決勝トーナメントの日、朝8時過ぎに家を出て、子供たちとともに市ヶ谷にある日本棋院に向かった。真夏にも関わらず比較的、過ごしやすい陽気であった。公園の坂を登り、左折して、マンション街を通り抜けて、決戦の会場となる日本棋院に入った。囲碁の大会のたびにこの道を歩んできた。ただ、今回は特別な思いがある。この大会を目標に一年間3人とともに頑張ってきたからであり、しかも、この大会が長男にとっては小学校最後の囲碁大会となるからである。
そして、今までの努力の成果が、本日出ることになる。大会前日に、新宿囲碁スクールの師匠である藤沢一就プロ棋士から、亡き藤沢秀行(しゅうこう)名誉棋聖の直筆の文字が印刷された扇子を頂いた。そこには、「強烈な努力」と力強い書体で描かれていた。病院にいた秀行先生が、最後に書き遺した言葉であるという。その扇子の箱の中に小さな紙片が挿入されており、そこには以下の通り記されていた。
強烈な努力
これだけは伝えたい。
強烈な努力が必要だ。
ただの努力じゃダメだ。
強烈な、強烈な努力だ。
藤沢秀行
そうなのである。「強烈な努力」、それが人間を磨きあげ、望む結果をもたらすものなのである。
決勝トーナメントの準々決勝となる一回戦は、石川県代表チームである。このチームのメンバーは、全員毎日近所の碁会所に通い、先生の指導を仰いでいるという。過去の対戦相手から得た情報では、主将:6段、副将:5段、3将:5段の棋力を持つバランスのとれたチームである。
この一回戦で思いもよらない事態となった。いつもは早く決着がつく三男がまったく終わる気配が無いのである。他のチームの戦いがどんどん終わっていく中で、われらが堀3兄弟チームは、誰一人として終わる様子が無い。早く終わった他校の選手が、堀3兄弟の盤面を見て、「凄いことになっている。堀3兄弟が危ない」と静かにささやき始めたのである。妻も四男、五男を預けて、応援に駆けつけていた。いつまで待っても電話の連絡が無いから心配で、心配でいられなかったようである。
そして、暫くして長男が終局。僕は、遠くから表情を読み取ろうとした。整地が終わり、お互いの陣地の大きさを申告し、そして一礼をし、碁石を片付けた。遠くから表情を見るが、どうもさえない。そしてチラッとこちらを見た際に、首を横に振った。負けたのである。3目半の僅差の負けである。
僕は、可能な限り、副将、三将の盤面が見えるとこまで近づいてみることにした。双方とも激戦であった。三将に至っては、死んでいる石が散見された。今まで見たことが無い苦戦である。副将も大きな石が殺されていた。僕は、ここで終わりかと観念する気持ちがあったが、その思いを否定して、ひたすら気合いや念力を子供たちに送り続けた。本当に一緒に戦っている気持ちである。
早く終わった長男も心配そうに、戦いの成り行きを見守っている。そして、三将が終局。整地して数えた。幸い、10数目勝ちであった。三男は、粘りに粘って、最後にヨセで差をつけたようである。これで、一勝一敗である。
あとは、副将勝負である。間もなく終局を迎えた。運命の瞬間である。整地して双方数えて申告し差額を計算し、6目半のコミを引いてみた。何と、1目半の僅差で、辛うじて勝利を収めることができたのである。僕は、遠くにいた妻に、丸印のサインを送った。妻はそれを見て安堵し、気持ちが高揚したのか涙を流し始めていた。ハラハラドキドキであった。長男の敗戦を知り、次男は、「僕が頑張らねば」と、負けていた囲碁をひっくり返したのである。
3人とも時間ギリギリまで戦っていたので、休憩時間が短く次の準決勝まで間がない。次男、三男を連れて、外の空気を吸いに行くことにした。外はどんよりとした天候で、生暖かい空気であった。中の冷房の空気とは違い、多少の気分転換にはなったであろう。二人とも頭脳を回転し続けて、疲れきっていたのである。
準決勝の相手は、新潟県代表である。決勝トーナメントまで来ると、全ての選手は、三将まで含めて有段者となる(当然、主将、副将は県代表の高段者となる)。装いも皆個性がある。新潟県代表は、皆、青のTシャツ姿で参戦してきていた。決勝で対戦することになる港区立の小学校は赤である。大阪は黒で、長野県は水色のポロシャツだ。皆、チーム一丸となって勝利に向かう姿勢を示しているのである。親までが同じTシャツを着ているチームもあった。皆、この戦いに賭けているのである。
参加者を眺めてみると、団体戦のチームには自ずと兄弟選手が多くなるようである。決勝トーナメント進出の8チームのうち、7チームが兄弟のいるチームである。3兄弟チームも僕ら以外にもう1チームあった。やはり、3人強い選手を集めるには、兄弟がいるほうが有利なのであろうか。一方、昨年の優勝・準優勝チームともに兄弟はいなかった。その小学校の近辺に囲碁スクールがあれば、兄弟など関係ないのである。
事実、地方で強いチームをヒアリングすると、たいがい地元の熱心な先生の指導を受けているのである。準々決勝で対決した石川県チームや大阪吹田チームは、コーチが引率に来ていた。大阪のコーチは、休憩時間には、子供たちと検討会を行い、厳しく檄をとばしていた。皆熱心なのである。準決勝の対戦予定の新潟チームも近くの碁会所で先生につき毎日囲碁を打っているようである。
一方、地域的に最もレベルが高いのが、東京、埼玉、神奈川、千葉の首都圏である。やはり、プロ棋士も多く住んでおり、熱心な先生が指導している教室が数多く存在するからである。僕らの子供たちも、2カ所でレッスンを受けているのである。恵まれた環境であるが、その分、都代表になるのに熾烈な戦いを経てくるのである。
このような熱心な指導者の存在が日本の囲碁の棋力アップに貢献していることは、言うまでもない。当然、再放送を始めた「ヒカルの碁」の影響も見逃せないであろう。
暫くして、審判員の合図と共に、双方のチームの主将が「にぎり」をして、先番・後番を交互に決め、時計を確認して、それぞれ静かに対局が始まった。
この準決勝は、堀3兄弟チームにとっていつも通りの流れに戻った。15分程度で三男が終局を迎え、勝利。25分程度して、次男も勝利を収め、早々と決勝進出を決めることができた。気になるのは、長男である。ここまで二連敗してきているので、この嫌な流れを断ち切り、何とか勝利で決勝戦に臨みたいものである。幸いにも勝たせてもらうことができて、3-0で決勝に進出することができた。久しぶりに笑顔の長男を見ることができた。
昼食は、3兄弟と父母の5人で、支給されたお弁当を食べた。子供たちは、あまり食欲がわかないようであった。無理も無い。激戦が続いている上、次は雌雄を決する決勝戦なのである。しかも、昼食の合間に取材がどんどん入ってきているのである。主催者の産経新聞から始まり、NHKの囲碁将棋チャンネル、そして週刊碁などである。
決勝の相手は、都大会同様に港区の小学校となった。主将・副将の兄弟は、新宿こども囲碁教室で、毎日のように凌ぎを削っている仲間である。とても強い相手だ。我が3兄弟とは勝ったり負けたりの互角であった。互角
のもの同士ががっぷり四つに組み合い、この大一番に臨む。その大一番で勝つか負けるかが、優勝と準優勝の大きな違いを生むことになるのである。本番で自らの力を出し切れるかどうか勝負の分かれ目である。
決勝戦の主将戦は、「幽玄の間」というインターネット碁にその模様が配信されるのである。俄然メディアの注目度が上がっていった。テレビカメラが配置され、主将の隣には、インターネットに棋譜を打ち込むためのパソコンが配置された。時計もデジタル時計に変更となった。決勝では、持ち時間40分を越えても1手30秒まで打てるようになるのである。
いつものように静かに先番が決まり、対局が始まった。対局開始15分で三男が終局して、石を片付けていた。「終わったら必ずパパに報告に来るように」、とお願いしていたので、その指示に従い、三男が報告に来た。「勝ったよ」との声に、「よくやった」と抱きしめ、「お兄ちゃんたちの応援をしてきてね」、と伝えて、三男を対局の場に再度送り出した。これで、優勝に王手をかけることができた。長男か次男が勝てば、優勝である。
次男の戦況を見ている三男から逐次報告がある。最初が「勝っている」、次が「大石を殺そうとしている」、そして最後に、「絶対に勝ったよ」であった。その報告から程なくして、次男の対戦相手が投了をした。その瞬間に堀3兄弟の全国大会優勝が確定した。隅の方でわからないように、思わず小さなガッツポーズを静かにとった。囲碁界のマナーでは、相手の心情を慮るために、声を出すことも喜びを大きく表現することも、あまり良しとはされていないのである。しかも相手は、囲碁教室の仲間である。親同士もよく知っている仲である。その親の気持ちを察すると申し訳ない気持ちになってくるのである。
優勝が確定して、のびのびと打てたのか、長男も優勢に進めることができているようだった。30分後に、長男も勝利を収めた。結果、3-0の勝利となり、優秀の美を飾ることができた。子供たちをとても誇りに思う瞬間であった。その後、取材攻勢があり、表彰式があり、そして記念写真をとった。
全ての公式行事が終わり、副賞としてもらったアクエリアス1年分や大きな優勝カップなどを宅配便で送る手配も終了した。次男は、「明日の前哨戦」と称して、友達になった京都の代表選手と一局打ち始めていた。たった今、白熱した戦いを終えたばかりなのに、また打っているのである。本当に囲碁が好きなのである。
その子供たちをその場から引き連れ出す名目で、「美味しいものを食べに行こうか」と提案した。「いいね、いいね」と長男が返答して、次の行動が決まった。子供たちは、もう既に選手の表情から小学生の表情に戻っていた。
親しくなった京都の選手と父親とともに、帰路、喫茶店に立ち寄った。腹ペコの子供たちとともに、ジュース、ケーキ、パスタ、ピザなど、順番を考えずに五月雨式に注文していった。僕は嬉しくなり、ビールのグラスを2杯と、赤ワインのグラスを2杯飲み干し、上機嫌である。そして、そのままほろ酔い気分のまま自宅に着いた。
保育園から戻った四男、五男も祝福の輪に加わった。お世話になった先生方、祖父母にも報告・お礼を申し上げ、やっと一息つけるようになった。子供たちとビデオをボーッと見ている間に、いつの間にか僕はウトウトと寝てしまっていた。
食事時に起こされた。食卓では、優勝を祝福し合いながらも、ボンヤリと次のことを皆で語り始めていた。長男は、これからは中学受験に本腰を入れることになる。次男はとりあえずは翌日から始まる全国大会の個人戦に挑戦である。そしてその後は、次男、三男ともに、来年団体戦で連覇を果たすことと、個人戦で全国大会にて結果を出すことが目標となる。来年小学校に入る四男は、小学校代表チームに参加するためにも、ひたすら棋力を上げる努力をすることが要求される。近々4歳となる五男ももうそろそろ囲碁を打ち始めることになるであろう。
それこそ努力、いや「強烈な努力」が必要になるのである。昨年の準決勝の敗退の悔しさをバネにして、「強烈な努力」を行うことによってはじめて、優勝という成果を上げることができたのである。
その「強烈な努力」を、小さいころから何事に対してもやり続けることを習慣化することができれば、確実に成長をすることができると思う。そして、彼らが将来成人した後には、世界次元で社会に大きなインパクトを生み出せる人物に育っていくのではないかと期待している。「強烈な努力」をし続ければ、である。
昨年から振り返っても、子供たちの成長は著しかった。昨年の大会後に中学校の受験勉強を始め、囲碁を思うように打てない環境の中で、主将として参戦した長男。皆それこそ「強烈な努力」をしてきた中での真剣勝負である。そこに思うように準備できない自分が座っているのである。さぞかし不安だったと思う。よくぞその中で戦い抜いてくれた。敢闘賞である。
次男は、昨年の大会では、2勝4敗で、予選リーグの最後の枠抜け戦から4連敗であった。その次男が今回は、全勝であった。精神的にも明らかに強くなっていた。「昨年との違いは何ですか?」、とインタビューされていたときは、「昨年は暗かったけど、今年は明るく打てている」と答えていた。今回の優勝の原動力となる殊勲賞である。
そして、三男である。昨年は、小1で参戦し、準決勝で敗退し、悔しい思いをした。全国優勝への一番強い願望を持っていたのは、もしかしたらこの三男かもしれない。今回は東京都予選から一度も負けていないのである。完璧な全勝勝利であった。長男のインタビューの言葉ではないが、本当に頼もしい存在なのである。囲碁も小2にしては、半端ではなく強い。戦った棋士が舌を巻くほどの強さである。三男には、技能賞である。
夜も遅くなった。今晩は、ゆっくりと休んで欲しい。そして、明日からは次の目標に向けて、努力をして欲しい。
藤沢秀行先生の言葉ではないが、「ただの努力じゃダメだ。強烈な、強烈な努力だ」。
囲碁を通して、努力の重要性を日々体得することができているようであった。でも、今晩は、ゆっくりと休んでほしい。
「おめでとう」、そして「おやすみなさい」。そしてまた明日から次の目標に向けて、スタートを切るのである。
2009年8月3日
全国大会の当日に自宅にて執筆
堀義人