゲティの主役は、ヌウだ。数万頭は、見たかと思う。草原が黒い蟻で塗りつぶされているかのような錯覚に陥るほどの数だ。5月後半から6月にかけて、ヌウは、隣国ケニアのマサイマラへの大移動を始めるらしい。地図で見るとセレンゲティとマサイマラは国境を挟んで繋がっている。ヌウからすると国境など関係が無いのであろう。ただ単に、草を求めての定期的な大移動なのであろう。
一頭のシマウマが鳴きだした。どうやら群れからはぐれてしまったようだ。それに呼応するかのように、ムウ達も鳴き始めた。沼地にいたカバもつられて呻くように鳴き始めた。鳥のさえずりも加わり、穏やかな合唱が、草原に静かなこだまする。セロネラ近くの沼地帯でのできごとだ。
草原の中に、ポツリポツリとアカシアの木が増え始めた。木の上に、佇むヒョウ一匹を発見した。天気が良く気持ちがいいのか、ヒョウは微動だにしない。車を止め、エンジンを切り、動き出すのをじっと待つ。静かに時がたっていく。木の後ろには、草原だ。そして遠くに小さな山が見える。
しかし、空が美しい。雲の裏側から太陽が照らしている。その明かりの度合いや雲の厚みによって、雲の白さにグラデーションがつくのである。その白い雲の合間に見える水色の空。その空の様に見とれている間に、ふっとヒョウの足が動く。そして、そのままじっとしていた。「ま、十分に堪能したでしょう」と決め付けて、その場を後にした。
ゾウの群れに遭遇した。子供のゾウが数多く一緒にいた。湿地帯には、カバの群れが茶色の沼の中で潜っている。その横でバッファローが一頭、せわしなく草をむさぼっていた。動物達を眺めているだけで、幸せな気分になる。不思議な感覚である。
もう、陽が暮れ始めたのでホテルに向かう。車の気持ちの良い揺れを感じたまま、うたた寝をした。運転手に起こされると、もうホテルに着いていた。
2010年5月6日
セレンゲティ国立公園の中のホテルにて執筆
堀義人