2020年9月24日、オンラインでテクノベート勉強会「米中日のマクロ環境から見るアフターコロナの世界と自動車産業」を開催。デンソーの鈴木万治氏が「新型コロナの 2つの効果」「米中日の今後」について、6カ国の現地在住者へのインタビューなどを基に分析、持論を展開した。最終回となるvol.3では、講演後の質疑応答を紹介する。
*本記事の内容は、個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません。
これから成功するビジネスドメイン
八尾:今回のコロナパンデミックのようなことが起こったときに、どのようなドメインにビジネスが成り立つ、または生まれる気配があるでしょうか。
鈴木万治氏(以下、鈴木):過去の歴史をみると、パンデミックは100年に1回程度です。つまり、「一生に一度経験するかしないか」なので、あまりパンデミックだけにこだわることに意味はないと思います。それより最近の傾向は、台風や大雨など気象災害が頻繁に発生しているので、防災・免災の「災害テック」といった分野は伸びると分析しています。いずれにしても、特定の産業やビジネスのドメインに関係なく、これまでとは違う軸の新しい価値視点を持てるかどうかがポイントです。
経営層に求められる資質
八尾:100年に一度と言われているモビリティの大変革を牽引するようなトップにはどんな人がふさわしいでしょうか。
鈴木:よく「全員が変わるんだ!」という声も聞きますよね。ただ、冷静になって考えてみてください。多くの企業において、一般的には全体のリソースの約95%は現業です。そして、その分野は、極論で言えば、これまでと同じやり方でオペレーションする人材で大丈夫です。変える必要はないのです。むしろ下手に変えると、品質問題などが発生しかねない。
検討すべきは「残りの約5%」の部分です。全体からみたら非常に限られたリソースで、いかに「次の種」を仕込むかです。それについては、ドイツの老舗企業SAPの例が、分かりやすい成功例だと思います。現業は、社長がドイツで統括し、新しい事業は、会長がシリコンバレーで統括する。それにより、よくある「現業担当部署と、新事業開発担当部署での文化や価値観の違いによる対立」を排除できるため、よくありがちな社内で足を引っ張る要素を低減できます。
従来のサプライヤービジネスは「OEMに言われたことを忠実に実現する能力」が競争力の中心でした。従って、ゴールは与えられましたし、失敗は許されず、リスクを取る必要もありませんでした。
しかし、みなさん実感されているように、今の時代は、それが完全に反転してしまいました。ゴールは与えられず、自分自身で設定しないといけません。そして、その実現のためには、リスクを取ることも必須であり、成功に到達するためには、その前のステップとして数多くの失敗もまた必須となります。
従って、それらをまとめると、経営層に求められる資質は「1.ビジョンとゴールを自ら設定できる」「2.リスクを取ることができる」「3.成功への過程としての失敗を受け入れられる」などと考えています。
世界初の量産型電気自動車、三菱「i-MiEV」がテスラになれなかった理由
八尾:先日、世界初の量産型電気自動車である三菱自動車の「i-MiEV」が今年度内に生産終了するというニュースが報じられました。なぜ市場創造ができなかったのでしょうか。
鈴木:三菱のi-MiEVがなぜテスラになれなかったのか。その理由はいくつかあるでしょうね。その中でも鍵となったのは、充電インフラの自前整備の有無ではないでしょうか?テスラは巨額な投資により自前の充電インフラを整備しました。しかし、日本の自動車メーカーはそれをしなかった。言ってみれば、商品はあくまで自動車で、充電インフラに関しては、餅は餅屋に任せるという考え方かもしれません。
一方、テスラにとって車両や充電インフラは、体験を伝えるためのメディアだと考えるべきです。テスラの体験を提供するのに必要だから車両や充電インフラを整備するのです。充電インフラを自前で持っていれば、目的地をナビで設定すれば、どのタイミングで、どこの充電器で、どれくらい充電すればよいかなどを詳細に運転者に情報提供できますよね。また、自前の充電器であれば、充電している間の時間を活用して、データの吸い上げやソフトウェア更新といったことも自在です。(vol.2でお伝えしたように)テスラはEVメーカーではない。彼らは自動車ではなく、体験を売っているのであって、充電インフラのみで儲けようというつもりは全くないと思います。ただ、テスラの車両と充電インフラが緻密に連携した時、それは他社では絶対に真似できない、テスラだけのすばらしい価値を所有者に提供できるのです。充電インフラへの投資は、そのためです。
イーロン・マスクは2020年9月に開催されたバッテリーに関する発表イベントで、3年後に「2万5000ドル(約260万円)の電気自動車を生産する」と宣言しました。もし他の自動車メーカーが電気自動車をつくったら、恐らく軽自動車並みの大きさで500万円はするのではないでしょうか?「原価から考えると、500万円で売らないと儲からない」と考えるか、「(バッテリーに不可欠な)リチウム鉱山までも購入して垂直統合を図る」ことで「社会が求める価格を実現する」ことを考えるかの違いでしょう。
今回、中国でもCOVID-19の影響で工場の製造ラインで人が働けなくなりましたが、製造できなくなって困った時に、開き直って「全部ロボットハンドでやってみるか」とかなり無理をして、ロボットに置き換えました。勿論、最初は予想外の苦労をしたようですが、今はロボットハンドでスムーズにできています。これらの例から学ぶべきことは、テスラや中国企業は「それは無理だろう」ということをやってしまうということ。そこは、日本企業との大きな違いだと思います。
八尾:テスラのバッテリーの量産設備「ギガファクトリー」は、パナソニックが共同で手掛けていたと思います。パナソニックが量産したセルをテスラがバッテリーパック化する工場ですが、ここに来て、テスラ自らが重要なセルの設計と生産に乗り出すと発表がありました。
鈴木:みなさん、ご存知のように、従来の自動車業界はピラミッド構造になっています。頂点にOEMがいて、その下にティア1サプライヤーであるデンソーやボッシュ、コンチネンタルがいて、その次にティア2、ティア3という感じで部品供給企業がいるという階層構造です。
それに対して、テスラや中国のBYD(比亜迪)は、コアとなる部分に関しては、サプライヤーを使っていません。全部自分たちでできるし、自分でやることが好き。だからCOVID-19禍で人工呼吸器が不足した時に、テスラは簡易的なものではありますが、自前で人工呼吸器を開発できました。ここからもわかるように、テスラは、サプライヤーなしでも、ものづくりができる人たちなのです。
ドイツを例にあげると、ダイムラーやBMW、フォルクスワーゲンといった自動車メーカーと、ボッシュやコンチネンタルなどのサプライヤーがいますよね。優秀なエンジニアはサプライヤーに入りたがります。OEMの役割は、企画という上流部分が多いからです。市場で売れる車を企画して、全体を広義の意味でデザインするのがOEM。そこから求められるものを技術や設計で実現するのがサプライヤー、という役割分担がしっかりできています。当然ですが、どちらも同じくらい重要であり、優劣という話では全くありませんので、誤解のないよう注意ください。
日本で議論すると「じゃあ、どちらが正しいのか?」となりがちですが……どちらが正解というわけではありません。例えば、レガシーなクルマを大量につくる場合は役割分担があったほうがいいですし、少量のクルマをコントロールされた状態でつくるならテスラのようなパターンがいいでしょう。
データを共通言語にして判断するネットフリックス
質問者:情報のビジネスでは、実際に実行するための情報基盤の持ち方にかなり差があるように感じます。特に日本だとオンプレミス(自社で情報システムを保有し、自社の設備で運用すること)がまだ多いのと、(独自システムへの執着が強いため)クラウドへ移行するとしてもIaaS(クラウドを介してネットワークやサーバなどの情報システム基盤を提供するサービス)の活用にとどまっている。そういう観点で鈴木さんが何か感じていることがあれば教えてください。
鈴木:今はクラウド上でデータ処理ができますから、どこのクラウドを使うとか、どう処理するかという部分は競争領域ではなく、鍵は「どういうデータ」を「どのように取るか」だと考えています。最近、「データはオイル(油)と同じである」という喩えが用いられることが多いですよね。確かに、「データもオイルも高い価値がある」という意味では同じです。但し、大きな差は「価値を生むデータは、自分で作らないと最初から有るわけではない」ということを理解しておくことが重要です。
データ駆動の企業は多くありますが、どこが一番分かりやすいかというとネットフリックスだと思います。どんなデータを取って、何をしているかを見ると本当に面白いです。冒頭に申し上げたように、ネットフリックスもどこかのクラウドを使っているだけで、クラウド環境としては、特別なものは使っていないと思います。
よく、ネットフリックスには会議や議論がないという話を耳にします。何かあったら比較データを見て、「こっちのほうがいいね」「そうしましょう」で終わり。つまり、そのような意思決定ができるために十分な質と量のデータを持っているわけです。
なぜそうしたことができるのか?誰でも簡単にできるのでしょうか?簡単にはできませんよね。ネットフリックスが、これを自然にできている理由のひとつは、まだDVDのレンタルをしていた頃からずっと、データを使って判断することを繰り返してきたからだと思います。いきなり巨大なデータを扱うのではなく、最初は小さなデータから扱い、失敗も重ねながら、社内に文化も醸成してきた結果が、今の強みとなっていると思うとわかりやすいですよね。いずれにしても、現在のネットフリックス社内ではデータが共通言語になっていて、ほぼすべてがデータで判断されているのです。それで判断できない案件はCEO判断となるようですね。
ミッションとは存在意義。社会から何を期待されているのか
質問者:日本における人材面での課題は、起業が少なすぎるという1点に尽きると思っています。長く続く企業があるのはいい反面、続けることが目的になっている企業もあるのではないでしょうか。新陳代謝をもっと起こすべきだと考えていますが、この感覚は合っているでしょうか。
鈴木:多産多死による新陳代謝が必要ということですよね、私もそのとおりだと思います。私個人としても日本には社会からの要請が希薄でありながら、公的な資金や企業からの援助により、ただ事業継続しているだけの、所謂、ゾンビ企業に関しては本当に残念に思っています。
これまでの時代は、企業にとって「自分がどうなりたい」が大事でした。しかし、これからの社会では「企業として社会からどんなふうに期待されているか」が大事です。違う言い方をすれば、「(前から)この会社にはこうなってほしいと思っていた」と言ってくれる人がどれだけいるかということだと思います。
社会から何を期待されているのかという社会的ミッションを考えないと生き残るのは難しいと思います。ここで注意した方がよいのは、「ミッション」という単語の意味です。ミッションという単語には「使命」と「存在意義」という意味があります。日本では、「使命」の意味で使われる場合が大半ではないでしょうか。しかし、今の時代、ミッションは「存在意義」と捉えたほうがいいと思います。私自身、デンソー社内でも「自社の技術を使って、これをやりたい、こうなりたいも良いが、それよりも、デンソーは社会からどうあってほしいと思われるのだろうかを考えたほうがいい」とよく話しています。
質問者:デンソーはQRコードを発明するなど、新しい価値をつくっていますよね。
鈴木:QRコードは、先人のすばらしい発明です。QRコードがなければ、中国のモバイルペイも生まれなかったと言っても過言ではないと思います。但し、課題がないわけではありません。例えば、ライセンス料など、QRコード自体でマネタイズできていないのが課題と考えることもできます。勿論、多くの方々に活用いただきたいという開発者の強い想いがあって、そうなっていることも忘れてはいけませんが、どんな時でも、マネタイズを考えることが、個人にも、企業にも、ひいては社会にも良いことだと思います。
「無料」「無償」という言葉は、日本人的美談でいうと「いいよね」というストーリーになります。例えば、COVID-19の接触確認アプリの「COCOA」も、「最初のバージョンはボランティアでつくりました」ということが美談として語られていますよね。確かに、初期のプロトタイプをボランティアで製作された方々は、すばらしいです。しかし、本当に、そのやり方が正しいのでしょうか?私の個人的な意見ですが、価値があるものには、対価を支払うことが当然だと考えています。初期のプロトタイプを、しっかり予算をつけて開発するのと、今回のように、ボランティアで開発するのでは、後の本番プロダクトの出来に影響するため、私は今回の開発スタイルを心から喜ぶことはできません。
シリコンバレーに行って学んだ大事なことのひとつは、「お金はすごく大事だ」ということです。日本の文化や価値観では「お金の問題じゃない」という言葉も、よく聞きませんか?しかし、現実の社会は、いくらすばらしいことを口で言っても世界は何も変わりません。では、世界を変えるには、どうすれば良いのでしょう?すばらしいアイデアを、お金を活用して、実行することで、世界を少しだけ動かすことができるかもしれません。どんなにすばらしいアイデアも、それだけでは価値を生み出すことはできません、お金をきちんと使えば何かを動かすことで価値を生み出すことができます。そう考えると「お金はすごく大事だ」という意味がわかってくると思います。
私は、日本の経済が長期にわたって低迷している1つの原因は、売り手も「価値相応の対価」を要求しないし、買い手も、それを支払わないことにあると思っています。日本の「良いものを安くが良い」という慣習も影響しているのでしょうね。例えば、コンビニの100円コーヒーは安くて、すごくおいしいと思いませんか。いっそ倍の200円にしたらいいのにと思います。それでも、一般的な珈琲店のコーヒーの半額程度ですよね。100円を200円にすれば、利益は大幅に増加します。その利益を原資にして、従業員の給与を上げたり、新しいことに挑戦するための投資にしたり、キャッシュ・フローを強くできます。薄利のビジネスを長期間継続すると、体力を消耗してしまい、社会にお金が回らなくなることで、企業も消費者も社会も疲弊してしまうのではないかと心配になります。
最後ですが、「提供価値相応の対価」について、わかりやすい例をご紹介します。日本でも米国でも「ビジネス・セミナー」のようなイベントは数多くあります。みなさんも、参加されることもあると思います。日本では、未だに「参加無料」のイベントが多いですよね。何故なら「参加費がかかるイベントにすると途端に集客が困難になる」からです。では、米国はどうでしょう?まるで逆です。米国は「参加費=期待できる価値獲得」という考え方なので、「無料セミナー」には人は全く集まらず、人気なのは「1000ドル(約11万円)」程度の参加費のセミナーです。それだけ支払うので、参加者の熱意は相当なもので、寝ている人など皆無ですし、主催者側も価値提供にこだわります。
「価値に相応する対価を支払う」ことが当たり前の社会と、そうでない社会……我々は、今、それを改めて考えるべき時代を生きていると思いませんか?
(文=荻島央江)