たったの48時間程度の違いであった。ムンバイで泊まっていたホテルにテロリストが襲撃して、100名以上も殺傷し、今も籠城しているという。宿泊していたホテルのロビーが血に染まっているかと想像するとゾッとする。間一髪の違いである。神に感謝するしかないのであろう。一方、その後に泊まり被害に逢った方々には冥福を祈らざるをえない。
僕にとって、このような体験は、二回目である。前回は、ヨルダン訪問記でも書いたヨルダンの首都のアンマンのホテルに滞在後、一週間後に起こったテロリストによる自爆テロである。その際には、数十名が死傷し、僕の友達もその時は巻き込まれてしまっていたのである。
その友達は、パレスチナ人の起業家で、非常に優しい人であった。僕とともに、ヨルダンの死海で開かれた世界経済フォーラムの会合に参加をして、彼とはいろいろと意見交換させてもらった。彼は「もうそろそろ結婚するんだ」と嬉しそうに、話をしていたのを良く覚えていた。
その友達は、その日結婚式の打ち合わせをするために、会場となる予定のアンマン市の高級ホテルに向かい食事をしていたところに、自爆テロが襲ったのである。奥さまとなる予定の婚約者は、幸いにもトイレに行っていたのでテロを免れたのであるが、友人は爆発で亡くなってしまったのである。婚約者がテロによって他界するのを目の前にする姿を想像すると、いてもたってもいられなくなる。
そして今回は、ムンバイである。ムンバイのテロの発生後、僕はすぐにムンバイにいるインド人の友達にメールをした。彼からは、すぐにメールが返ってきて幸いにも彼の無事を確認することができた。ほっと胸をなでおろす瞬間であった。
テロ発生直前のムンバイで見てきた風景をコラムにまとめてみることにした。
僕は、先週の金曜日に成田発でムンバイに向かった。目的は、「フォーラム」に参加するためである(フォーラムの詳細は、別コラムで記載する)。夜7時過ぎにムンバイの空港に着いた。この年に来るのは、3回目ではあるが、毎回混沌とした「カオス」という言葉がぴったりな気がしている。
空港からホテルは30kmほどの距離なのだが、高速などはなく、いつも交通渋滞に巻き込まれてしまう。今回は、2時間もかかってしまった。車が交差点に止まる度に、赤子を連れた母親か小さな子供が物乞いしに、窓ガラスをコンコンと叩く。僕は、目のやり場に困ってしまう。無視するのも忍びないし、一方では寄付をするとこれからも危ない物乞いを続けることになるのであろうから、それも良い気がしない。そう思っている最中に、車は発進する。
その連続であった。
窓の外に見える景色は、貧民街に近いものである。中には道路脇の歩道で寝ている人もいる。カルカッタ(コルコタ)とボンベイ(ムンバイ)と都市は違うが、マザーテレサのことをついつい思い浮かべてしまう。
そして、車はムンバイ市内に近づいた。「女王の首飾り」という海岸を右目に見ると、正面の方に見えるのが、宿泊予定の高級ホテルのトライデント(旧:ヒルトン・インターナショナル)とその横にあるのがオベロイである。この二つは、タージマハルホテルとともに、ムンバイを代表する高級ホテルなのである。
(今回のテロリストは、この3ホテルをターゲットにしていた。僕らは、トライデントホテルに滞在中に、オベロイのインド料理店で昼食をとり、タージマハルホテルのプールサイドで、夕食をともにしたのである。テロの襲撃2日前のことである)。
貧民窟のようなところから、あのような近代的なホテルを見ると、不思議な感覚になる。この国の貧富の烈しさを痛烈に感じるのである。
そして、僕らを乗せた車は、トライデント・ホテルの中に滑り込んだ。セキュリティ・ガードがしっかりと警備する中、ホテルの中でチェックインを済ませた。
翌朝、「女王の首飾り」は、美しい孤を描く海岸線と変身していた(昼間は、「女王の首飾り」ではなくてマリン・ドライブと呼ぶらしい)。海岸線には、もやがかかっているように見える。天を仰ぐと青い空、つまり快晴なのだが、対岸の景色はぼやけて見える。どうやら、公害で空気が汚れているのである。そのぼやけた景色を見ながら、僕は滞在中3日間、毎朝このプールで泳ぐこととした。
ファーラムの間に、「ムンバイを知る」、という目的で、フォーラムのメンバー6人でムンバイ市内を観光した。最初は、タージマハルホテルの前に広がるインド門、そしてフォート(砦)地区に広がる英国植民地時代の歴史建築物である。ムンバイ大学、美術館や世界遺産にもなったビクトリア駅などである。著名な建築は全て植民地時代のものである。
インドは、多様性と格差がある国である。昨年の世界一の富豪は、インドから出ているのである。一方では、想像を絶するほどの貧しい人がとてつもなく多い。宗教も、ヒンズー教、イスラム教、ジャイナ教、仏教、ゾロアスター教など多様である。言語も、ヒンディー語、マタティ語(ムンバイで喋られる)など15の主要言語がある。そしてカースト制度もまだ存在している。
観光では、その多様性を見ることになる。高級住宅街にあるジャイナ教寺院に向かったのちに、日本式仏教寺院だ。高級住宅街を見た後には、カーストのアンタッチャブルと呼ばれているカーストの外にいる人々が働いている洗濯工場(と言っても青空のもと手作業で洗っているのである)見学である。
そして、インド独立の父、ガンディーが住んでいた住居を改造した博物館を経て、ムンバイの観光を終えた。
インドは、BRICsの一角を占め、2025年には日本を追い抜き、米国・中国に次ぎ世界第3位の経済国になると予想されている。
しかし、僕は、その予測に懐疑的である。インフラの未整備、政治のリーダーシップの欠如、貧富の格差、教育機会の不平等、カーストなどの差別。問題は山積である。そして、今回発生したようなテロである。
サブプライム・バブル崩壊でインド経済は打撃を受けていたのだが、このテロでさらに深刻になると思われる。人口が多いからと言って、経済が大きくなるとは限らないのである。
もちろん、ミドル・クラスの躍進、数学を中心とした教育レベルのアップ、アウトソーシングなどのIT産業の勃興、優秀な人材などプラス面はかなりあるのは事実である。
しかし、僕は、一番残念なのは、富を得た一部の資本家がそれを民に還元しようとする姿勢が足りないことだ。世界一の大金持ちになったリライアンス社のトップのアンバニ氏は、その富を数十階建ての自宅を建てたり、ジャンボ・ジェット機をプライベートに買ったりすることに使っているようである。
インドは、仏教などを生み出した国ではないか。なぜ慈悲の精神で、その貧民を救おうとしないのであろうか。
そこに大きな問題があると僕は思っている。
未だに高級ホテルのテロの籠城は終わっていない。早期の解決を切に祈っている。
2008年11月28日
出張中のホテルにて執筆
堀義人