「量・速・質」の読書で知の空間をふくらませよう

多読だけが能ではない

読書ほど効率的なインプット作業はありません。書物は時空を超える知見のエキスです。古今東西の書き手が一生かかって知りえた情報が、手元の一冊に収められています。年末年始は読書という“知の充電”に時間を振り向けたいものです。

さて、読書にはいろいろな形があります。そこで、「量の読書・速さの読書・質の読書」という3つの観点でとらえたのが下の図です。

「多読」は手当たり次第にいろいろな本を読むこと。それに対し「広読」は、何か本を読んでいたときに、ある1つのテーマや作家に関心をもち、それについていろいろと本を読み広げていくイメージです。

また、1冊の本を速く読むということでは、目的に応じて「速読」「粗読」「通読」の使い分けがあるでしょう。

本の内容を深くとらえていくためには当然、「熟読・精読」が不可欠です。さらには時間をおいて「再読・重読」することを強くお勧めします。特に偉大な本であればあるほど、自分の成長に合わせて与えてくれるものが深まってくるからです。以前読んだときに気づかなかったことを得る。それが「再読・重読」の醍醐味です。

「心読」は心のひだで感じ入るように読むこと。100冊の多読より、1冊の心読が人生を変えるときがあるかもしれません。また、「身読」とは宗教の世界の言葉で、経典を身をもって読むこと、すなわち、教えを観念で終わらせず実践して理解するということです。

読書によっていわば自分の“読書知の空間”がふくらんでいくわけですが、そのためにさまざまな形の読書を組み合わせることが重要です。「量の読書」だけではヨコ方向にしか伸びません。「質の読書」だけではタテ方向だけになってしまいます。また「速さの読書」だけでは密度が濃くなりません。

読み手のぶつかり具合に応じて本は鳴る

ところで、何年も書棚に置きっぱなしの本にふと気が留まり、久しぶりにページを開いて読んでみたら、「あれっ、この本ってこんなに深いこと書いてあったっけ」「あ、この一文、あらためて読むと沁みてくる」……といったような経験はないでしょうか。

ほんとうに大きな本というのは、読み手の成長に合わせて響いてくるものを懐深く持っているものです。そうした時を超えて人びとに読み継がれるような古典的書物は、言ってみれば、大きな「梵鐘」です。こちらが未熟に小さく当たれば、小さな音しか鳴りません。深く悩んで大きく当たれば、大きく鳴らしてくれます。

ですから、年末年始の読書は何も新しい本を手に取るばかりでなく、書棚にある本に今一度目を向けてながめてみるのもいいと思います。昔は割り箸でたたいていたがゆえにあまり鳴らなかった本が、いま丸太でたたけるような自分になったがゆえに、ゴォ~ンと響いてくる本があるかもしれません。それはあなた自身が成長した証でもあります。

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