本書は、米国ハーバード・ビジネス・レビュー誌上に掲載された論文の中から「共感力」に関係する11本を選んだ翻訳論文集である(その他に脳科学者の中野信子氏によるオリジナルの序文あり。目次は末尾を参照のこと)。同時に発売された『ハーバード・ビジネス・レビュー[EIシリーズ] 幸福学』と並び、「EI(Emotional Intelligence)=心の知能」重視の時代の生き方のヒントを、アカデミックな研究あるいは実務的に得られた知見から与えるものである。すでに米国ではEIシリーズ8タイトルが上梓され、日本でもこの2冊からスタートして順次翻訳出版されるという。
さて、本書のテーマの共感力は、今ビジネスでも最も注目を集めているキーワードの1つであろう。たとえばデザイン思考のプロセスの第一歩は消費者への共感であるし、SNSを用いたマーケティングでも、どれだけ多くの人々の共感を引き出し「いいね」を獲得したりシェアを促すかが大切な論点となっている。サーバント・リーダーシップにおいてもフォロワーへの共感なくして人は動かない。
人間はいうまでもなく社会的な動物だ。人は畏怖されるより、好感をもたれた方が生きやすい。また、知能が高い人よりも共感力が高い人に好感を持つということも経験的に納得できるだろう。もちろんロジック(論理)もビジネスでは重要だが、人間が社会的な動物である以上、EIの中でも大きな地位を占める共感力抜きにはリーダーになったり消費者を動かしたりするのは難しいのだ。
その意味で、共感力はロジック以上にこれからのビジネスリーダーの差別化のツールとなりうるだろう。事実、欧米ではトップレベルのコンサルタントなどのプロフェッショナルは、ロジックでの勝負はほぼ互角なので、結局差がつくのは共感力を始めとするEIであるという話をよく聞く。
本書で11本紹介されている論文は、共感をさまざまな側面から分析している。その中で、筆者が個人的に面白かった論文は、以下の2つだ。
5.子育ての経験がある上司とない上司、どちらが育児の苦労に共感してくれるか
10.共感にも限度がある
前者の論文は、同じような苦い経験を持つ人間ほど共感が弱くなることが多いという、逆説的な事実を研究結果から指摘し、その理由を考察している。この現象はタイトルの子育てに限らず、多くのことに当てはまるという。たとえば、子どもの頃のいじめをうまくくぐり抜けた人間は、現在、いじめにうまく対応できないティーンエイジャーに対する共感が最も低い。また、過去に失業経験を持つ人は、現在失業して麻薬の売人に身を落とした人間に対する共感が低くなる。こうした事実は、困っている人が、「この人なら分かってくれるだろう」と直感的に頼る人間を選び損ねがちなことを示唆している。
後者の論文は、筆者がまさに最も共感した論文だ。その趣旨は、共感にはプラスの側面だけではなく、マイナスの側面があるということだ。その典型は、(1)共感は人を消耗させる、(2)共感できる量には限度があり、トータルではゼロサムになる、(3)共感は倫理観をむしばむことがある、というものだ。特に「そうそう」と思ったのは、(1)だ。自然に共感が湧き出るタイプの人にはイメージしづらいかもしれないが、筆者もどちらかと言えばあるタイプの共感についてはかなりのエネルギーを取られてしまうことが多い。にもかかわらず、一部の人は、「なぜこの人(このこと)に共感できないのか?」と無邪気に考える習性があり、困ることが稀にあったからだ。論文中には、これらのマイナスをうまく減らす工夫も書かれており、なるほどと思う点も多かった。
11本の論文は、翻訳文ではあるが、訳はこなれており、また分量的にも1本1本が長くないので、隙間時間などを利用して読むにも適している。どの論文から大きなヒントを得るかは読者次第だろうが、どの論文にもそれなりの新しい発見があるはずだ。ぜひ実践にも活かしていただきたい。
【目次】
[日本語版に寄せて]なぜ共感力が必要とされるのか
1.共感力とは何か
2.部下への思いやりは、叱責に勝る
3.優れた聴き手は、どう振る舞うか
4.共感が協働を促し、会議の質を高める
5.子育ての経験がある上司とない上司、どちらが育児の苦労に共感してくれるか
6.権力を手に入れると、思いやりが薄れる
7.なぜ人は昇進すると横柄になるのか
8.「共感的デザイン」の原則
9.フェイスブックは共感を活用してセキュリティを高める
10.共感にも限度がある
11.ダライ・ラマがEIについてダニエル・ゴールマンに語ったこと
『ハーバード・ビジネス・レビュー[EIシリーズ] 共感力』
ハーバード・ビジネス・レビュー編集部 (編集)、ダイヤモンド社
1620円