私たちは常に「なにかをしなくてはならない」という義務感に追われている。お金を稼がなくてはならない、仕事をしなければならない、人間関係を築かなければならない…。そしてなにかを達成した後は、「より良く」「より早く」「よりたくさん」成し遂げることが期待される。
そんな誰もが“なにかしすぎる”時代に、真逆の生き方を実践して注目されている人がいる。「レンタルなんもしない人(@morimotoshoji)」。
『なんもしない人(ボク)を貸し出します。交通費と飲食代(かかれば)をご負担いただきます。飲み食いと、ごく簡単なうけこたえ以外、なんもできかねます』
こんな呼びかけで昨年6月にTwitterでサービスを開始したところ、10ヶ月で10万人のフォロワーを集め、今は1日3件ずつの依頼がほぼ休みなしで続いているという。そんな「レンタルなんもしない人」が自身のサービスを通して感じた「お金」「仕事」などについて綴ったのが『<レンタルなんもしない人>というサービスをはじめます。』(河出書房新社)です。
「レンタルなんもしない人」への依頼はさまざまだ。「公園で夜風に当たって缶チューハイを飲みたいので来て欲しい」「一人だと仕事をサボってしまうから仕事場にいて欲しい」「私のことを明日思い出して欲しい」「会社に行くのが辛いので朝ついてきて欲しい」「自分の裁判を傍聴して欲しい」「会社の会議に出席して座っていて欲しい」…。そんな依頼に対して「レンタルなんもしない人」はただ指定の場所に行くだけ、文字通り、“何もしない”。簡単な受け答えはするが、アドバイスもしないし、手伝いもしない(出された飲食物を飲み食いはする)。ただ「そこにいるだけ」だ。しかし、依頼が終わると、ほとんどの依頼者たちは満足してお礼の連絡(時には謝礼)をしてくるという。そんなふうに「レンタルなんもしない人」は、「ただ一人分の存在を一時的に貸し出す」だけで、今までにない価値を生むことに成功している。
著者の「レンタルなんもしない人」は、大阪大学大学院で宇宙地球科学を学んだ後、出版社に勤務し、その後フリーライターに。そこで、ルーティン化する毎日の仕事に大きなストレスを感じ、変化と刺激を求め、このサービスを始めたという。サービスの対価は基本、交通費以外は発生しないため、収入はほぼゼロ。貯金を切り崩しながら、妻と子どもを養っている。
「お金」をいったん脇に置くと「新しい面白さ」が生まれる
本書では、著者がこのサービスを始めるにあたって、利用料をどうするか考える場面がある。時給にするか、日給にするか、成功報酬にするか…。この時、著者は自分の内面を見つめ直し、報酬以上に「とにかく面白いことがしたい」という欲求があることに気付き、“お金を取らない”ことを選択する。「お金」が介在すると、「なにもしない」ということの価値が限定され(利用料1,000円なら1,000円分の価値)、本来の予測不能な価値が見えづらくなる。また、依頼者に“お客さん”という認識が生まれることで、ギヴ&テイクの見返りを求める関係になると考えたからだ。
結果、お金を取らないことで、お客さんがタダで著者の時間を拘束しているという気遣いからか、知恵を絞ってユニークな依頼をするようになり、それが著者自身をも楽しませる、という循環に繋がっていく。
『なにか行動を起こすときも、ふつうなら「お金」のことに思い至りやすい。しかし、だから新しいものがなかなか生まれないのでは、と思う。(中略)だからお金はいったん脇に置く。(中略)お金というわかりやすい価値尺度をいったん手放すことで、お金を介在させた既存のサービスにない多種多様な価値観にもとづいた多種多様な関係性が生まれるのではないか』(本文抜粋)
「可能性を狭めていく」と「自分のやりたい」ことが見つかる
著者の元には毎日たくさんの依頼が届くが、受ける/受けないを決める判断軸は、「できない」「やりたくない」「嫌い」な依頼からまず断るという消去法であるという。「できる」「やりたい」「好き」といった“願望”に従うよりも、“拒否反応”に従った方が、より素直な生理的反応であって直感にも近く、自分に正直だと考えているからだ。
こうした考えに至った背景の一因として、著者の姉の死が関係しているのかもしれない。就職活動に苦労し、望むような結果が得られず、それが心の大きな負担となって自ら命を絶った姉。その死に直面した時、著者は姉の価値というものが世間的ななんらかの目的によって歪められたり、損なわれていると感じたという。
姉の社会人としてのスペックは、彼女が受けた会社にとって求めるものではなかったけれど、僕自身にとって姉はただ存在しているだけで価値があった。(本文抜粋)
実社会のビジネスシーンでは「◯◯ができる」といったことばかりがフォーカスされ、それがその人の価値(存在価値)を決める判断基準になることが非常に多い。しかし、そうした「◯◯ができる」という価値判断のみに目が向いてしまうと、他人を無意識に区別したり、“可能性”という無限の世界の中で、自分自身を知らず知らずの内に追い詰めてしまうことにもなりかねない。だからこそ、著者は他人も自分も「そこにいるだけで価値がある」とまず認め、自分の直感に正直に従うことを選択した。
『消去法で生きていくことで、自分の可能性を自分で狭めているのではないかという指摘も当然あると思う。でも、僕が「レンタルなんもしない人」の仕事を始める前に可能性を潰していったのは、可能性がありすぎることに気づいたからでもある。いま思えば、可能性がある(と錯覚していた)ことに惑わされていたというか、自分にできることなんてほとんどないのに「これができるかもしれない、あれができるかもしれない」といろいろ考えてしまい、自分はなにをしたらいいのか、自分にはなにが向いているのかわからなかったのだ。だから、可能性を狭めていくほどに自分がどうしたいかがわかってきたし、それが極まって「なんもしない」ことしかできないという結論にいたることができた』(本文抜粋)
「レンタルなんもしない人」の働き方(生き方)は、実社会のビジネスシーンでは非常識に感じてしまうかもしれない。それは本書の各章タイトルからも、一般的なビジネス書や自己啓発書とは一線を画していることがわかる。しかし、読み進めていく内に、働くことの意味、自分が本当にやりたいこと、お金のこと、コミニティの作り方などを考え直すきっかけになるだろう。ビジネス書が好きな人にこそ読んで欲しい1冊です。
『<レンタルなんもしない人>というサービスをはじめます。』
著者:レンタルなんもしない人 出版:河出書房新社
定価1500円+税