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試練を乗り越えて歩め〜その5)2009年少年少女囲碁大会

投稿日:2009/08/04更新日:2020/02/13

昨年、小5・小3・小1の3兄弟で参戦した、少年少女囲碁大会の団体戦は、都大会を優勝で飾ったものの、全国大会では最後に失速して4位の結果となった(コラム:「試練を乗り越えて歩め〜1)-4)」を参照ください)。

3兄弟、そして親にとっても悔しい体験であった。準決勝を0-3で敗退し、その次の3位決定戦で敗れての4位であった。3位までがメダルをもらえるのにメダルもならずである。しかも最後の3位決定戦の相手は都大会の予選では撃破できた相手であった。「来年こそは、優勝トロフィーを手に入れたい」。そういう思いが、兄弟の中で強く芽生えていた。

ただし、長男は悩んだ結果、プロ棋士を目指す道を歩まずに中学受験をすることを自らの意思で決めていた。従い、囲碁の特訓からは離脱して、週3回の慣れない塾通いを始めることになった。そして、その合間に週1回の頻度で囲碁を打つこととした。同級生は、皆小学校4年生から塾に通っているので、一年以上も遅れている。勉強の方は、ボトムからのキャッチアップである。

囲碁の特訓や塾通いとは言っても、所詮小学生である。なかなか気持ちが乗らないとやる気にならないものである。あの手、この手でやる気にさせようとするが簡単ではない。ある囲碁の大会で、山下敬吾棋聖がスピーチされた言葉が印象に残っていた。「囲碁を強くする一番良い方法は、良いライバルを持つことです」、と。

幸いに、小3・小1の子供たちには、強力なライバルがたくさんいた。昨年8月の大会の時の次男、三男の棋力は、3段と初段クラスであったが、同学年の仲間には、4、5段クラスがいたのである。あとは、「あの子には負けるなよ」と一言囁けば、メラメラと闘争心に火がつくのである。あとはそのやる気に見合った機会を与えてあげるだけなのである。

囲碁の場合には、麻雀なバックギャモン等の他のゲームと違い運の要素がほとんどない。負けるのは、弱いから負けるのである。強くなるには、努力をするしかないのである。僕がのめりこんでいた水泳と一緒である。サッカーやラグビーは、チームスポーツなので、自分が一生懸命頑張っても負けてしまうことはある。一方、自分のできが悪くてもチームが勝つこともあろう。水泳の場合には、個人種目なので、自分が悪ければ負けるし、良ければ勝てる。頑張ればその分結果がついてくるのである。囲碁も同様である。負けた時には全く言い訳ができないのである。自分の努力が足りなかったから負けるのである。それだけなのである。

平日水曜日と週末の土日と週3回、新宿にある新宿こども囲碁教室に通った。とは言ってもプロ棋士を目指させているわけではないので、囲碁漬けにはできない。可能な限り心技体をバランス良く育て、国際的に活躍できる人材に育て上げたいと思っている。堀家の教育では、必修科目が3つ、選択科目が1つと言っている。「必修科目」の水泳、囲碁、英語に加えて、各自が「選択科目」を選べるのである。

長男から三男は、選択科目ではテニスを選び、四男はピアノを選んでいた。金曜日には、テニスのレッスンがあるし、英会話そして水泳である。冬になると可能な限り、家族スキーにも毎週末に出かけることにしている。

こう書くとなんだか盛りだくさんな気がするが、僕自身可能な限り子供たちへの教育には多くの時間を割くようにしていた。中学受験が始まり、中学校に入ってしまうと、親が施せる教育の幅が縮まるような気がしているからである。僕が子供のころには、中学校で始めた水泳にのめりこんでいった。勝ちたい願望から毎日スイミングクラブに通い続けていた。負けると涙を流し、勝てるとガッツポーズであった。オリンピックに出たいという願望もあった。水泳日記を書きながら、毎日毎日泳ぎ続けた。思い返すと、中学校と高校の初期は、水泳からの学びの方が家庭からの学びよりも大きいように思えていた。

子供たちにも可能ならば、中学校からはスポーツによってギリギリまで自らに挑戦する体験をして欲しいと思っていた。だからこそ、小学校5年生ぐらいまでが、家庭で施せる教育の絶好の時期であり、心技体の基礎を作り、人間の幅を広げさせるチャンスであるように思えていた。逆に言うと、その時期を逃すと、あまり接する機会がないように思えてくる。だからこそ、囲碁大会には全て付き添うことにしていた。

冬が過ぎて、春が来て、そして6月の都大会の予選を迎えることになった。幸い前月に開催された東京都の個人戦の代表決定戦では、くじ運にも恵まれ、次男が代表の座を射止めていた。そうなるとオーダーを決めるのが大変である。

家で主将決定などと称して打たせてみると、長男が勝つことが多い。以前は次男が全く勝てなかったのに、ぽろぽろと勝利を拾うことができるようになってきた。同様に、「副将決定戦」と称して、次男と三男を戦わせると次男が勝つ機会が多いのだが、三男が勝てるときも出てきたのである。

悩んだ結果、週1回しか新宿こども囲碁教室に通っていないながらも、まだ長男が一番強かったので、昨年と同じオーダーで臨むことになった。主将:長男、副将:次男、三将:三男の不動のオーダーである。

そして、都大会の当日を迎えた。第一回戦は、私立の付属小学校であった。予定通り3-0で勝利。二回戦は、千代田区の小学校であった。ここで次男にポカが出て、かろうじて2-1で勝利した。第三回戦が台東区の小学校であった。新宿の囲碁教室の仲間が主将から三将を務めるチームであった。幸い3-0で勝利を拾い、ここで都大会代表への選出が決まった。そして、四回戦は、全勝通しの対決である。相手の港区の小学校チームも同様に新宿こども囲碁教室の仲間が主将、副将を勤めるチームであった。ここも2-1で退けて、都大会1位で予選を突破することができた。

確実に、子供たちの棋力が上がっていることが実感できたが、大一番でポカをするようでは、まだまだ弱い気がしていた。また長男が勝負慣れしていないのが気になっていた。そうは言っても、中学受験も佳境に入っている。手を抜くわけにはいかない。長男とも相談して、週2回は囲碁に時間を使うこととした。

そして、8月2日(日)、3日(月)の少年少女囲碁大会の全国大会の日がやってきた。まずは、第一日目の予選リーグである。審判長である張栩(ちょうう)名人、本因坊、十段、王座、天元、碁聖の開会宣言のあとに、大会は始まった。第一回戦は、愛媛県代表のチームで、第二回戦は岐阜県代表のチームである。双方とも3-0で撃破した。三回戦が、強豪札幌のチームを破って進出してきた島根県代表のチームである。長男の主将が惜しくも2目半で負けてしまうものの、2-1で勝利をおさめて予選リーグの枠抜けが決まった。リーグとは言うものの8チームが出ているので、実質的には一つも落とせないトーナメント戦と同じなのである。

極度の緊張感から開放させ気分転換させてあげるつもりで、大会後には3棋士に加えて四男・五男を引き連れて、パパと子供5人とで近くの小学校のプールに行くことにした。僕もマスターズの水泳大会が終わっているので、真剣に泳ぐ必要はない。子供たちも、翌日の決勝トーナメントに疲れを残してはいけないので、通常のルーチンの練習メニューを免除して、遊んでいいことにした。

そうなると、プールはただの遊びの場と化する。12歳から3歳までの子供たちが水の中でじゃれあっているのである。ちょうど子犬たちが体を触れ合わせながら、お互いの体の感触を楽しんでいる姿をよくみかけるように、あの姿とまるっきり一緒の姿を水の中で演じているのである。次男と三男は何やら水の中で格闘をしていた。長男は泳げない五男のことを面倒みていた。6歳の四男は、僕の背中にからみついてきていた。

疲れすぎてもいけないので40分程度泳いでから(水遊びしてから)、プールから上がり、着替えて、帰路に着いた。家に着いてから、本日の予選の反省会を簡単に済ませ、選手たちと囲碁盤に向かい合った。もう、3人とも僕の棋力(初段)では、到底かなわない強さになっていた。それでも、僕は検討会に加わるように努力をした(とは言っても、読みの力、定石の理解とも既に格段の違いがあるのだが)。「パパ、わかるの〜」とまでの屈辱的な発言が出てくるのである。ま、弱いので仕方がない。

でも、一つだけ僕がいると良いことがある。それは、喧嘩にならないことである。兄弟で囲碁を打つと最後は、必ずといっていいほど石の投げ合いになる。これだけの棋力をもち、精神的にも強いはずなのに、である。やはり、兄弟であっても、あるいは兄弟だからこそ、負けたくないし、負けを認めるのが嫌なのであろう。

その晩は、縁起を担ぎ、食卓にはトンカツがところ狭しと並んでいた。家族7人でそれらを平らげ、翌日の決勝トーナメントに備えることとした。決勝トーナメントに残っているのは、8チームである。東京3チーム、神奈川1チーム首都圏チームと、長野、石川、新潟、大阪の地方4チームであった。翌日の決勝トーナメントの一回戦は、競合の石川県のチームが相手となる。早めにベッドにつき、翌日に備えることにした。

その6へ続く
2009年8月3日
決勝トーナメントの早朝に自宅で執筆
堀義人

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