会社に「退職願」を提出したことがある人であれば、こんなことを感じたかもしれない。「なぜ『退職願』なのか? 『退職通知』ではダメなのか」と。そもそも会社と社員は対等の立場であるはずだが、退職をする際の手続き1つ見ても、対等ではない関係が……。(このコラムは、アイティメディア「Business Media 誠」に2009年4月23日に掲載された内容をGLOBIS.JPの読者向けに再掲載したものです)
筆者は何度も転職しているので、会社を退職する手続きを何度も経験した。日本企業では自分から会社を辞める場合に、その会社の所定の書式で「退職願」を書いて提出し、会社がこれを認めるという手続きを要求する会社が多い。最初の辞表は自分で書いて上司に提出するが(口頭で退職の意思を告げてもいいが、意思表明の日付を残したい場合は書類にする)、退職が認められた後に、それでは手続きをしてくれということで、改めて「退職願」を書かされる場合も目立つ。
損得に大きく関わる問題ではないので、目くじらを立てるほどのことはないのだが、会社と社員は本来対等な立場で契約しているのだと考えると、社員が自分から退職する場合、「退職願」ではなく「退職通知」、もっと柔らかく伝えるなら「退職のお知らせ」といった書類を提出すればいいのではないか。主文は「一身上の都合により、○月×日付けをもって退職することとしますので、通知します」という感じだ。
ときに会社は行き過ぎたことをする
会社に対して願い出て退職を認めてもらうという、よくある手続きの精神には違和感がある。前回の本連載で、会社が就業規則で社員の副業を原則禁止したがることに対する批判を書く際に、あえて強調して「会社ごときが」と書いたが、社員の勤務時間外の私生活に関わる問題を「原則禁止。願い出たら、認めることもある」という立場で規制しようとするのは、不適切なのではないかと思うし、どうして会社がそんなに偉いのか、と不愉快な気持ちになる。
同様に、会社の行動が行き過ぎではないかと思うのは、社員の不祥事に対する会社の処分だ。例えば、軽い刑法犯で社員が処罰を受けた場合に、これを理由に会社が社員を解雇することがあるが、こうした事例の中には行き過ぎがあるのではないだろうか。筆者としては、窃盗にせよ、迷惑防止条例違反にせよ、飲酒運転にせよ、犯罪に当たる行為が悪くないという気持ちは少しもない。刑罰はそれなりに重くていいと思うし、処罰を受けることは当然だ。
しかし警察その他が下す罰以上に、会社が社員を処罰する権利はないと思うが、どうだろうか。例えば実刑を受けて、就業規則に定める期間以上の期間にわたって勤務ができないというなら、解雇もやむを得ないかもしれない。しかし事件がマスコミに報じられたといった事実をもって、会社の名誉を損なったから解雇するというのは、行き過ぎのように思う。
有名な会社など名のある会社の社員が不祥事を起こしたと報じられると、これを見た世間の側では、しばしば「この社員がもっとひどい目に遭うといい」という感情を抱く(すべての人が抱くわけではないが)。会社がこの社員の人生に大きな打撃を与えるような処分を下すことを期待するのだ。
こうした場合、社員に対する処分が軽いと、社員ではなく、会社が非難の対象になることがある。ビジネス的には、会社はこの社員を解雇するなどして世間の批判をかわすことができると好都合なのだが、個人としての社員の犯罪(軽犯罪)を会社が処罰するという形にはいささか問題があるように思える。これは、もともと公的ルールによる処罰以上に追加的な罰を求める世間の感情の方が不適当で(ハッキリ言うと「下品」でも)ある。
人間として「恥ずかしいこと」
しかしことの適否はともかく、退職手続きの高飛車にせよ、副業禁止や社員の勤務外の行為への処罰など、「会社」はあたかも意思と一段高い身分を持った主体のように社員に対して行為する。
筆者は退職手続きの際に、人事部の担当者に「この手続きはおかしくないか。退職通知で十分でしょう」と言ったところ、「申し訳ないが、うちの会社ではこうすることになっている」との返事が返ってきた。だが考えてみると、退職の手続きにしても、副業の禁止にしても、過去のある時点で誰か個人が決めたルールを後の時点で別の個人が変更することなく適用しているに過ぎない。「会社」という仮面をかぶっているが、会社の行為は会社の誰かの意思決定に基づく「個人」の行為であり、会社対社員(個人)と見えている関係は、本来、個人対個人の関係に過ぎない。
そう考えると、会社が社員の副業に“焼き餅”を焼くのもいいことではない。まして、警察に代わって生活にダメージを与える処罰を下すというのは全く行き過ぎだと分かる。会社の威を借りて、こうしたことをしているとすれば、それは人間として「恥ずかしいこと」だろう。
会社という存在を正確に理解しておきたい
筆者はかつて、「会社と個人(社員)は対等だ」と何度か書いたことがあったが、本来は、「会社」は「個人」と対等であるか否かというような観点で対置すべき対象ではないのだ。
評価や処遇に不満のある(真面目な)サラリーマンなどがよく「会社は俺のことをどう思っているのだろう?」とか、「この問題についてウチの会社はどう考えているのか?」などと悩むことがあるが、この問いは人事や評価を決めている個人や、当該の問題に対する実質的な意思決定者「個人」に差し向けられるべきだ。「会社」は個人の約束事の束に名前を付けたものに過ぎない。会社という存在を正確に理解しておきたい。
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