MBAの真価は取得した学位ではなく、「社会の創造と変革」を目指した現場での活躍にある――。グロービス経営大学院では、合宿型勉強会「あすか会議」の場で年に1回、卒業生の努力・功績を顕彰するために「グロービス アルムナイ・アワード」を授与している(受賞式の様子はこちら)。2019年、「変革部門」で受賞した東急リバブルの太田陽一氏に、MBAの学びをどのように活かしたのか聞いた。(聞き手=橋田真弓子、文=石井晶穂)
自然と身についたリーダーとしての能力
知見録:アルムナイ・アワード受賞、おめでとうございます。
太田:ありがとうございます。私がグロービスを卒業したのは2009年ですから、実に10年越しの受賞になりますね。私のようなサラリーマンでずっとやってきた人間を評価してくださったことは、大変ありがたいと思っています。
知見録:これまでの道のりについて教えてください。
太田:私は東京・中野駅のすぐそばで生まれ育ちました。かつての中野駅界隈には、通常の勤め人だけでなく、各種商店主、飲食業主、外交官、政治家、医者、教育者、中小企業の経営者といったさまざまな分野の人とその世帯が混在して住んでいました。まさに「社会の縮図」でしたね。いろいろな背景を持つ人と日々接し、その中で揉まれた結果だと思いますが、人に対して先入観を持ったり、偏見を持ったりすることを自然としないようになりました。
大学時代は勉強よりも、バレーボールの指導に熱中していました。20人ほどのクラブのコーチをしていたのですが、彼らをやる気にさせ、なおかつ楽しんでもらうにはどうすればよいのか、試行錯誤の日々でした。今考えると当時の経験は、その後のサラリーマン人生にも活きていますね。
特に役立っているのは、人とのコミュニケーションのとり方です。今でも人に会ったら、どうコミュニケーションをとるか、必ずイメージします。同じことを伝えるにしても、ある人には強く伝える、ある人にはやんわりお願いする、またある人にはあえて言葉では伝えない。
それが正解かどうかはわかりません。でも、人との距離をはかることは、とても大事だと思うんです。人を活かしたり、モチベートしたり、組織を束ねたりすることにつながるからです。それが結局、私のコアな能力かもしれません。
「えっ?」と思わず聞き返した社長就任
知見録:就職先として、東急不動産を選んだのはなぜですか?
太田:当時の花形は、自動車、家電といったメーカーでした。でも、メーカーに入って何をするのか、イメージが湧かなかったんです。研究者や技術者なら、モノづくりをするイメージが浮かびます。でも、法学部の自分がメーカーで何をやるのか。
その点、デベロッパーの仕事は、イメージがパッと浮かんだんです。特に当時は、人口が増え続けていた時代です。家を建て、モノレールを通し、街をつくる。やりがいのある仕事だと思いました。それで当時、街づくりのオーソリティーである東急不動産を選んだんです。
知見録:実際に、入社してみていかがでしたか?
太田:それが入社していきなり、関西支社への配属を命じられたんです。そのとき、思わず「えっ?」と聞き返したことを、よく覚えています。素直に「はい」とは答えられませんでした。東京生まれ、東京育ちの私が、東急不動産という東京を拠点とする会社に入って、なぜ大阪へ行かなくてはいけないのか、と。
実は今回、社長就任の内示を受けたときも、第一声は「えっ?」でした(笑)。すぐに「はい」とは答えられませんでしたね。「あのときと同じだ」と、新入社員時代の記憶がよみがえりました。
知見録:東急リバブルに出向されたのは?
太田:1995年です。当時はバブル崩壊のあおりを受け、東急不動産も厳しい状況にありました。そんな中、私は労務管理の係長として、組合との折衝を行なう仕事をしていました。殺伐とした日々でしたよ。バブル期に大量採用した若手社員を関連企業に出向させるなど、厳しい判断もしなくてはなりませんでしたから。
バブルの処理がひと段落したころ、同じく大胆なリストラを進めていた日本IBMの人事部長が、会社を退職したという新聞記事を読みました。それを見て、当時まだ黎明期にあった東急リバブルに出向することを私も受け入れました。
知見録:「けじめ」のようなものですか。
太田:そんなかっこいいものではないですよ。でも、自分だけが避けるわけにはいきませんでした。それで、他の社員と一緒に移ったわけです。出向後は、現場を数年経験したのち人事部へ配属になりました。労務の経験がありましたから、人事の仕事は非常にやりやすかったですね。社労士の資格でも取って、ぬくぬくやっていければいいやと、当時は思っていました。
異動をきっかけにグロービスへ入学
知見録:そんな太田さんがグロービスに入学したきっかけは?
太田:あるとき、東急リバブルの中興の祖である当時の社長に、こんなことを聞かれたんです。「君は人事と経営企画、どちらがやりたいんだ?」と。正直、なぜそんなことを聞くんだろうと思いました。そして、「私は今のままでけっこうです」と答えたんです。
もちろん仕事は一生懸命、やっていましたよ。でも、新しいことを学ぶとか、苦手なことに挑戦するとか、志を立てて何かに取り組むとか、そうした気持ちは弱かったのだと思います。だから、現状維持を選んだ。でも、その社長はあまのじゃくな人だったんです(笑)。「今のままでいい」と言っている私に、経営企画部への異動を命じたんです。
正直、「これは困ったぞ」と思いました。人事の仕事と違って、これからは外と戦わなくてはいけない。マーケティングもわからないといけないし、財務諸表も読めないといけない。そこでMBA(経営学修士)を取ることを考えたのですが、フルタイムで働いているのに海外へ行くわけにはいかない。そんなとき、新聞でグロービスのことを知ったんです。
知見録:2003年に受講を開始、2006年に大学院に入学されています。
太田:数字を見ることができるようになりたい、という問題意識があったので、まず「アカウンティング基礎」を受講しました。それまでの自分は、事業計画単位の数字までしか見ていませんでした。会社全体の数字については何も知らなかったと痛感しましたね。授業を受けるたびに、どんどん身についていく実感がありました。
もうひとつは、「マーケティング・経営戦略基礎講座」です。今でも忘れられないのが、「太田さんのレポートが最優秀賞だ」と講師からほめてもらったこと。嬉しかったですね。というのも、まわりは若い人ばかりだったんです。みんなバブル入社組で、血気盛んな感じで、その勢いに少し圧倒されていた。でも、一生懸命書いたレポートをほめてもらったことで、「俺もまだできるじゃないか」と自信がついたんです。
学びをフル回転で実践に移す
太田:恵まれていたなと思うのが、グロービスでの学びを会社で試すことができる立場だったことです。2003年に経営企画課長になってから、経営企画部長、関西支社長を経験しましたが、その間、事業ポートフォリオや、ブランド戦略、シナジー戦略など、グロービスで学んだことを自分たちの事業に当てはめ、フル回転で実践していきました。
知見録:その際、どんなことを意識されましたか?
太田:ビジョンをしっかり定めて、それに向かって全社挙げて動くことですね。それまでは、一人ひとりがバラバラに頑張って、その足し算で数字を積み重ねていく社風でした。そのやり方が悪いとは言いませんが、そこには「戦略」がありません。
たとえば最近では、「不動産情報マルチバリュークリエーター」を目指すというビジョンを定めています。簡単に言えば、単に売り手と買い手をつなぐだけではなく、広範囲な事業領域を活かして多彩な価値を付加していこう、というビジョンです。それをどう実現するか、全社で議論して推進していく風土が、ここ数年で根づいたと思います。
知見録:社員の方もやりがいがあるでしょう。
太田:みんな「会社が好き」って言いますね。私たちの世代だと、会社は嫌なところで、仕事は我慢してとり組むもの、というイメージが正直ぬぐえません。私自身、修行僧のように自分を追いつめて、それでここまで道を切り開いてきた気がします。でも、今の人たちは、みんな会社が好きで、仕事が好きなんです。なおかつ、「お客さんから感謝されることが好きだ」ってよく言いますね。
お客さんが喜んでくれて、社員が喜んでくれて、それが利益につながる。この考え方は、私たちが掲げるビジョンのひとつです。私たちは、「お客さま評価」「事業競争力」「働きがい」という「3つの業界ナンバーワン」を目指しています。この好循環をスパイラルで回すことによって、組織は持続的にステージアップしていくと思うんです。
知見録:まさに、サービス・プロフィット・チェーン(従業員満足・顧客満足・企業利益の因果関係を示したフレームワーク)の考え方ですね。
太田:はい。グロービスで初めてこの考え方を知ったときは、感動しましたね。この好循環のサイクルをつくればもっと会社がよくなると思って、「3つの業界ナンバーワン」という言葉に落とし込み、浸透させていったんです。
社長にとって大切なものは「インテグリティ」
知見録:その後、不動産業界はリーマンショックに襲われます。
太田:あのころは大変でしたね。当時の社長に、「このままでは最悪、赤字になります」と報告したのを覚えています。でも、絶対に妥協したくなかった。一度、赤字のくせをつけてしまうと、赤字になりそうになったとき「まあ、いいや」と思うようになってしまうからです。
それで、あらかじめ作成していた事業ポートフォリオにもとづいて事業転換をし、ストラテジック・ソーシング(調達購買改革)を行ない、含み益の出ているものを売却し、結果として17億円の黒字で終えることができたんです。手前味噌ですが、当時の社長には評価されたと思います。シビアな改革を行なったので、正直、会社は傷みました。しかしそれ以来、この経験を礎に業績はずっと右肩上がりに伸びています。
知見録:太田さんは今でも、グロービスの公認クラブ「不動産ビジネス研究会」に参加されているそうですね。
太田:入学した当時、不動産業界の人はあまりいなかったんです。経営学の学びとは遠い業界だと思われていたのかもしれませんね。でも、だからこそ業界に新風を吹き込むことができると思うんです。それで、同業の仲間たちと勉強会を立ち上げたんです。
自分が取り組んでいることを発表したり、外部から人を呼んで講演をしてもらったり。あとは年に1回、泊りがけで合宿に行っています。こうした仲間ができることも、グロービスの大きな魅力ですね。
知見録:今後、社長としてどんなことを目指していきたいですか?
太田:不動産流通業界のプレゼンスを高めていきたいですね。私たちの仕事って実にいい仕事なんですよ。不動産という大きな取引にひとりで臨み、弁護士、司法書士、設計会社、売り主、買い主といったさまざまなステークホルダーと向き合い、緊張感のある意思決定をしていく。非常に難しいけれども、やりがいのある仕事です。しかもそれが社会貢献にもなっている。
東急リバブルは、東急グループの中でも高い経常利益を誇っています。まだまだ伸びていく会社だと思っています。みんなが好きな会社のまま、プレゼンスを高めていって、「3つの業界ナンバーワン」をもっと極めていきたいと思います。
知見録:最後に、「社長」を目指すビジネスパーソンに、何かアドバイスをいただけますか。
太田:自分は社長になりたいと思ったことがないので、難しいですね。ひとつ言えるのは、私心を持たないこと、私利私欲に走らないことでしょうか。インテグリティ(高潔さ)が、社長にとってもっとも大切なことだと思います。
知見録:ありがとうございました。