オピニオンリーダーとして高まる存在感
多様性を一人で体現する存在として最近注目を集めるのが大坂なおみである。ハイチ出身の父と、日本人の母、北方領土出身の祖父という血筋に生まれ、しかも米国で育った日本国籍のアスリートだ。テニス界でも屈指の実力とメディア受けするその発言などで生まれたスター性、そして多分その文化的バックグラウンドから多くの国が注目していることも相まって、世界で最も稼ぐ女子アスリートとなった*。
その大坂は、8月下旬全米オープンの前哨戦ウエスタン・アンド・サザン・オープンでの試合棄権ともとれる抗議と、優勝した全米オープンでの7枚のマスクによる抗議活動により、オピニオンリーダーとしての存在感を一気に高めたといえるだろう。
2013年から活動し、2014年に一度ブームとなったBlack Lives Matterは、2020年の5月に起きたジョージ・フロイド殺害事件から6月に全米最大級ともいえる抗議活動となった。そして、いったんは沈静化の兆しを見せたものの9月にウィスコンシン州で黒人が白人警官に背後から銃撃されて重体となった事件を引き金に再び盛り上る。このタイミングで大坂はウエスタン・アンド・サザン・オープンに登場『明日は試合をしない』とtweetして全世界に抗議の棄権との報道が駆け巡った。
テニス界の大坂なおみに対する特例措置
実際にはこれは大変うまく考えられた行動で、大坂は「その日は試合をしない」だけで棄権したわけではなく、実際の試合は一日順延されて行われた。これは特例措置に他ならない。女子ツアーを管轄するWTA(女子テニス協会)と男子ツアーのATPとUSTA(全米テニス協会)が共同出した声明は「テニスは競技として、アメリカで再び起きた人種差別や社会的不公平に対して結束して反対する立場である。USTAとATPツアー、WTAは、ウエスタン・アンド・サザン・オープンを一時休止しその意を表したい。27日は試合を行なわず、28日に再開する」となっているが、大坂によれば、棄権しようと考えた大阪はtweetする前にWTAに電話をし、サポートを取り付けたのだという。
全米オープンで着用した7人の黒人被害者の名前を記したマスクも、政治的、宗教的な主張・宣伝が禁じられている大会において、主催者が特例として大坂の行動を認めたために実現している。いずれの大会も最大限の特別扱いというわけだ。
大坂なおみに対する抗議が聞こえてこない理由
アメリカにおける黒人差別の歴史には、一種独特のものがあり、大変にセンシティブなものなので海外からそのことについて理解をすることはほぼ不可能だと感じることが多い。ただ、今回のBlack Lives Matterの活動は全米の成人の約7割が支持しており**、白人が多くを占めるテニスの世界において、しかもアメリカという市場であるからこそ、主催者側は非常に素早い特例措置を打ち出す必要があったことも事実だろう。
もちろん、誰がこの抗議をしようとしたかも大事だったろう。つまり、このような素早い特例措置は、もちろん大坂がアメリカ在住で、メディアからの注目度も世界的な、しかも世界一稼ぐ選手であるから得られたものには他ならない。しかし、そのような選手であっても、行動が拒否されることもある。というのは社会正義ほど難しい概念はないからだ。今回のBlack Lives Matterですら、3割のアメリカ人は支持していないのだ。しかし、大坂なおみへの抗議、そしてこのものすごい特例措置への抗議はあまり聞こえてこない。なぜだろうか?
彼女は全米オープン優勝後「祖先に感謝したい。彼らから受け継いだ血が体中を巡っていると感じた。それが、負けるわけにはいかないと思わせてくれた」とコメントしている。なんといっても自身が当事者である。それに7枚のそれぞれ異なった犠牲者の名前が書かれたマスクを見せるためには、6回勝って決勝戦にたどり着かなくてはならない。しかもそこで付けたマスクに書かれた名前はBlack Lives Matter活動の発端となった事件、2014年に犠牲になったタミル・ライス君の名前であった。ここで勝たなくては意味がない。
負けらない戦いを仕掛け、結果を出す
彼女は負けられない理由がある戦いをしかけ、本業であるアスリートでも一流であることを証明しつつ、社会的にも大きな影響を与えた。大っぴらに反対しにくい環境を、高い負荷を自分にかけ、潔い行動をとってからこそ、BBCも「自信に満ちながら謙虚な方法で影響力を行使した」と評したのだろう。
先日発売された『正義を振りかざす「極端な人」の正体』という本によるといわゆる「自粛警察」のようなネット上の極端な行動をとる人には「男性」「年収が高い」「主任・係長クラス以上」といった属性が多いという。本業に関係ないことにずいぶんと熱心に参加されていてお暇なことである。そういった皆様に、大坂なおみの詰めの垢を煎じてのませてさしあげたい。そんなことを考えた。
*2020年5月に米経済誌のフォーブスが発表した大坂の年収は、契約などの副収入を含めると3740万ドル(約40億円)
**米国ピュー研究所の調査によると支持が67%。 Amid Protests, Majorities Across Racial and Ethnic Groups Express Support for the Black Lives Matter Movement|Pew Research Center