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試練を乗り越えて歩め-その3)堀3兄弟チーム、初出場で予選リーグ突破!

投稿日:2008/08/06更新日:2020/02/13

「七五三」、「246」、という意味不明の言葉が、「少年少女囲碁大会」の東京大会予選を終えてから、呪文のように堀家では唱えられていた(「試練を乗り越えて歩め-その2)東京都大会優勝そして全国大会へ」

「七五三」とは、主将が7段、副将が5段、三将が3段という意味である。「246」とは、主将が6段、副将が4段、三将が2段を意味する語呂合わせの目標である。

堀三兄弟チームは、東京予選の段階では、主将が5段、副将が2段、三将が初段であったが、全国大会を制覇するには、最低でも「246」、願わくば「七五三」が、必要だったのだ。その当時の棋力(きりょく)からすると、かなり高めの目標設定であるが、他県の強豪校の評判を聞くにつけ、最低これだけは必要だということを、皆わかっていたのである。

特に強いと噂されていたのが、埼玉県代表の北浦和であった。「囲碁ブログ」によると主将が6段、副将が5段、三将が3段だという。しかも、以下のような記載があった。

「北浦和小のこのメンバーは、学校単位での出場になった(3年前の)第2回大会から不動のメンバー。第2回大会は県予選4位で全国大会にあと一歩届かなかった。それに奮起したこのメンバーが第3回大会から埼玉県大会を3連覇した。第3回大会では全国ベスト8に入っているこのチーム。副将、3将が小学6年生の今年が最後の年であり集大成である。第5回埼玉県大会を主将から3将まで無敗というパーフェクト勝利で全国大会に駒を進めた。今年は全国優勝を期待したい」
参照http://eijiharada.exblog.jp/9205412/)。

予選時点での堀3兄弟チームの棋力は、彼らには到底及びもしないのである。連日連夜の猛特訓が始まった。土日をこども囲碁スクールで過ごし、月・木の放課後は、近くの囲碁サロンで囲碁のインストラクターに指導碁をお願いした。最後の一カ月は、水曜日と金曜日も囲碁スクールに通い詰めた。そして、仕上げは夏休みの夏季集中コースである。

僕も、仕事の合間を縫って、愛車のアルファードで新宿にある囲碁スクールまで送り迎えをした。大会の一週間前になると、子供達の緊張感が高まってきているのが、表情にありありと表れ始めていた。僕は、車中で、「人事を尽くして天命を待つ」、という言葉を子どもたちに送ることにした。

僕は、「やるべきことをやって、あとは当日さわやかな気持ちで大会に臨みましょう」、という意味で使った。「『これだけやったんだから、大丈夫だ』という気持ちになることが大事だよ」、と。実際、僕も水泳のマスターズの全国大会の当日は、いつも「これだけやったんだから」、と自分に言い聞かせながら、スタート台に昇っているのだ(「ちなみに今年も8位入賞を果たしました」(^^)筆者注)。

そして、大会の前々日に呪文の一つは達成することができた。「やるべきことはやった」と、心の中で皆そう思っていた。

大会第一日目の予選リーグの当日。会場となる日本棋院は、自宅より徒歩10分の場所にあった。僕らのいる小学校の学区内に位置するので、ホームで戦っている気分である。いつものように3人兄弟と引率兼保護者の僕と4人とで、公園の横の坂を歩きながら会場に向かった。朝早いのにとても蒸し暑かった。会場に着き、受付でパンフレットを受け取って見ると、堀3兄弟チームはA組に組み入れられていた。

本大会には、全国から64チーム出場してきていた。まさしく北は北海道から南は沖縄まで、各県1チームが参加しており、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、愛知、福岡、北海道などの人口が多い都道府県は、それぞれ、5、3、2チームずつ参加していた。

この大会は、野球で言えば夏の甲子園のようなもので、各県で予選を突破したチームのみが参加できるのである。小学生の棋士にとっては、この大会が一つの目標なのである。

大会一日目は予選リーグである。64チームが8つのリーグに分かれて3局戦い、リーグを枠抜けするチームを決めるのである。一敗したらその場で枠抜けの可能性がなくなるので、リーグ戦というよりは、トーナメント戦に近い緊張感が走っている。勝ち上がったチームが常に当たるので、上に上がれば上がるほど勝つのが厳しくなる。そして、二日目は、枠抜けした8チームが決勝トーナメントで3回戦い、優勝を決めるのである。

ちなみに、団体戦は、3人一組でチームを編成して、主将どうし、副将どうし、三将どうしが同時に戦いを開始するのである。そして、二勝以上したチームが、勝ち上がる仕組みとなっていた。団体戦とは言っても、各人が孤独な戦いをするのである。

今年は、少年少女囲碁大会に団体戦が導入されてから5回目だが、本命無き大会と言われていた。第1回目の大会は、県選抜で戦っているので、優勝校は無い(ちなみに東京Dチームが優勝)。あと3回は、全て同じ兄弟がいるチームが勝っている(プロ棋士のお子さん二人組である)。第2回と第3回が、東中野小学校。第4回はその2人が引っ越した先の市ヶ谷小学校が優勝している。

今年は、その兄弟チームの長男が卒業したので、「本命無き大会」と言われているのである。

堀3兄弟チームの一回戦の相手は、盛岡市立大慈寺小学校(岩手)である。各チームの主将、副将、三将がそれぞれ、囲碁板を挟んで対面に、静かに陣取っていた。審判長の合図で、一斉に対局が開始された。最初の5分間だけは、「写真撮影タイム」と称し、親や引率者が、撮影のために会場に残ることができた。5分が経つと、親たちはシャットアウトされて、子供たちだけの戦いとなるのである。早い対局では、5分間あればかなり打ち進められる。序番が悪い戦況を見たあとに会場を後にすると、そのあとの結果が出るまでが、気が気でないのである。

「終わったらすぐに結果を教えて欲しい」と、僕は、子供たちに伝えていた。先ずは、小学校1年生の三将がハニカミながら、「勝ったよ」と報告をしてくれた。そして、小学校3年生の二男が勝ち名乗りをあげて、第一回戦は、結果的に3-0で勝利を収めることができた。

一回戦終了後に昼食である。僕らは、主将の先導で気分転換のために、公園に向かっ
た。公園は蒸し暑く、やぶ蚊もいて決して快適ではなかったが、対局場から少しでも
離れていつも遊んでいる公園で気晴らししたかったのであろう。しばらくして会場の
日本棋院に向かった。

昼食後の二回戦は、吹田市立千里第一小学校(大阪)であった。そのチーム
にも3-0で勝利できた。そして、昼食後の第三回戦の相手は、松本市立今井小学校
(長野)であった。
副将が星を一つ落としたものの、幸いにも2-1で勝利することができた。

これで、初日のリーグ戦突破である。8位以内は確定できた。翌日がいよいよ本番の決勝トーナメントであった。その日は家族7人総出で、縁起をかついでとんかつを食べに行った。そして、翌日に備えて早めに就寝することとした。

コラム:試練を乗り越えて歩め-その4に続く。

2008年8月5日
豪州パースにて執筆
堀義人

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