刺激的なタイトルの本である。哲学は武器になるのだろうか?
著者の山口周氏は、「世界の建設に携わっているビジネスパーソンにこそ、哲学・思想のエッセンスを知っておいて欲しい」からこの本を書いたという。実務家による哲学の使用(武装?)が本書のテーマと言ってよいだろう。
本書のユニークさはその構成にも現れる。多くの哲学入門書は、ギリシア時代から現代まで時系列に沿って哲学の変遷を辿る。しかし、本書では一般的なビジネスパーソンの使用用途別に、「人」「組織」「社会」「思考」の4つに分類して、哲学のキー概念を説明する。また、必ずしも典型的な哲学に限らず、心理学・経済学・政治学・社会学など、幅広い関連学問を紹介しているのも魅力の一つだ。一般意志、ルサンチマン、疎外、アンガージュマン、公平世界仮説、脱構築…。聞き覚えのある(だが正確な意味はわからない)言葉について、今を生きる私たちにわかりやすく解説している。
例えば「ブリコラージュ」の項では、構造主義哲学の始祖であるクロード・レヴィ=ストロースの思想がビジネスに絡めて説明される。南米の先住民はジャングルの中を歩いているときに何かを見つけると、それが何の役に立つか解らなくてもひょいと拾って袋の中に入れてしまう。そうやって手に入れた「よくわからないもの」が、後で役立つことがある。こうした「あり合せのよくわからないものを非予定調和的に収集しておいて、いざというときに役立てる能力」を彼はブリコラージュと名付けた。
近年、頻繁にイノベーションの重要性が強調され、企業も躍起になって新規事業に取り組んでいるが、実際には多くのイノベーションは想定された用途と異なる領域で花開くことが多い。「『何の役に立つのかよくわからないけど、なんかある気がする』というグレーゾーンの直観」が、結果的に大きな成果に繋がることもある。実際、病院の集中治療室(ICU)のシステムは、アポロ計画で開発された技術が元になっているそうだ。
こうしたスタンスの本に対しては、各方面からの批判も多い。実務家からは、「そんなものは役に立たない」という批判が聞こえてきそうだ。しかし、ベンチャー企業を経営する私の個人的体験からは、起業家や経営者にこそ、哲学が必要ではないかと感じる。
企業で働く多くの人々は、通常、小分けされた担当業務をルーティンとしてこなしていくことが多い。こうした業務で生じる問題の多くは経験から解決できるし、そうでなくても、統計的・科学的な方法論によって対処できる。しかし、経営の階段を登っていくほど、正解がわからない問題について意思決定をしなければならなくなる。予測不可能な未来について、解決困難な問題を相手に決断せざるを得ない局面が増える。
それはまるでツルツルとした壁を手探りで登るようなものだ。登れば登るほど、恐怖感は強くなる。会社が順調に成長するのは嬉しいことだが、あるときふと、これほど多くの人がこの会社で人生をかけて仕事をしているのかと空恐ろしく感じる時がある。そんなとき、本質的な問題について深く取り組んできた哲学の知は、ツルツルとした壁に見つけた小さな窪みのように見える。そこに指を差し入れ、つかの間、体勢を整えた後、大きく体を引き上げるのだ。
先人が積み上げてきた思想の蓄積は、一朝一夕に理解することは難しいが、うまく咀嚼すればビジネスパーソンにとっても恩恵は大きい。本書はその入り口として、最適ではないだろうか。
『武器になる哲学』
山口周(著)、KADOKAWA
1728円